悪性リンパ腫になった話
「摘出した扁桃腺を生検したのですが悪いものが、見つかりました。」
「えっ?」
「悪性リンパ腫です。」
「悪性リンパ腫???悪性リンパ腫って何ですか?」
「いわゆる血液のガンです。」
これが、悪性リンパ腫との出会いでした。。
「まだ、病理検査中なので詳細の内容は分かりませんが、血液内科の先生と連携を取っています。一度退院してから、2週間後に血液内科に入院していただきます。」
2010年7月13日、私は40歳の手前で突然、悪性リンパ腫という血液のガンの告知をうけました。
半年ほど前の2009年12月から右扁桃腺が肥大してきており、その摘出のため2010年7月から入院していました。
摘出も無事完了し、経過も順調で翌日に退院を待つばかりの状態でした。
当時は、悪性リンパ腫が何ものかも分からなかったせいか、死への実感はありませんでした。
ただ、息子12歳、娘7歳でしたので何とか5年、いや10年は生きたいと思ったことを思い出します。
妻にはどうやって伝えたかはよく覚えていません。が、当時の主治医には、まず私に告知してくれたことに感謝しています。
妻が聞いてもどのように私に伝えたらよいか迷うでしょうし、自分で聞くことで病気に向き合う覚悟が生まれたからです。
幸いにも私は今も元気に生きており、息子の一人立ち、娘の成人をこの目で見ることができ、また妻とも仲良く元気に幸せに暮らしています。
2023年3月、高校以来の親友も同じ病気にかかってしまいました。
原発は私の扁桃腺と違い、小腸原発の悪性リンパ腫でした。
彼も厳しい闘病に耐え、無事復帰しています。これからも健康であることを切に望みます。
この記事を書いたのは、私の経験から悪性リンパ腫について、以下を伝えたかったからです。
元フジテレビアナウンサー笠井信輔さんも悪性リンパ腫から復帰されていますよね。
医学的な事は、専門の先生や書籍に任せるとして、このnoteでは、私の受けた治療やその副作用、心の動きや考えたことなど、私の経験をお伝えできればとの思います。
記載の治療内容についても2010年時点のものであり、現在は別の治療方も出てきているかもしれせん。
あくまでも参考としてお読みいただければと思います。
私の病気の詳細(ステージ・悪性度)
私の病気の詳細の前に前提知識として簡単に悪性リンパ腫について書いておきます。
悪性リンパ腫にはホジキンリンパ腫、非ホジキンリンパ腫に別れます。日本人のほとんどは非ホジキンリンパ腫のようですが、その中でも多くの種類があります。
ちなみにリンパ腫には良性はありません。全て悪性です。
悪性リンパ腫では、知っておくポイントは3つほどあります。
・悪性リンパ腫の種類
・ステージ
・悪性度
私が罹患したのは、非ホジキンリンパ腫の「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)」(以下、DLBCL)で割と日本人に多い種類の型でした。
ステージは、ステージⅡでした。
右扁桃腺で病変あり。
また、手術の際、左側も少し大きくなりかけていたので組織を取り、検査をした結果、病変ありでした。
骨髄穿刺の結果は、骨髄にリンパ腫の浸透はみられませんでした。
よって横隔膜の同じ側にある病変が2つ以上のステージⅡとなりました。
悪性度は、月単位の進行ということで中悪性度でした。
ただ、病理検査の結果「CD5陽性」が分かり、予後不良でした。
私の悪性リンパ腫をまとめると以下になります。
ここで注意しないと行けないのはいわゆる癌のステージと悪性リンパ腫のステージの生存率は温度差があり、悪性リンパ腫の場合ステージⅣであったとしても悲観しなくても良いと思います。
また、悪性度についても悪性度が高い(進行が速い)方が、むしろ抗がん剤が作用しやすいとも聞きました。
ステージや悪性度で悲観せず、自身の状態にあった選択肢を主治医と相談し、前向きに治療することが大事です。
敵を知り、己を知れば百戦危うからずです!
治る確率はどれぐらい?
