「呪いのことば」からの解放
人は知らず知らずのうちに「呪いのことば」を発している。
「呪いのことば」とは、目の前で起こっている出来事に対し、自分の価値観で「批判」や「評価」した結果、発せられる一方的で、攻撃的な数々のことばである。
例えば、
「約束を守れなかった私は、最低な人間だ」
「男には女の気持ちはわかるはずがない」
「遊んでばかりいたらバカになる」
などだ。
一方的な価値観に基づく会話法が大人から子どもへ受け継がれ、知らず知らずの内に、自分や他人を容赦なく傷つけている。実にたちが悪い。
私はこの負の遺産(=会話法)を受け継ぎ、長年苦しんできた一人だ。
特に自分への攻撃が強く、価値観という名の鎖に自らを縛りつけ、もがき続けていた。
そんな自分に転機が訪れだのは、3年ほど前、NVCと出会ってからだ。
NVCとの出会い
NVCはNonviolent Communication(=非暴力コミュニケーション)の略で、50年ほど前に、アメリカの臨床心理学者であるマーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化されたコミュニケーション手法である。一言で説明すると「平和的に、心でつながる会話法」だ。
この会話法の最大の特徴は、自分や相手の行動によって起こった出来事を、頭で判断・批判・分析・取引を行わないで「自分の心の内側で何が息づいているか」、つまり、ありのままの出来事を心で「観察」し、その行動の裏にある「感情」(嬉しい、心地よい、困る等)や、「ニーズ=願い」(愛、信頼、休息等)に目を向けるという点だ。
「感情」や「ニーズ」は、誰しもが共通して持っているものなので、それらを明確にすることで、相手の行動が何を満たすために行われたものなのかを知ることができる。それは、自分や相手とより深くつながることへと導いてくれる。
NVCを学び、私の中で起きた変化
私には小学生の息子がいる。一人っ子である。
夫との関係がうまくいかず、1歳をすぎたころから二人暮らしを始めたのだが、当時はNVCを知らなかったため、大変な思いをした。
夢見た幸せな結婚生活。うまくいかなかったことへの負い目が強く、
「私は最低だ」
「祝福してくれた家族、友達に申し訳なくて合わせる顔もない」
「哀れな人だ」
などと、攻撃的なことばを長きにわたって自らに浴びせ続けた。
また、
「母は強くなければいけない」
「息子はたくましく育てなければいけない」
などと、「呪いのことば」で自分を追い込んでいった。
幼いころから周りの目が気になってしょうがなかった。他者の評価が自分の評価であると信じ、必要以上に責任を感じたり、自分の中に感情を閉じ込めたりしていた。人生最大の失敗を犯してしまった自分への攻撃は、当然の結果である。
それに拍車をかけ、息子が通っていた保育園で、息子の「出来ない」を指摘されると、「自分はダメな人間だ」と言われているようで、受けたダメージは特に大きかった。
「子どもに問題があるのは親のせいだ」
「子どもと朝散歩してから園に来る家庭は素晴らしい」
「子どもにはたくさん歩かせることが大事」
子どもの育ちに大変熱心な保育園でとてもお世話になったが、様々な教え(=呪いのことば)が鋭い矢のごとく突き刺さり、重くのしかかった。
保育園と職場の往復、食事、洗濯、お風呂、寝かしつけとなど、時間的にも精神的にも余裕がなかった。「呪いのことば」から身を守る力も術もない。
いつの間にか、幼い息子に対しても
「もうお兄ちゃんなんだからしっかり歩いて!」
「できないと恥ずかしいよ!」
などの呪文を頻繁に唱えるようになっていた。
息子の「出来ない」にばかり目が向いてしまう自分への違和感。そして「このままでは、息子との『今』そして『将来』の関係が大変なことになってしまう」という危機感。
やがて私は、息子を転園させることを決めた。
この決断によって、自分も息子も大いに救われることになり、その選択は誤っていなかったと信じている。それでも、NVCを知っていたら別の解決法が思い浮かんだかもしれないと、いまは思うことがある。
当時は、心の底で感じていた悲しさや苦しさに目を向けられず、辛い気持ちを吐き出すこともできなかった。そんな自分の「感情」や「願い」に向き合えていたら、
「辛いね」「寂しかったね」「サポートが必要だね」などと優しいことばをかけてあげることができたかもしれない。
自分とつながり、寄り添うことで、自らの価値を認め、自分を必要以上に追い込むこともなかったかもしれない。
保育園の厳しいアドバイスの裏には、「子どもが健やかに育ってほしい」「親の協力がほしい」「仲間になって、一緒に育ちあいたい」という願いが隠れていたのかもしれない。
それに気づけていたら、「呪いのことば」を自分への攻撃として受け止めずに済んだだろう。先生方に恐れを感じず、私もサポートを受けられたかもしれない。
これらは全てタラレバだが、確実に言えるのは、「NVCを知っていたらもっと自分にも他人にも優しくなれたはずだ」ということである。
この平和的なコミュニケーション法を学ぶことで、私は呪いの鎖から少しずつではあるが自分を解き放てるようになった。以前と違うレベルで、自分の内側や他人と向き合えるようになったのは、大きな大きな変化だ。
NVCを学ぶ
NVCは、外国語を学ぶときのように、学んだところで直ぐに使えるようになるわけではない。訓練は必要だ。
そこでNVCを学ぶにあたってお勧めしたい本がある。『「わかりあえない」を越える』だ。
本書をお勧めしたいのは、次の2つの理由からである。
NVCを学ぶ仲間も日本や世界に大勢いる。NVCに関する本の読書会や、初心者や親子向けの講座などさまざまなものが開催されておりSNS等で情報発信されている。「学びをさらに深めたい」「より集中して学びたい」という方には、この本と合わせてこれらを活用することをお勧めしたい。
私もまだまだ学びの途中にいる。「呪いのことば」しか知らず、それを流暢に使いこなしてきたわけだから、忘れることは難しく、意識しないと批判や評価ばかり口にしてしまう。ただ、「今自分は批判しているな、評価しているな」「今、私に満たされていないニーズがあるな」などと気づけるようになった。それだけでも、すごい進歩だと考えている。
「平和のことば」でつながる世界
NVCは、人の視野を広げ、物事の平和的な見方を教えてくれる非常に優れたコミュニケーション法である。身につけるのは簡単ではないが、執拗につきまとう「呪いのことば」から、自分や他人を解放し、「平和のことば」でつながれたら、今よりもずっと優しい世界が見えてくると信じている。
外国語を学ぶように、ぜひ一度「心でつながるコミュニケーション=NVC(語)」を学んでみませんか。