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今だからこそ 自分が自分との対面を果たし 『今 現れてくる現象そのもの』を自ら癒す
自分自身で 自分を癒やす。
やんたらジローさんのワークショップで瞑想を沢山経験した事があります。2年間位かな♪
一回1時間程の瞑想を何度も…。意識の旅を幾度も経験しました。
彼はライトランゲージと言われる宇宙語、光の言葉とされる 美しい響きをもつ言葉の羅列、発音と響く音を使い、ミュージシャンと言われている様に音域も幅広い。
そして誘導するストーリーにふさわしい場面場面でのメロディをドラマティックに使い クリスタルボウルの響きを取り入れ 言葉で誘導もして行きます。
どんな誘導の場面で どんな音やメロディがふさわしいか…熟知され洗練されたものをたくさん受けて来ました。
具体的な言葉で 雁字搦めに言葉の通りコントロールされるものではなく 場面場面での細やかな描写だったり創造は 『充分な無言の間』が与えられ私たちに委ねられます。
○○に対する瞑想…と 明言せず、瞑想を受けた時、ある回の瞑想で不思議な体験をしました。
それは 意識の深く 深く潜って もしくはどんどん切り開いて 辿り着いた扉の向こう側に『小さな子どもが居る』って表現だった。そしてその『小さな子どもに言葉を掛けてあげましょう』…って誘導されました。
充分なジローさんからの無言の間…私たちの創造の時間の中で 私は小さな子どもと対面し 言葉を掛けていきます。その子は小さな女の子で おかっぱで赤いスカート姿で 正座をして緊張していたようだった。
彼女は言葉を発しなかったけれど 私は言葉を掛けてハグをした。
そして この小さな女の子は『わたし』だな…と分かりました。誘導瞑想から戻って覚醒してから 『幼少期の私』が既に癒やされた『大人になった私』を体験しています。
『癒やされる』…というのは、幼少の頃 辛く悲しい経験はしたけれど その経験がまるで無かったかのように なに一つ問題無く 今に影響を受けることなく『今に“わたし”が在る事が出来る』状態になった体験をしています。
それらの過去経験がそのままの『今の私』と、
それら過去経験が癒やされた『今の私』は
まったく感覚が違い、存在そのものが違っています。
何故 自分が 自分自身を癒やす必要があるのか…の根本的な意味を 実体験で腑に落ちました。これは 自分自身の内面は 自分にしか知り得ないのだから当たり前といえば当たり前なことです。
他者が、外側の何かが、
自分を癒せるのはいっとき それをしのぐだけのことで、どうしても 自分自身の意識の奥深くには 『自分自身で潜っていく』必要があります。
…でなければ
今に現れる過去からのsosとしての現象や外側から提供される癒やし に依存し続け いっときしのげる状態の繰り返し。
そしてそういったことが蔓延していることに
気付いている人たちも多いでしょう。
自分自身が 自分の内面、意識の奥深くに潜って 奥底の方に これまで手を掛けてあげられなかった、
自分の意識を向けてあげられなかった、
『小さな“わたし”』が引き受けて来たものを
ていねいに やさしく…、
今だからこそ 自分が自分との対面を果たし
今 現れてくる現象そのものを
癒やしてあげられるのは
『自分自身しかいない』…といえます。