先に書いた通り、主治医からは入院時に「DLBCL」と「CD5陽性」で予後不良の因子がある告げられました。
悪性リンパ腫では完治という状態はなく、寛解(ガンが見えなくなった)状態を目指すのですが、通常は70%ぐらいの寛解率だが、予後不良因子があるため、寛解は五分五分と言われました。
しかし、あくまでも統計的な確率であって、私個人で捉えると寛解するかしないかなので確率など気にせず、寛解を目指してやるしかないという思いでした。
治療方針(抗がん剤標準治療)
腫瘍は右扁桃腺摘出で取り除き、左は少し大きくはなっているが、抗がん剤が効けば小さくなるので摘出はせず、すぐに抗がん剤治療に入ることにしました。
ぶっちゃけ、左扁桃腺が小さくならなければ抗がん剤が効いてないので他の手段を考えないといけないというような話があったように記憶しています。
DLBCLの標準治療はR-CHOPになります。
R:リツキシマブ(リツキサン)
C:シクロフォスファミド(エンドキサン)
H:ドキソルビシン(アドリアシン)
O:ビンクリスチン(オンコビン)
P:ステロイド(プレドニゾロン)
上記を3週間おきに8クール実施します。
ドキソルビシンは、一定量を超えると心臓への影響があるのでピラルビシン(ピノルビン)にすると主治医から提案があり、私もその方針に同意しました。
ドキソルビシンでも8クールであれば問題はないのですが、念のためということでした。
ということで治療方針は
R-THPCOP療法となりました。
抗がん剤のリスク
抗がん剤自体は、当たり前ですが体に良いものではありません。毒を持って毒を制すという考え方で、ガン細胞・正常細胞見境なく攻撃します。特に細胞分裂が多い箇所に影響(副作用)があるようです。
リツキサンについては、B細胞がもつCD20というタンパク質に結合し効果を発揮し、他の正常な細胞は攻撃しません。リツキサン投与後は、気分は悪くなりましたが、吐き気などの副作用はあまり感じませんでした。
翌日の抗がん剤投与後の方が大変でした。。
一方、リツキサン初回の投与については、過去に呼吸困難などの死亡例があるとのことで、点滴の速さ(時間当たりの量)をはじめは抑えながら様子を見て慎重な投与だったことを覚えています。
と説明もしてもらったので特に心配はありませんでした。
2クール目以降は、点滴は一定の速さで問題なしでした。
抗がん剤(標準治療)が効かなかった時は?
主治医は、万一、標準治療が効かなかった時の流れ(最後まで)も説明してくれました。
サルベージ療法でより強い抗がん剤を使用
上記NGの場合、自家造血幹細胞移植
上記NGの場合、造血幹細胞移植
という段階になるとのことでした。
これらの治療は経験していませんが、移植に関しては、まず強い抗がん剤で自身の骨髄までやっつけ、骨髄を空っぽにしてから移植になるとのことでした。
ガン細胞を叩くために自分の骨髄まで叩く。肉を切らせて骨を断つような治療なのです。
骨髄が空っぽになるということは、白血球をはじめ一時的に血液が造られないということです。
<自家造血幹細移植>
自身の造血幹細胞をあらかじめとっておき、抗がん剤で骨髄を空っぽ(悪性リンパ腫を根絶やし+正常な骨髄も・・)にしてから移植する。自身の骨髄なので拒絶反応は無い。
しかし、自身の骨髄であるため、悪性リンパ腫が残存している可能性があり、再発リスクはある。
<造血幹細胞移植>
こちらも抗がん剤で骨髄を空っぽにし、家族やドナーの方で適合する骨髄を移植する。他人の骨髄なので悪性リンパ腫自体は撲滅できる可能性が高いが、自身の体(臓器なども)も異物とみなして攻撃し、拒絶反応が起こる可能性が高い。
再発した時の対応は、まだあると安心した一方で、治療については大変であるということは想像に難くなく、考えたくないというのが率直な感想でした。
抗がん剤治療(標準治療)のスケジュール
