奈良クラブを100倍楽しむ方法#番外編〜奈良の林業とユース組織の未来〜
文語でいくと、どうしても堅苦しい感じになってしまうので、今回は口語調にして、難しいことでもできるだけ簡単に聞こえるように書いてみようと思います。今回書くことは、実はめちゃくちゃ難しいことですが、これはどんな立場の人も知っておいてほしいと思うので、あえてこういう雰囲気でいきますね。
去る8月11日に、奈良クラブ主催のイベント「ファンコミュニティ会員ブルーディアイベント@吉野郡川上村」に長女と参加させてもらいました。抽選ということでかなりの応募多数だったようですが、めでたく当選です。サイン入りボールで運を使い果たしたと思っていましたが、もう少しだけ残っていました。
このイベントは現地までの行き帰りをチームバスで送迎してくださるという、びっくりするぐらい贅沢なイベントであります。また、現地では奈良クラブの選手さんともBBQができるという、至れり尽せりなイベントなのであります。
もちろん、今回はそれを目的に応募したのですが、このイベントには森林学習というもうひとつの趣旨がありました。そこで聞かせてもらったお話が大変興味深かったので、「当選したからにはシェアせねばなるまい」という義務感にかられて書き記しておきます。
森林のお話をするまえに、川上村について知っておく必要があります。奈良県の川上村は、近世から林業がさかんな地域でした。安土城や大阪城の建築にはここの木材が使われたという記録もあるくらいです。
変化があったのは江戸から明治期になります。奈良県に住んでいる小学生は、副読本「奈良県のくらし」で川上村で林業に革命をもたらした土倉正三郎について学びます。彼が起こした変化をまとめると、①質の良い木材を大量に作る方法を編み出した②できた木材を運び出す道を整備した、のふたつです。詳しい話は飛ばしますが、日本はこのあと、戦前と戦後の2回にわたって木材の需要が高まり、川上村をはじめとする紀伊山地は全国でも有数の生産地になります。
①に関しては、独特な方法として「超密植・多間伐」という方法が知られています。簡単に言うと、同じ面積の土地でも、川上村では他よりもたくさん苗木を植えて、だいたい同じくらいの太さの木が育つように管理していきます。密になりすぎると木は大きくなりませんので、細い木と太い木を伐採し、間隔を揃えていくそうです。葉と葉が触れ合ってしまう距離感ではもう狭いのだ、と教えてもらいました。この維持管理のために、川上村では山守制度というのが作られています。これは公費で山の維持管理をする人を雇うシステムです。ただし、時代とともに山守はかなり数が減っているそうです。
②は輸送経路の確保です。もともと川上村は、木材の輸送は吉野川(紀ノ川)を使い、木材を筏にして下流へ流して運んでいました。しかし、これをすると輸送中に、とくに最初の方の木材が、傷んでしまい市場価値が下がってしまいます。これを防ぐため、吉野川ルートをやめて、陸路での輸送を始めました。そのための道路の造設にも土倉は尽力したそうです。「面白そう!」と思った方は、詳しくは以下のリンクから参照してください。
どうしてこの話が心に残ったのかと言うと、奈良クラブの濱田社長が、最近クラブの未来についてこのようなポストをされていました。
これに関わって、奈良クラブの育成システムについても、かなり詳しくnoteを書かれています。こちらもご参照ください。
他にも挙げればキリがありませんが、奈良クラブが目指す理想の姿の参考として、川上村をはじめとする林業の昔、今、未来を知ることはとても意味のあることだと感じたのです。内容は膨大になるので、できるだけかいつまんで書いてみようと思います。外野からのかなり無責任なことを言うことを承知で書いていきます。
①均質性
建築資材にするには均質性が重要だと教わりました。特に川上村の林業の方法では、木の根本から先端まで、幹がほとんど同じ太さになるように育てているそうです。(前のリンクの写真をご覧ください)こうすることで、無駄なく木の全体が資材として活用できるとのことでした。
どの木を切っても同じクオリティというのが大事で、資材として市場に出回るためには「はずれ」があってはなりません。自然から生み出す資材を均質にするのは並大抵の努力では成し得ないことです。事実、管理する人が少なくなっている現在では無理がある、とも教わりました。また、両極にある一番太い木と細い木は切ってしまう、という方法も興味深いです。
