不要だけど好きなこと
なんでいつも楽しそうなの?とよく聞かれますが
別に悩みがない訳ではなく
1人でこういう遊びをできるからです。
サイコとかモノクロ映画のポスターをイメージしました。
これは単にヴィジュアル系がすきだからなりきり。
眼帯は自作。
別に誰かに見せるわけではなく(撮影したらやっぱり見せたくなりますが(^-^;)やりたいと思ってやってみた画像です。
仕事も含めinputが多いと脳のデータ残量が減りパソコンと同じく動作が鈍くなります。
得た知識をoutputしたり想像を具現化する事で脳は喜びます。
それが何かの役に立つかどうかは後の話。
まずは自分の中に何があるんだろうか?を知ることから
自分が出来ることも見つかります。先に役立つ理由を考えると役に立たないことは不要とされ行動する前に脳から消去されてしまいます。
もしあなたが会社から不要と言われたら?それ自体は確かに悲しいし生活に現実的な問題が出てくる大事件です。でも不要な物を全て排除する思考だとここで自分の存在意義を失います。
不要な物でも存在価値があると普段から思えていると「この会社では不要と思われた」と思っても他に必要とされる場所があるかもしれないと思える心の引き出しが持てます。
むしろ不要であったとしても存在価値はあるのです。
害になる、と不要はイコールではありません。
自分の人生に害になると感じたことは離れた方がいいし、
仕事上害になると判断されたら切り離されるのも団体生活では仕方ないと思いますが、不要なものを全て切り捨てて生きていると残るのはなんでしょう?
他者に対して価値のある物だけです。
他人から見た価値のあるものだけに囲まれると、それらの価値がなくなることが自分の価値がなくなることと結びつきしがみつくようになります。
それがブランド品を好きでもないのに身に纏ってしまう人の心理です。安いものを着たら自分の価値が下がる、古いものをまだ持ってると自分の価値が落ちる。
そう思うことで日々何かに追われてしまいます。
犯人の見えないホラー映画の主人公のような生活です。
追われるのではなく、自分で歩く人生へと切り替えるために
不要であることも時には必要であることを知っておいて下さい。
社会的な価値でなくても自分の中に価値があればいいのです。
そして本当に必要がなくなった物や思考は「今までありがとう」と手放して新しい自分に変われるようになるのではないかと思います。