標準治療は1クール21日になり、これを8クールつづけます。症状や病院によってリツキサン・抗がん剤の投与タイミングなどは変わる事もあるようです。
1日目 リツキサンの点滴
2日目 ピノルビン静注、オンコビン静注、エンドキサン点滴
2〜6日目 プレドニゾロン内服
6日目以降 特になし
抗がん剤治療自体は痛かったりするものではありません。
抗がん剤投与の後の副作用との戦いあるのみです。
あえて言うと抗がん剤治療前に行う骨髄穿刺は、骨盤に針を刺し検査のための骨髄を抜くので、痛いというかなんか気持ち悪い感じでした。
もちろん局部麻酔をしますので痛みは大丈夫なのですが・・・
ただ、うつ伏せに寝ている上に先生がまたがり、「えい!」という感じで腰に針を刺すので緊張しました。
また、骨髄を抜く時はなんとも言えない変な感じでした。
起こった副作用(10選+番外編)
以下の副作用は私が感じたものです。
治療内容や個人差で副作用の種類・つらさ・深刻さなどは、さまざまですので一例として読んでいただければと思います。
①骨髄抑制
〈期間〉
抗がん剤投与後4日目あたりから
〈どんな感じ〉
直接的に痛みなど何かを感じる事はない。
血球が作られなくなるので白血球減少で抵抗力がなくなる・赤血球減少で貧血ぎみになる・血小板減少で出血が止まりにくくなるなど痛み以外で気を使います。
下の画像で白血球(WBC)の数値の変化がみれます。
7/30リツキサン、7/31THPCOP投与でした。
8/6から骨髄抑制がはじまり8/10がピークの0.7で次のクールのはじまる頃には回復する感じでした。
ちなみに0.1を切ると抵抗力が無くなるのでクリーンルーム行きでしたが、幸い私は最低が大体0.7出したので大丈夫でした。
②吐き気
〈期間〉
抗がん剤投与後、5日程度
〈どんな感じ〉
私は普段気持ち悪い時もあまり吐かない方なのですが、抗がん剤の翌日は我慢できず吐いてしまいました。
個人差はあると思います。私が吐いたのは1回だけでしたので、ましな方だったかもしれません。
ただ、ひどい胸やけのような吐きそうな症状は毎回でした。
③味覚障害
〈期間〉
不明〜抗がん剤終了後いつの間にか回復
〈どんな感じ〉
大好きな生姜焼きに対して味や匂いが受け付けられず、とてもじゃないが食べれなかったのが衝撃でした。
④指の痺れ
〈期間〉
抗がん剤投与後6日目あたり〜抗がん剤終了後いつの間にか回復
〈どんな感じ〉
指先が痺れた状態になります。
手袋をして物を触るような感覚に近いです。
ひどい人はものを落としたりすることもあるようです。
⑤しゃっくり
〈期間〉
不定期〜抗がん剤終了後いつの間にか回復
〈どんな感じ〉
胸のムカムカと一緒にしゃっくりがくる。
何をやっても止まらなくなるときがあった。
夜7時から明け方3時まで止まらなかったことも・・・
その時は同室の方に迷惑になると思い、真っ暗な談話室で一人過ごした悲しい思い出があります。
⑥歯茎の痛み
〈期間〉
時々、抗がん剤投与後4日目ぐらい
〈どんな感じ〉
奥歯の歯茎の奥がズキズキ痛みだす。
抗生剤をもらい対処。
歯の治療は抗がん剤投与前に済まして置く必要があるようです。
⑦脱毛
〈期間〉
抗がん剤投与後2週間あたり〜抗がん剤終了後、2ヶ月程度から脱毛が治まって
〈どんな感じ〉
普通では痛くて抜くことができない、例えばもみあげ付近の髪の毛も引っ張ると怖いくらいスポスポ抜ける。
毛根を支える細胞にダメージが出るため、髪の毛が抜けてしまうようです。
痛みはありません。
毛根自体にダメージを受けているわけではないらしく、治療終了後には髪の毛は生えてきますのでご安心ください。
私は、治療後、天然パーマになりました。。
髪の毛が抜けるので、治療前に思い切って丸刈りにするのがおすすめです。
女性は抵抗があると思いますが、ウィッグなど活用すれば良いかと思います。
私は、色んなバンダナを巻いて楽しみました!