さて、これは奈良クラブの育成にどう関わってくるのかというと、「奈良クラブユース出身の選手の均質性」ということにつながります。簡単にいうとブランディングです。比較になるのはFCバルセロナのユース組織、通称ラ・マシアです。バルセロナはユースが充実していますが、トップチームに上がれずに別のチームに移籍するケースも多々あります。トップチームは4分の1から3分の1が移籍してくる選手で占められていて、マシア出身のバリバリのトップ選手もたくさんいることから、実はユースからトップに上がるのは狭き門です。例えばあなたがバルセロナユースの中盤でそこそこやれているとして、トップチームにイニエスタ、チャビ、ブスケッツがいたらどう思いますか?彼らを押し除けてスタメンで出る自信はありますか?難しいですよね。なので、それなりの年頃になって「トップは無理かもな」という選手や、あるいはすでに十分活躍できるがトップには空きがないという選手は移籍を選択します。その時に「バルセロナのユース出身です」というのは、品質保証という意味でかなり強いカードになります。「そこだったら間違いない」ということですね。奈良クラブも同様で、「奈良クラブユースの出身だったら間違いない」というレベルの育成システムができれば、トップチームも間違いなく強くなります。そのためには、ユース出身選手がリーグ戦で活躍するというところが一つのゴールになるはずです。濱田社長は2030年というところを一つの区切りに設定されています。この先、バルセロナのようにユース出身者でスタメンの半分以上を占めるようなチームになれれば、かなり色を出していけるように思います。
ただ、バルセロナのユースの品質保証というは、バルセロナがどの年代のチームでもトップチームと同じ戦術を採用し、上から下まで同じ考え方で指導しているというところも大きいです。簡単に言うと、ポジショニングと足元の技術の高さが売りです。多分、「うまい」「つよい」だけでは他のJクラブのユースとの有意な差は出ません。奈良クラブは(アメージングアカデミーも含めて)、かなり特化したプログラムをしているようなので、そうしたところをどこまで出せるか、という意味では、「この指導方法でプロになれますよ」という証拠を示さないといけません。ゆえにトップチームの躍進は必須でもあります。
②木を見て森を見ず、森を見て地球を見ず
森を豊かにするためには間伐(不必要な木を切ってしまうこと)が必要です。これをしないと、森林や山の機能が落ちてしまいます。逆説的な言い方ですが、不要な木は切らないと、自然の力が維持できないということです。
しかし、環境保護の観点から、絶対に一本たりとも木を切るな、みたいな言い方をされて困っているという話も聞きました。最近はSDGsや温暖化などで、環境問題を身近に感じることも多くなりました。なんとなく、木がたくさんあればいいなあ、と思っていますが、それと間伐とは全くお話が違うことだと力説されていました。
しかし、なぜそれができないのかというと、日本全体での森林業界の仕組みが邪魔をしています。本来、林業というのは全体(ひとつの森、ひとつの山など)を見据えた森の維持が必要です。しかし、木材としての需要なまだほんの少しありますが、森を維持することそのものに市場価値が見込まれていないので、その労働に対する対価が払われないというのが現状のようです。木材にならない木を切ることに、お給料が支払われないと言い換えてもいいかもしれません。結果、森林を維持管理する人が誰もいなくなくなってしまったそうです。たまに、山肌に木が切りっぱなしで放置されているところを見ますが、原因はこれだとおっしゃっていました。この後にも話しますが、日本の木材市場のほとんどは外国産で占められており、国産の木材の需要はかなり少ないです。売れないから、と言って森を放置すると、森の力はどんどん失われ、次に木材を育てようと思ってもかなりの時間と労力、費用が必要になります。
フットボールチームにこの話を当てはめてみましょう。手っ取り早く勝てるチームを作るには、お金をたくさん注ぎ込んで、良い選手を買い集めればそれなりに強くなります。そのためには、外資系の大きな会社にクラブを買ってもらうのが、目の前のリスクは一番少ないでしょう。ただ、そうすることで失われるものも確実にあります。今の奈良クラブのような、パスワークを主体とするチームは短時間ではできません。おそらく、前線に「高い・速い・強い」という選手を配置し、そこにロングボールを蹴り込み、その選手がなんとかする、というようなフットボールになるはずです(大宮がオリオラを獲得したのが良い例です)。これが一番勝てる(負けない)フットボールだからです。その時は勝てるかもしれませんが、その会社が撤退したり破産なんてしてしまうと、そういう高い選手は放出せざるをえません。残ったメンバーで、別のフットボールを構築するのはかなり時間を要するはずです。これが「お金を突っ込んでとりあえず強いチームを作る」ことのリスクです。あと、お金をたくさん注ぎ込むと、間違いなく「そのクラブらしさ」は失われます。また別の「らしさ」も生まれるのですが、それが地域に根ざしたカルチャーと結びつけられるかは難しいところです。個人的に、マンチェスター・ユナイテッドが近年あまり勝てないのは、お金持ちの会長とマンチェスター・ユナイテッドのカルチャーとかちゃんと噛み合ってないからだと思っています。
加えて、奈良クラブはバルセロナ方式を模倣した「トータル・フットボール」を追い求めるフットボールスタイルを志向しています。これは足元の技術だけでなく、ポジショニングも相当重要になります。これは育成年代で教えておかないと、大人になってからではこれまでの癖が抜けきれず、適応できないことが多いです。新規に加入した選手がなかなか活躍できなかったり、不自由そうにしているのはそういう理由です。手っ取り早くお金を注ぎ込んで勝つことを選ぶと、こうした下からの積み上げが帳消しになってしまいます。育成でしていることを、そのままトップチームでやってこそ、育成の意味があるのです。
