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全ての人の努力の履歴書を作りたい。

一部の人たちにとって、もはや学歴というのは「オワコン」らしい。学歴を持っていても社会の役に立つとは限らない、仕事ができるとは限らない。とにかく、そういうことらしい。私はこの考えがとっても怖い。かといって、私にしがみつくほどの学歴はないし、華々しい経歴があるわけでもない。所詮大学を中退した程度の私が何をいっても説得力なんてないかもしれないけど、とにかく、学歴はオワコンだ! といっている人の声が大きいと、私は震えて縮こまってしまいます。

「お金が全てじゃない」といって説得力があるのはお金持ちだし、「学歴が全てじゃない」といって説得力があるのは高学歴の人。「恋人がいることが全てじゃない」と失恋した私を慰めたママは今でもパパと仲良しですし、何か世の中で大切にされているものを否定するには、それを持ってみるしかないのかもしれません。

……まあ何が言いたいのかというと、私はとにかく「学歴が全てじゃない!」なんて言えた立場にはないということ。言えた立場にはないからこそ、いや、ないくせに、学歴の話に口を出すのはどうかと思うけれど、やっぱりちょっと話をさせてください。

学歴は大事だ。
でもそれと同時に、学歴がない人だって、認められる社会を作ることが大事だ。

学歴がない私はどうやって生きていったらいいんだろう? そんな疑問も同時に沸き立ちます。今日はちょっと、そんな話。

学歴は未成年の間の努力の履歴書

採用をしていると、学歴に向き合うことが多いものです。やっぱり、どんな履歴書でも最終学歴は書くし、スカウト系のサービスを触れば学歴が一覧に出てきたりする。

ものすごく正直な話をすると、私の中にも、私の中にすら学歴バイアスが存在する。やっぱり、いい大学を出ている人はそれなりに粒揃いだろう、とか。全然知らない大学名だと、ちょっとわからないな、とか。思ってしまう。悔しいことに。自分も学歴がなくて、それでジャッジされて悔しい思いをした癖に。

学歴はオワコンだ! と叫ぶ人からすれば、そんなのはただの肩書きで、実際にできることが重要なのだと思います。正直ついでにお話しすると、その気持ちもわかる。

……ところで、世の中で最も尊い才能とはなんだと思いますか?

世界には色々な才能があると思うのですが、私は「努力」こそが最も尊い、と思っています。HeaRの中ではよく炭火人材という言い方をするのですが(炭火は熱く、消えにくい。燃え上がることはないけれど、長く持続する)、努力を継続できる、ということは本当に強い。

ある意味学歴とは、物心つく前からの努力の継続の結果であるとも取ることができます。基礎を積み上げて積み上げて、一朝一夕ではなしえない学力の積み重ねによって完成したもの。未成年で、社会に出たことがないうちにその継続した努力を証明する一つの方法として、学歴は機能すると思っています。

もし、もしです。本当に学歴がオワコンになってしまって、未成年のうちの努力の継続というものが否定されてしまったとしたら、それはそれできっととても苦しい社会なんじゃないかと思うのです。

一部の、若いうちから何かに才能を発揮して学歴がいらないという人の存在ももちろん存じ上げています。でも、自分の学生時代を振り返っても、そんなふうに成れる人は本当に一握りでした。そんな時に助けてくれるのが、「継続された努力の履歴」――学歴。

大学を退学して、「継続された努力の履歴」を手放してしまった私は、正直何度もそれを羨ましいと思いました。

でも、だからといって、学歴のないひと――私のような――が、切り捨てられてしまう社会というのも、私は納得がいかないのです。

みんなが順風満帆に大学を卒業できるわけではない。社会に潜む格差の問題もあるでしょう。病気にさらされることもあるでしょう。ただただ、学歴がない=継続された努力の履歴を持たない、という結論に達してしまうことも、”学歴オワコン”と同じくらい、私が恐れることです。