⑧爪の変色
〈期間〉
2クール目後半〜抗がん剤終了後いつの間にか回復
〈どんな感じ〉
爪の根本から黒紫色っぽく変色。
爪の伸びに合わせて増えていく感じ。痛みは無い。
⑨便秘・下痢
〈期間〉
不定期
〈どんな感じ〉
普通の便秘、下痢と変わらず。私は、便秘が多かった。
⑩ムーンフェイス
〈期間〉
不明
〈どんな感じ〉
プレドニンの影響で、むくんで丸顔になる。
番外編① 抗がん剤漏れ
〈期間〉
点滴失敗時
〈どんな感じ〉
前に看護師が刺してくれていたルートをそのまま使うことにしましたが、若干血管から抗がん剤が漏れていたようでした。
その時は研修医の先生で、点滴部分を触り漏れていると感じたようで「漏れた感じはしないですか?」と聞いてくれました。
私も漏れている感じはしたのですが、針を差し替えるのが億劫でそんなに大した事はないだろうと「大丈夫」とそのまま静注をつづけました。
すると、皮膚の内側にヒリヒリした痛みが2週間程度残りました。
抗がん剤の点滴漏れはかなり血管や周りの組織にダメージを与えるようです。違和感があった時は、すぐに伝えた方が良いです。
番外編② 点滴ルートのストレス
〈期間〉
点滴のルート確保1週間以上のとき
〈どんな感じ〉
点滴をして動いても大丈夫なように腕の血管にルートをさします。
私は、感染で抗生剤の点滴が必要となり、抗がん剤のルートをそのまま使いました。1週間ほど経つとなんとも言えないストレスで耐え切れず、ルートを抜いてくれと看護師さんに頼みました。
抗生剤の点滴は3時間ぐらいでしたので、普通の針を刺しての点滴でよければということで外してもらいました。
※点滴中、採血時の針を刺しっぱなしのような感じ
その場合、点滴中はベットから動けませんが、ストレス解放の方が大きかったです。
入院中にまずやったこと
看護師さんの名前を覚える!
病棟の私のフロアには看護師さんが10名以上いましたが、ほぼ全員覚えました。
看護師さんと喋りたいだけじゃないの〜
はい、そうです!(笑)
喋っているうちにシフトのパターンも覚えちゃいました!
真面目に言うと「看護師さんたち」ではなく、お名前を呼んで接することでコミュニケーションに深みがでます。
会話が広がり、何でもない会話が心身にも良かったのではないかと思っています。
もう一つは、頭を丸める!
これは副作用のところでも書きましたが、
まぁ、闘う覚悟ですね。
丸い頭は闘う姿(ファイティングポーズ)です。
主治医との関係(大切なこと)
主治医とは信頼関係が大事です。
本当の信頼関係を結ぶためには、全てを委ねる(お任せ状態)だけではダメだと思います。
もちろん治療自体はやってもらうことになります。
しかし、患者側も患者のプロとして自身の病気を知り、治療と向き合う事で主治医と深いところでの会話が成り立ち、納得の上、治療が受けれると思います。
どのような選択肢があり、何が最前かを主治医と話せる知識を持つこと(持とうとすること)、何がなんでも治そうという意志が重要だと思います。
参考ですが、
「心配しないでいいですよ 再発・転移 悪性リンパ腫」(畠 清彦 著 真興交易医書出版部)
という本が大変分かりやすく勉強になりました。
私が初めて主体的に主治医と相談したのは、2クールのタイミングでした。
割と早めに抗がん剤が効いて、肥大しかけていた左扁桃腺が2クールでほぼなくなった状態になりました。
主治医も抗がん剤が良く効いているという評価でした。
私は、
・CD5陽性の予後不良で再発のリスクが大きいこと
・標準治療は基本的には8クールで打ち止め
ということを考え、寛解のように見えるのであれば、一旦、抗がん剤治療を終了し、再発時のリトライ用に残りのクールを残したほうが良いのではないか?
