YouTubeに自作曲「光の未来」のクリスマス・ヴァージョンをアップしました
医学部医学科卒の精神医療従事者にして、難病を克服するべく奮闘しているサウンド・クリエイターのKoki Kobayashiです。
大変長らくご無沙汰していますが、皆様はお元気でいらっしゃいましたか?
「光の未来 Christmas Version」について
さて、私はこのたびYouTubeとYouTube Musicに、自作曲「光の未来」のクリスマス・ヴァージョンの新作音源とオリジナル・ミュージック・ビデオを公開いたしました。
この曲はもともと「ひかりの未来」として公開していた楽曲の別テイクバージョンでして、タイトルも「ひかりの未来」から「光の未来」に変更しています。歌詞もそこここ変えているバージョンです(*^^)v
なお、このミュージック・ビデオはCanvaとPowerDirectorを使って制作致しました。
ヴォーカルは私の妻が担当しています。例によって家庭内手工業のように宅録による楽曲制作をいたしました。
「光の未来」の歌詞
今回の動画制作に当たっては、以前のバージョンとは歌詞と音源を変えたこともありますし、ここに歌詞を再掲しておきたいと思います。
なお、YouTube動画の方は、世に言う意味合いでのお祝いとしてのクリスマスのイメージを漂わせた楽しい動画にしてありますので、皆さんにも楽しくご視聴いただけるかと思います。御笑覧頂けたら感謝の極みです(*^-^*)
「光の未来 Christmas Version」
作詞・作曲・編曲・演奏・動画制作:Koki Kobayashi
Vocal:Towa Kobayashi
どんなときにも 笑顔でがんばる
あなたの姿は 私の希望の光
夢見ることは 不思議なんかじゃないよ
不安で いっぱいでも
トライしてだいじょうぶ
世の壁に打たれて
傷ついて 悔しくたって
夢をいだける その強さ
私の糧になって 光を紡いでいる
すごいね がんばってきたね
どんなときでも 向かい風は吹くもの
けなされたっていつも 微笑んでいるよね
そんなあなたに 私は希望を見る
不器用でもいいじゃない
あきらめなければ
「この夢 かなうのか?」
「道は本当にひらくのか?」
そっと その胸に訊く時も
闇夜の空にも お星さま光るよ
未来を一緒に生きよう
生きていること きっと偶然じゃないよ
あなたの生きた道 足跡が証
狭い迷路を 歩んでいたとしても
ゴールを目指せば 光が見えてくる
時にはつまづいて
人知れず 涙して
倒れたっていいんだ
投げなきゃ
完璧じゃなくても あなたはあなたでしょ
あなたのこと 大好きよ
「この夢 かなうのか?」
「道は本当にひらくのか?」
そっと その胸に訊く時も
完璧じゃなくても あなたはあなたでしょ
あなたのこと 大好きよ
光は もうすぐ そこ
ライナーノーツ~「ファンタジー」と「脱構築」再考
この「光の未来」のクリスマス・ヴァージョンの動画制作に当たっては、サンタクロースを初めとしたクリスマスにまつわるファンタジーを出来るだけ取り入れて楽しい動画にするように努めたつもりです。
「サンタクロースは実在する」という子どものファンタジーを何歳くらいまで保つことが出来たかで、その人の幼少期にどれほどの心理学的な「守り」があったかを知ることができるとされていた頃がありました。
そのような観点で子どものしあわせの按配を推し量るというのも、ある意味ではその学派の心理学のファンタジーに乗っていることですね。
むかしポストモダン運動が一世を風靡したころに、既存の価値体系やファンタジーの意味や意義を問い直す「脱構築」という作業が流行りました。
脱構築という哲学的な営みには勿論それなりの意味があったと私は考えているのですが、こんにちの社会のように、ありとあらゆるファンタジーに「守り」がなくなってしまうと、夢を持つ事も、志を抱いて生きることもしにくくなってしまうように私は危惧しています。
英語にvision(ヴィジョン)というコトバがありますが、その言葉の意味合いに近い日本語に「夢」や「まぼろし」などがあります。
聖書の言葉で恐縮ですが、聖書に登場する預言者の言葉に「まぼろしのない民は滅びる」とあるのです。
この場合の「まぼろし」とは、儚い幻想や幻影のことではなくて、ひとの生き方やいのちに力を与える意味でのヴィジョン(vision)です。
そして、このヴィジョンというものは実体としては具象的に捉えがたいものであり、基本的にはイメージとしてまたファンタジーとして認識できるものです。
既存の価値体系や規範やファンタジーの意義を破壊することに性急になり過ぎている感のある現代のヴィジョンなき日本社会において、人生や人のいのちすらコスパやタイパで考えるような心の貧困が生まれるのは必然的な現象ではないかと私は考えています。
ダイバーシティ(多様性)という脱構築的な価値観もまた新しいファンタジーに過ぎないことを見通していないと、国際化とかグローバリゼーションといった聞こえの良い流行のファンタジーとともに、多様性を過度に尊重することがかえってこの国の安全や社会構造を壊してしまうことにもなるのです。
臨死に際して大切な「ファンタジー」の力
話がだいぶん逸れたようですが、「光の未来」で私が表現したかったことは、人びとの心の平和と安定に寄与するファンタジーの大切さです。
私は子ども達と一緒に絵本を読むのが大好きですが、絵本と言うのもほんとうに素晴らしいファンタジーの表現ではないでしょうか。
何でもかんでもコスパやタイパばかり重視していく生き方は、臨死を前にしてはもはや通用しないのです。人が安心していのちを引き取るためには、何らかの「守り」としてのファンタジーや「物語」を必要とするのではないかと私は思うのですが、皆さんはいかがお考えになりますでしょうか。
結びに
今回の記事では、元型的心理学の創始者であるジェイムズ・ヒルマン(James Hillman)のイメージとファンタジーに関する論点にまで思いを馳せつつ脱線してお書きしてしまいました(^-^;
せっかくの楽しい動画視聴が小難しい記事で「脱構築」されていないことを願います(^^;
私は諸般の事情によりましてしばらくの間noteの記事の更新から遠ざかっていましたが、これからまた少しずつ継続して記事をアップしていきたいと思っています。
noterの皆様にはいつも変わらぬご厚情を頂戴いたしまして、心より嬉しく御礼申し上げます。
育児や発達障害(神経発達症)、トラウマや愛着と物語(ナラティヴ)やファンタジーと云った話題について、今後またお書きしていきたいと思いますので、どうぞ宜しくご指導くださいませ(*^-^*)
最後までお読みくださいましてありがとうございました。感謝いたします。
皆様のご多幸とご健勝を切にお祈り申し上げます(#^^#)