フットボールクラブにとって、ユース組織というのは、お金を投資することばかりで、投資した資金を回収するのはかなり難しいのですが(育成というのは市場原理の真逆のシステムです)、奈良クラブの規模で奈良クラブらしい育成システムを作ろうというのは、「J1で優勝目指します」と同じくらい夢があることです。今後、もしかしたら、外から獲得する選手ではなく、多少荒削りでもユースの選手を優先してトップチームで使う、というような方針を出すかもしれません。そのとき、一時的にせよ、結果が出ない時期もあるかもしれません。本当はそうなってはダメですが、そういう時も「明るい未来」を信じて応援することが必要になると思います。
③時間と倫理
最後がある意味まとめと本題です。紀伊山地の人工林は480年の歴史的な伝統があります。昭和期の建築需要の高まりから植林の規模を拡大しましたが、林業には構造上致命的な弱点があります。それは、木を植えてから50年ほど経たないと木材にはならないということです。時間がかかるということですね。日本の林業の最大の悲劇は、最大需要があったときに植えた苗木が木材として使えるようになったとき、そもそもの需要が減少したことと、海外木材に市場のシェアを取られていたということです。大量の在庫は不良債権になってしまいました。また、木材に関しては、お米とは全然違って関税はゼロ。つまり、国産の木材を守るための政策はまったくなされていません。これが日本の林業が立ち行かなくなっている要因となっています。そもそも、現状採算が取れない仕組みになってしまっています。誰の目にも失敗は明らかです。明らかですが、昭和期に植林を拡大しようと決めた人のことを「失敗の責任はあんたたちだ」と責められるでしょうか。少なくとも僕にはできません。
人間はその時、その時で「これがベストだ」という思いで物事を決めます。後から振り返って「なんてバカなことをしたんだ」ということでも、そのときはベストだと思ったという事象は歴史上数えきれないくらいあります。
「あいつらはバカだった」と批判するのではなく、「どうしてその時ベストだと思ったのか」を想像し検証することが大切です。後出しジャンケンなら、誰でも勝つことができますから、それをすることに意味はありません。特に資本主義の社会の中では「売れる」ということが一番の価値になるので、「売れない」ものに費用を割くことは、必要と分かっていてもあまりされません。ユース組織は、今の言葉で言うとコスパもタイパもめちゃくちゃ悪いものです。それでも、ここに投資しようとしている奈良クラブの方法には夢を感じますね。これは応援したい。
この動画では、特に奈良クラブの育成組織について詳しく説明されています。「J1昇格も目じゃない!」というふうに説明されていますが、物事はそう簡単にはいきません。何かを育てるということは、かなり長い時間がかかります。始めた人の意図が貫徹されることは難しいです。時代の変化や価値観の変化、人の変化、そういったものに必ず影響されます。そして、始めた人はどんな意図でこれをしたのか、は世代が変わるごとに忘れられてしまうことが多いです。バルセロナも、最近はこれで四苦八苦しています。変えることの良し悪し、意図の検証、さまざまな立場の人間がこれを考える必要があります。難しい言葉でこれを「倫理」と呼びましょう。もちろん、変わるところは変わる必要はあります。大事なことは、「何を変えてはいけないか」を共通理解しておくことです。
都並選手、小谷選手の存在感
目先の勝ち負けはとても大事です。それと同じくらい先々の奈良クラブの姿を想像することもめちゃくちゃ大事なことです。「そんなうまくいくのかなあ」とも思いますが、僕は実は結構「いけるんじゃないか」と思っています。その理由は、都並選手と小谷選手の存在です。
練習を見ていて思いますが、都並選手は誰よりも練習に熱心に取り組んでおられます。紅白戦では試合さながらのタックルで削りにいくし、パスをミスした時は誰よりも悔しがっています。特に若手選手に対しては、厳しい言葉もありながらも、常に高いレベルを要求しようという情熱を感じます。見ていてあまり嫌な気分にならないのは、それがチーム全体のためだ、という意図をみんながわかっているからではないでしょうか。小谷選手は、厳しい言葉よりも励ましの声かけが多い目です。一人一人に寄り添うような佇まいはまさに「キャプテン」という感じ。一番声を出しています。自分の役割をよくわかっている人だなあと感じます。
奈良クラブは、クラブとしても若いですし、トップチームの年齢構成もかなり若いです。ただ、彼らのような全体性を考えてくれる選手がトップチームにいることが、ブレずにチーム全体が強くなる可能性のように思います。どうしても試合のレビューを書いていると、出場選手だけのことをになってしまいます。仮にベンチ外であっても、しっかりと役割を果たしている選手がいることが、奈良クラブの隠れた強さなのかもしれません。見えているものだけにとらわれると、全体性を見失ってしまうんだあ、という教訓を得たイベントでした。