と相談しました。
主治医の見解はNOでした。
拙いながら私の考えをぶつけることより、主治医もリスクや治療方針を分かりやすく伝えてくれました。
この件で主治医との信頼関係も深まり、方針も改めて私の腑に落ちました。
8クールの治療は大変辛いが、治療への向き合い方が前向きになったと思います。
このように患者の考え(稚拙であっても)や疑問を主治医に伝え、意見を交わすことにより、患者も主治医とともに治療方針を決定するプロセスが重要だと思いました。
患者はお客さんではなく、主人公であることが大切だと私は思います。
家族との関係(大切なこと)
患者にとって家族の支えは本当に重要です。
家族の支えがないと自分自身を支えることはできないんじゃないかと思います。
身の回りのこともフォローしてくれ、つらい時に弱音を吐くことができる。
一方で、患者も家族への思いやりや感謝は、どんなに辛い時でも忘れてはいけないと思いました。
5クール目から通院での化学療法に切り替え、自宅療養になりました。
その際、副作用が辛く、妻にあたってしまったことがありました。
普段は気丈な妻が泣き出し、びっくりしたことを覚えています。妻も相当我慢しているし、ストレスを抱えていたことだと思います。
当たり前ですね。
私に相手を思いやる気持ちが足りていなかったと反省した痛恨の一件でした。
患者は、家族も辛いということ、家族に支えられていること、一緒に闘っていることを常に心に持ち、感謝の気持ちを忘れないことが大切です。
心の持ち方(大切なこと)
家族への心の持ち方とは別に自身で心がけたことは、「笑う」「我慢しない」でした。
笑うことで免疫力も上がると信じています。
また、辛いことを我慢せず伝え助けてもらうことが大事だと思います。
そこには、感謝があるのが大前提!
病気になる前は、それはそれは仕事のストレスが大きい時でした。もう、消えてしまいたいと思うぐらいでした。鬱手前で笑うことはほぼ無かったような気がします。
なかなか人に頼るというのが上手くできなかったり、できないことを断るということが下手だった事もあったからかもしれません。
闘病中は、仕事のストレスは無くなったものの今度は病気や治療のストレスがかかってきたので、とにかく闘病中はお笑いを見たり、楽しいことを見つけることをし「笑い」を求めていきました。
また、気分が悪い時や発熱などの時は我慢せず、支援を求めました。看護師さんも我慢はしないように言ってくれたので大変助かりました。
この頃から「笑う」「我慢しすぎない(ちょっとワガママになる)」ということを大切にしようと考えていました。
ちなみに「笑う」は、自ら笑うでも良いし、家族や友人との関係、その他お笑いで笑わせてもらうことでもなんでも良いと思います。
楽しいから笑うだけでなく、笑うから楽しいでもいいですね。
感謝を前提に、ちょっとわがままになることと、楽しもうとする前向きな気持ちが大切だと思いました。
寛解後の治療と心がけたこと
2010年12月に8クール完了しました。
その後、PET-CTで問題ないことを確認し、寛解のお墨付きをもらいました。
寛解後の治療は特にありません。
定期検査(血液検査とリンパ節の触診)と年1回のPET-CTで検査のみです。
寛解後、心がけたことはストレスをためない!
以前は死んでもこれをやり切る!というような訳のわからない使命感で仕事をしていました。
「まぁ、いいか」と肩の力を抜くように心がけました。
カッコいい言葉です。好きな言葉でもありました。
確かに、世の中には本当に命をかけてしないといけない仕事や瞬間はあるかもしれません。
しかし、「死中に活」が日常では身体や精神が持ちません。
当時は仕事のストレスを抱え、泥を被りながら必死にやっていましたが、残念ながら?私がいない時も(当たり前ですが)仕事は回っていました。
そんなもんです。
なので仕事に心を砕きすぎない、抱えてなくてもなんとかなる、自分を追い込まないという気持ちになりました。
困難なことでも腰か引けないように「えぃ!」ってやってみれば案外なんとかなるもんだ。
ぐらいの意味で今は捉えています。
今の半農半Xにしたことにも繋がっているかもしれません。
その他、心がけたことは、食生活です。
加工肉の摂取は控えるようにし、ヨーグルトなどの発酵食品、青汁や野菜ジュース(濃いやつ)を積極的に摂取していました。
この辺りの効果はよくわかりませんが、とりあえず再発していませんので、悪くは無かったとは言えると思います。
再発の不安は受け入れてあげよう
寛解後は、再発の不安があります。
抗がん剤の副作用は、半年から1年ぐらいですべて無くなった(気にしなくなった)と思います。
しかし、再発については、CD5陽性の予後不良因子があることもあり、
再発を考えない日はありませんでした。
再発の夢もよく見ました。
標準治療でも大変だったのに再発するとそれ以上の過酷な治療になる、ということは分かっていたので本当に不安でした。