全ての人の「努力の履歴書」を作りたい

学歴を持てなかった人。持たなかった人。学歴を選んだ人。気がついたら学歴が手元にあった人。いろんな人がいます。私はあらゆる生き方を肯定したいですし、そのためには「学歴」という努力の履歴書がない人も持ちうる「努力の履歴書」がほしいところです。

一般的にはそれが、ポートフォリオや職務経歴書に当たると思います。自分が何をしてきて、何ができるのか。それを詳らかに認めたものが、努力の履歴書になっているのです。

ただ、私はこういう「自己申告」のものだけだと、自分の自信のなさをカバーすることに不安を感じていました。誰か第三者が認めてくれるものがあれば、それは立派に私の「努力の履歴書」になるんじゃないかと思っていました。

一つが、リファレンスチェック。これは重要な努力の履歴書と言えそうです。前の職場でどう評価されていたのか、とか、そういうことが第三者視点でわかる。

もう一つの方法が、この度私が所属するHeaR株式会社で作った「ジョブテスト」だと思っています。

一言で言うとジョブテストは、スキルテストのSaaSです。企業側が指定したスキルテストを求職者が受けることで、自分のスキルを証明することができるのです。あくまでも、定量的に。その仕事をしていないとわからないような質問がズラーっと並び、それに回答していくとこれまでの努力が点数という形で可視化される。

プロダクト開発の段階で、いくつもジョブテストを受けてみましたが、例えば「採用領域」であればほぼ満点。ライティング技術もほぼ満点。でも、広告運用などのやったことのない領域に関しては本当に低い点数。なるほど確かに、これは勉強したことや経験したことがちゃんと点数として現れてくれるものだ、と思いました。

企業側にとってスキルを可視化することのメリットはHeaRの他のメンバーも語ってくれているので一旦割愛します。ただ私のような、学歴を選べなかったけれど社会でそれなりに努力してきた(と思う)人にとっては、希望のサービスなのではないかな、と思っています。

学歴は努力の履歴書だと言いました。だからこそ、オワコンなんかではないし、私のような普通の人は学歴を持っておくべきだった、とすごく後悔することもあります。でも、さまざまな理由で学歴を持つ、という選択をしなかった・できなかった人たちが社会の底で放置されるなんてことは、とてももったいなくて悲しいことです。

努力できることが才能だとするのなら、その才能を何歳から発揮したって良いと思うのです。25歳を過ぎて、30歳を過ぎて、もし新しい領域にチャレンジしたくて頑張って勉強したのなら、それが報われるべきだと私は思っています。

私たちが作ったジョブテストは、きっと次世代の「努力の履歴書」になれる。学歴だけでない選択を増やすことができる。私はそう信じて、ジョブテストを多くの人に届けたいと思っています。

学歴がない私だからこそ。ついそこに拘ってしまう私だからこそ。学歴がないのに採用の時についつい学歴をみちゃう私だからこそ。ジョブテストがあれば、肩書きだけではない努力の履歴を見ることができると思うのです。

ジョブテストの思想に共感してくれた人へ

このnoteを読んで、もしあなたが、「努力の履歴書を作る、いいじゃん!」と思ってくれて、さらにさらに応援してくれるつもりになってくれたなら、ぜひ検討してほしいことがいくつかあります。

  1. どうか、ジョブテストのことを応援してください。

  2. もしよければ、このnoteや、ジョブテスト関連のリリースを拡散してください。とっても嬉しいです。

  3. ジョブテストの受験を手伝ってくれる人がいたら、こっそり教えてください。今すぐではないかもしれませんが、ご協力いただける時が来るかも。

  4. HeaRへの入社を考えてみてください。(こっそり)

  5. ジョブテストを取材してくれたら嬉しいです。

もちろん強制ではないので、もしよければ、もしもしよければのお話しです。

学歴のない人たちにとっての「努力の履歴書」になること。
学歴があったとしても、自分のキャリアを変えるときの「努力の履歴書」になること。

全ての人の努力の履歴書、ジョブテスト。誰かを救うプロダクトに、なりますように。

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