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奈良クラブを100倍楽しむ方法#023 前半戦総括 ”わすれてしまうまえに”

わすれてしまうけれど
誰もが大切な
昨日、今日、明日に
物語と音楽を

Polaris(Yusuke Oya) 「わすれてしまうまえに」

J3は夏の中断期間に入った。奈良クラブは23試合戦って5勝10分8敗の勝ち点25。15位というところである。間違いなく昨シーズンよりも苦戦しているわけだが、この苦しみを「産みの苦しみ」と捉えるためには、昨シーズンと何がどう変わったのか振り返る必要がある。人間は忘れてしまう生き物だが、忘れてしまうまえに振り返っておくことで、これからの光が見えるのではないだろうか。中断期間を利用して、二人の選手を中心に今シーズンの奈良クラブの特徴を描き出してみようと思う。今回は一人目、岡田優希選手だ。
先に言っておくと、僕は岡田優希選手が大好きだ。めちゃくちゃ好きだ。なんやかんや言って、ロートフィールドには彼を見に行っているというくらい好きだ。なので、この文章にはかなり贔屓が入っている。ただ、テクニックやセンスよりも運動量が優位な現代フットボールにおいて、彼のような繊細でロマンティックな選手のプレーを間近で見ることができるのはとても貴重なことだと考えている。

試合前から岡田選手は追いかけてしまう

キーワード①「接続/切断」

フットボールには色々な捉え方があるが、これから僕のノートでは「接続」と「切断」という言葉をキーワードにしたい。というのは、戦術というのを語る時にどうしてもフォーメーション図のようなものに依存してしまい、個々人の特性や魅力を十分に表現できていないように感じていたからだ。最近は極力それを使わないようにしていたのだけど、そうすると今度は文章が冗長なものになってしまう。だらだらと説明をしたところで、結局はなにが言いたかったのかわからない、という文章になりがちだ。
なにか上手な言葉で表現できないかということで、見つけてきたのが「接続」と「切断」である。これは千葉雅也さんの近著「センスの哲学」からの流用であることを、ここに記しておく。決してオリジナルではない。「接続」と「切断」という言葉だけを聞くと、「接続」=パスを出すこと、「切断」=守備、のように感じることだろう。そういう意味もあるが、ここはもう少し広い意味で考えている。詳しい解説はあとでするので、とりあえず今は言葉だけを押さえておいてほしい。

キーワード②「ボールの有/無」

もう一つ、フットボール選手についての解釈に、ボールを持っている時に輝く選手と、ボールを持っていなくても輝く選手という分類もある。実はこれも重要な要素だ。ボールを扱うスポーツなのに、ボールを持たなくても輝く選手がいる。奈良クラブなら、神垣選手や國武選手、下川選手がそうだ。フリーランニングを惜しまず、相手の攻撃を止め、味方にボールを渡す。オシム流に言うなら「水を運ぶ選手」という表現をするだろう。いわゆる、ハードワークを惜しまないタイプの選手だ。それとは反対に、ボールを持って初めて輝く選手もいる。これも奈良クラブの例で行くと、岡田優希選手、田村選手、パトリック選手あたりになるだろう。どちらかと言うと天才肌、テクニシャンなイメージのある選手だ。中島選手や嫁阪選手はその間といったところだろうか。
この「接続/切断」という縦軸と「ボール有/ボール無」という横軸の4象限から選手の特性を比べてみると、今年の奈良クラブの攻撃が完全に去年にくらべてフルモデルチェンジしようとしていることがわかる。

フットボールにおける「接続」とは?

