自分の人生を本当の意味で豊かにしてゆくために、意識を洗い 建て直す。①( 真の言葉を探求し真のエネルギーを循環させる )
意識を洗う、意識を建て直す、的なことを主人としています。
私たちはわたしが陽であり主人が陰、わたしが火で主人が水、そしてわたしが行動をする役回りで主人が綿密に調査を担当する、そんな感じの夫婦の形。自分の意をそのまま外側に表現出来る(実行派)のが私σ(・ω・`)で 主人は比較的表情を変えず飲み込むタイプ(慎重派)なのです。
凸凹コンビというのは家族の機能として考えると違った部分の能力の違いがあるから分担がスムーズで作業効率が良いと常々感じます。
悪い意味だけでは無く それなりに違いがあるから理解し難い事があってもある程度意志を擦り合わせる作業も必要で、自分だけの視野より大きく広がることも違いある人と関わりを築いてゆくことの中には利点も当然ありますよね。
内側に言葉を飲み込んでしまったり表面で繕って生きていかなければならない、抑え込んで負のエネルギーを上手く排出出来ない、また善悪とか 正しいこと間違っていること、の中に生きる人達で常に対極(二極性)にあるものと闘っている、等 いろんな所でその摩擦から現象として傷の様なものが表面化し現象として現れる事があることを実感している方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
心身共に表面的に病状や何らかの負の現象などを予防するためにも、小さい頃から学校などで意識の使い方などを学ばせるべきだ…と 師となる人がかつて語っていました。子供たちがいづれ社会で生活してゆかなければならない時、
…だとわたしも思っています。
誹謗中傷被害で20歳代の娘が亡くなった報道を見ても、若すぎる死に本当に痛まし過ぎてこの世の中の闇の部分に悲しみを感じます。
…というところ。
言葉をその人がどう使うかによって(心の中の言葉と行動に違いがあったり、表現として言葉や文字にする事が、) 自分自身の人物像が作られてしまっていることに気づかないのか、想像力に欠けるのか、人生をかけた長い時間で使う修復し合える言葉、または育て合う言葉(関わり続ける事で言葉も成長し合ったり、言葉や文字は同じ言葉でも人によって意味合いやそこに込められた想いが違っていることに気付いてゆく、とか…)との違いはありますが、
…と物語っています。そもそも見ず知らずの、物事の本質を見ようとしない通りすがりの人物の 心無い言葉に心を痛め、なぜ人生に終わりを告げるように追い詰められなければならないのでしょうね。
その人それぞれに価値観や注目している視点、重要だと思っていること、などが違ったりすると認識にズレが生じて誤解を招いたり、逆に思い込みからの側面の姿しか感じられなくなって 本質とは掛け離れた その人が解釈した独自の像を創り出していることが殆どです。血の繋がりのある家族間でさえ真の姿で関係を築いている人も多くないのではないでしょうか?
巷で耳にする、人はその人の(解釈した)世界(だけで)で生きている。という表現は、人と人は違う人生の道に生きるけれど交点として人と人が交わった時触れ合う言葉には 別々の生きてきた道(個々が解釈した世界)で使われている言葉に完全なる理解による一致はそもそも得ることは難しいとも思われます。
まだ 密接した接触はワクチンが開発され人類全体に免疫が付かないと難しい状態です。だからこそ、曖昧で人生に活かしようが無い関わりや時間、お金の使い方など、今まで時間に追われ 目を向けられなかった部分にメスが入り、必要が無かったものとの継続は難しい時代に突入してゆくのではないかとも思われます。
そして その密な身近な関係の関わりを深めてゆくのには真実の言葉、互いの真を見極めてゆく根気強い関わりが大切になってゆきますよね。
天寿さんのblogにもあるように、真実、事実は何か?嘘や虚実とを区別し見抜き、表面上の言葉や出来事に惑わされない自分を創ってゆく必要があります。自由な表現で自分を解放してゆくことと虚実を語り感情を煽ることとは全く違った意識の使い方です。
と 天寿さんは 表現されています。
誹謗中傷被害や政治操作によるフェイクニュース等からも、安易な言葉を使う関わりやネット上の言葉には信用性が低いものが多い…とも、読めます。ネット上の言葉よりも現実にその人がどう生きてどう人生経験の中で活かしているのか?…事実はどうなのか?が重要になってくるのではないでしょうか。言葉や文字だけに惑わされない自己が確立されて行くことも、このタイミングで強いられてきます。
家庭内の粗大ゴミや衣類の量が今までになく増えている、との報告もありますね。
色んな場所で 在り方そのものが見直され 大きな変化を余儀なくされる中、不必要な会議が無くなったり、会社そのものの場が無くなり家庭だけで仕事をする方向に変わった職場も報道されています。時間や経費も無駄な部分が手放され、より有効に重要な部分にエネルギーを循環させるため意識改革され続けて来ています。
自粛によって工場や車からの排気も減少し、自然の環境改善は目覚しく エッフェル塔が見えるようになった、ヒマラヤ山脈が見えるようになった…などなど、地球の空気環境も良くなり、自然環境の改善→そして人類が呼吸する空気が綺麗になった。
…と、
今までにない時間が与えられた事によりスッキリ整理され、もう必要じゃないものをしっかり判別出来て、人の死がこんなにも容易く目に見てしまう世界を突き付けられ、自分自身の生きる時間に 自分が大切なこと、自分にとって大切なもの、自分にとって大切な人と自己エネルギーを対、それ等、と 交流させ使いたい、と 意識新たにされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
以前、 メイコさんも動画で伝えていました。
聞く耳を持たない、とか 勝手に内面で不満を募らせる…人の言葉を言わせない(これからは聞く耳を育てて行く)、自分の言葉を言えない(これからは伝える力を育てて行く)…そういう時代は終わりを告げました。その人にとっての真の言葉を発信し 真の言葉を聴き取ろうとする努力をしてゆく、その相互関係から言葉、想い、意識、知恵が深まり、高め合ってゆく…という感じ。
自分にとって本当に必要な情報を自分に取り込み、自分の人生、机上のものでなく自分が活かされながら経験を重ねてゆくように、曖昧で無駄に時間やもの(物・人)、こと、に使うのじゃなく、自分の人生を本当の意味で豊かにしてゆくように…。
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