6、7年ぐらいは続いていたと思います。
これを長いと捉えるか、短いと捉えるかはありますが・・・
PET-CTは5年ほど年1回のペースで検査しましたが、何もないはずと思いながら、結果が出るまではいつも緊張しました。
また、検査をすることにより、悪性リンパ腫再発のことをどうしても考えてしまいます。
5年を目安で、もう大丈夫とPET-CTは終了となりました。
しかし、今度は検査をしないことで不安となり、再発への不安は残ったままでした。
しかし、6、7年ぐらいで徐々に悪性リンパ腫や再発のことを考えることがなくなってきたのもこの頃で、「あれっ?そういえばこの数日、悪性リンパ腫のことを考えてなかったな」と思う時がでてきました。
そして、いつの間にか再発を意識することがなくなりました。
病気のことについては自分の中で風化していくのが健全だと思います。
過度に不安がるのも良くないですが、不安な状態の自分も受け入れてあげてください。きっと時が解決してくれます。
お金の話 〜私の治療費用と病気になる前の備え〜
ガンの治療は、かなり高額になります。
当時の明細は捨ててしまったので、記憶ベースですが、リツキサン8万円程度、CHOPで2〜3万程度で1クール10時万円程度かかったと思います。
入院費も含めると月50万程度ですかね。
入院が4クール、通院が4クールでしたので170万〜200万ぐらいかかったと思います。
ただ、高額医療として自己負担の限度額以上の部分は健康保険組合から戻ってきますので、全額を支払ったわけではありません。
収入に応じて自己負担額の限度額は変わります。
また、事前に申請することで自己負担分のみ支払うようにすることもできます。
詳しくは、ご加入の健康保険組合に確認してみてください。
寛解後は私は通常の通院のような感じでした。
特に何もなければ、私は3000円〜4000円程度でした。
血液検査と扁桃腺の確認とリンパ節の触診のみ。
ただ、年一回のPET-CTはちょっと高く、3割負担でも3万円程度でした。ガン患者ではなく健康診断目的の場合は、確か保険適用とならず10万円程度だったと思います。
さて、生命保険の話ですが、みなさんは生命保険と聞くと何を思い浮かべますか?
おそらく、個人で加入しているがん保険や三大疾病などの医療保険や死亡保証を思い浮かべると思います。
しかし、それだけではなく住宅ローンを組んだ時に加入が必須である団体信用生命保険(団信)があります。
団信は住宅ローンを組んだ後、契約者が死亡などでローンが返済できなくなった時に保険でローンの残債が支払われ、家族には少なくとも家は残るという仕組みです。
なお、銀行の場合、保険料はローンの金利に含まれています。
昔は死亡保証がメインでしたが、近年はガンや三大疾病も保証する契約もあります。
金利は若干上がりますが、ガンが治る可能性が高い病気となった今、住宅ローンを組む際は、死亡保証だけではなく、ガンなど他の保障がないか確認・検討しても良いと思います。
私は当時800万程度の住宅ローンの残債がありましたが、団信は死亡保障でしたので保険はおりませんでした。
もし、ガン保険をつけていたら、800万のローンが保険で支払われていたのに残念です。。
医療保険よりはるかに大きな額でした。
しかし、ガンにならなければ、保険料や余分な金利は払い損ということになりますが、保険とはそういうものです。
万一のリスクをヘッジするという意味で入っておくことは賢明だと思います。
私個人としては、生命保険のガン特約をつけていたので保険金と入院給付金(1日1万円)でたいへん助かりました。
金銭面で家族の不安も和らいだと思います。
「保険料を払うのがもったいない。その分貯蓄、運用した方がいい」と言う方もいますが、自身のお金のポートフォリオの一つとして医療保険を組み込むべきだと私は思います。
保険は掛け捨てで無駄になる可能性がありますが、万一の際、まとまったお金が得られ、金銭面で余計な心配をしなくて良くなります。
できるだけ心労を少なくして治療に専念できる環境を用意することが治る事への重要な要素です。
大きな保険に入る必要はないと思いますが、
生活レベルに合わせた最低限の保障を健康な時に検討しておくべき、いや、健康な時にしか準備できないものだと思います。
病気を通じて得たもの
この経験は、自身にとっても大変辛いものでしたが、振り返ると今の自分を構成する一つの要素なので、大事にしていきたいと思います。
悪性リンパ腫に限らず、闘病はつらいものです。
しかし、自身の考えや心構え、振る舞いによって自分で生き方は選べると思っています。
この記事が、少しでもどなたかの参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
当初、有料記事にしていましたが、全文公開にしました。
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