それでは「接続」と「切断」について詳しく書いてみよう。「接続」というのは、文字通り何かと何かを繋げることだ。流動的なパス回しであったり、気の利いた立ち位置で守備網を構築すること、こうした「誰かと連動して何かをすること」を「接続」と表現すると定義しよう。
奈良クラブで「接続」と聞いて真っ先に思いつくのは山本選手だ。彼はパスを出すだけでなく、引き出すのもうまい。しかもワンタッチ、ツータッチで味方に返すので、攻撃に流動性が生まれる。音楽でいうところのメロディラインを構築するような感じだろうか。あるいは森田選手のミドルレンジのパスも、「そこに出しますか」というコースに蹴り込むことがあり、これも転調のような効果がある。どんどん曲調が盛り上がっていくような印象を見るものに与える。これが「接続」かつ「ボール有」の選手の役割だ。
「接続」というのはそれだけではない。先も書いたが、「接続」かつ「ボール無」というタイプの選手もいる。國武選手や神垣選手がそうだ。彼らのフリーランニングは、自分がボールをもらうためではなく、誰かにボールを渡すための囮の役割も多い。相手選手の多いところにあえてポジショニングすることもある。どちらの選手も足元の技術や身のこなしは長けているので、そこにボールが入ったとしても展開できるのだが、それでも「ボール有」の選手を生かすためのポジショニングであることは変わりない。なお、この手のタイプの選手が自チームのための「接続」のプレーをすることが、相手チームの「切断」になることもある。いわゆるボール保持というのはこれのことを言う。特に國武選手の、相手に密着されたところを瞬間的に引き剥がしてボールを受けるプレーは、保持の中でも自チーム全体が前に進むことができるプレーなので、かなり効いている。
ちなみにフットボールのチームは、基本的にこうした「接続」の選手を中心に構成される。どうやって「接続」の回路を確保するのかの工夫がフォーメーション図だったり、戦術と呼ばれるものである。試合後のデータサイトなども、どうやって「接続」しようとしていたのか、という視点で見ることでおおよそ意図は理解できる。これに加えて「データ上ではこうなっているけど、印象としてはそうでないあ」という類のゲームもあり(パッと言われて思い出せないが)、その違和感が戦術理解のとっかかりになることもある。

フットボールにおける「切断」とは?

さて、次は「切断」について考えてみよう。ボールを奪うための「切断」についてはもはや述べるまでも無いだろう。これは端的に守備のことだ。ここで僕が言いたいのは、攻撃における「切断」である。具体的にいうと、これは「ドリブル」と「シュート」である。正確に言うとサイドチェンジと縦パスも「切断」の部類にはいるのだが、ややこしくなるので、今回は置いておく。
ボールを使ってゴールを決めるタイプのスポーツにおいて、パスというのは、かならず2人以上の関与が必要だ。しかし、ドリブルとシュートはん一人で完結する。逆に言うと、このプレーには、ボールを持っている人以外が関わることがとても難しいのだ。難しいがゆえに、「接続」を大事にしすぎてパスを回すことを手段ではなく目的化してしまうと、ドリブルやシュートが自己満足的なプレーと評価されてしまうこともある。しかし、ゴールというのは相手から与えられるものではなく、奪うものだ。そのためには、「ドリブル」と「シュート」という自分のチームの攻撃を「切断」し、新しい局面に変えてしまうプレーが絶対に必要である。
そして、昨シーズンは浅川選手の「シュート」が奈良クラブの「切断」パートだったのだが、今シーズンは岡田優希選手の「ドリブル」がそれにあたる。この変化への対応が、今シーズンの前半戦、特にうまく切り替えられなかった要因であるように思う。
「接続」のときに出した「ボールの有/無」という変数を、この二人に適用して解説してみよう。浅川選手は「ボール無」でも輝ける選手で、「切断」の方法はシュートだった。おかげで浅川以外の選手は、全員「接続」パートをしていても大丈夫だった。決定的な「ここ」という場面、タイミングで浅川が点を取ってくれる。そこまでは相手が諦めるまでパスを回し続け、かならずどこかにできるであろう隙をついて、浅川がシュートを放つ。これで得点を量産し、勝ち点を積み重ねることができたのだ。浅川以外が「とにかく繋ぐ」に集中することができたので、仕事の役割に均衡が保たれていた。おそらく、バランスだけを取ってみれば、昨シーズンの方が安定していただろう(ゆえに失点も少なかった)。
浅川の「切断」の力は相手チームにも作用するところがストロングだ。奈良クラブが防戦一方になっても、彼がその流れを切断し、試合展開など関係無しに得点できたことも、勝ち点を積み重ねることができた要因だった。

岡田優希選手の「切断」の魅力

岡田優希選手は「ボール有」の「切断」のプレーをする。つまりドリブルだ。今季の奈良クラブの攻撃は、ボールが岡田優希に渡るまで、とその後、という2つのターンに分けることができる。まずは彼が一番有効な場所でボールを受けるために、右サイドからボールを持ち運び、バックラインを経由して大外回りで左サイドに運ぶ。ペナルティエリアの高さあたりのタッチライン沿いで、待ち構える岡田優希選手が右足アウトサイドでボールを止める。ここまで1ターン目。そこから彼がドリブルをするのか、パスを選択するのかは彼次第なのだが、ここで奈良クラブの攻撃は一度「切断」される。「切断」と書いたら悪いことのように見えるがそうではない。ここでの彼のドリブルにこそ今シーズンの最大のワクワクが詰まっているのだ。
例えば先日の岐阜戦の神垣選手へのクロスを思い出してほしい。百田選手が落としたボールをコントロールした岡田選手は、相手ディフェンスに対峙する。このとき、岐阜のディフェンダーはペナルティーエリアに6人いるのだが、ほぼ全員が岡田選手に釘付けになっている。ゴールを決める神垣選手の目の前にもディフェンスはいるのだが、まるで見えていない。奈良クラブの攻撃の流れを「切断」することは、相手のディフェンスの組織も同時に「切断」する。決定的なプレーというのは、こういうものだ。

このプレーができるというのはとても勇気がいることだし、フットボール最大の魅力なのだ(クライフもウィングこそがフットボールの最大の魅力だと言っている)。相手はこれを警戒し、二つの背後のケアが疎かになる。ひとつは縦方向の背後、つまり下川選手だ。彼のアシストを見ていると、ほぼフリーでクロスを上げているが、彼につくべきディフェンスはほとんどが岡田選手に引っ張られている。下川選手ほどのテクニックをもつ選手にフリーでクロスを蹴らせたら、良いボールが上がるに決まっている。もう一つの背後は横方向の背後だ。このスペースを百田選手や嫁阪選手がよく使いこなし、ゴールを挙げていた。岡田選手がボールを持つと、相手の守備の矢印は彼に集中する。その逆の矢印にポジションを取ることで必然的にフリーになるという仕組みだ。この仕組みは良いディフェンダーほど引っかかる。約束事や危機意識の高いディフェンスほど、岡田の存在感を気にしてしまい、目の前のフォワードをフリーにしてしまうのだ。

フットボールにおける「切断」の瞬間とは、カタルシスの源だ。ただボールを回し続けるだけでは勝つことはできないし、面白くも無い。強い時のバルセロナのパスワーク(ティキ・タカ)は、ただ「接続」を繰り返すのではなく、「切断」のための「接続」だった。「いつでも切断できますよ」というような、相手が一瞬でも気を抜いたらすぐにゴールを奪うような冷徹さを感じさせるものだった。彼らは別格であるが、「切断」するプレーはリスクを伴う。それでもあえて、チャレンジしゴールを奪いにいかなければ勝負には勝てない。そう、ゴールは奪うものだ。ラッキーに期待しては絶対に勝てないし、強烈な個人の能力による「切断」は、奈良クラブには望めない。それでも、こうやってゴールを奪おうとしているのだ、という姿が見えるだけでも、観戦は十分に楽しい。ある意味勝ち負け以上の価値、美学的な創造性を感じている。
今回は奈良クラブを例に挙げているが、どのクラブにも「接続」と「切断」の方針がある。そう言う目で見てみると、そのチームの全体像が見えたり、「あ、自分はこういうプレーが好きだったんだ」という再発見があるように思う。

音楽に例えてみると

ただし、こうして書いてみるとわかる通り、今シーズンの奈良クラブの攻撃は、音楽でいうと「1番」「2番」とフルコーラスで歌い上げてようやく得点できるということでもある。今年の得点シーンはどれもめちゃくちゃ美しいので、見惚れてしまうのだが、昨シーズンよりも手間がかかっている。昨シーズンのハイライトを見ていると、3回に一回くらいは浅川のゴールが見れるのだが、「そんなところから浅川!?」みたいなシーンも多い。ポゼッション率は高いのだが、崩し切ってのゴールという展開は実は少ない。翻って岡田優希選手の特徴についていえば、彼までの「接続」をどこかで切断してしまうことができれば、奈良クラブは攻め手を失ってしまう、という諸刃の戦術でもある。手間が多い分、どこかを止めてしまえば機能不全に陥らせることができるのだ。逆に、多様であるがゆえに相手が出方を間違えると止めようが無い攻撃でもある。おそらく、最近取り入れている「一気に前線へ」という戦術は、「1番のサビだけでも点を取れるようにしよう」という工夫なのだろう。シーズン序盤よりもダイレクトな展開も見られるようになった。
表現を変えてみよう。浅川選手は吹奏楽で言うとパーカッション、特にシンバルのようなプレーをしていた。彼は試合中に消えていても大丈夫なタイプの選手だ。「消えている」というのは、試合中の中継映像に全く映らなかったり、映ってはいるが存在感が全く無い状態を表している。基本これはネガティブな表現で使われるが、ストライカーにとっては存在を消すことも戦術のうちなので、彼はそれをも利用して得点することができた。吹奏楽やオーケストラも、シンバルはここぞというタイミングで、誰よりも大きな音を響かせる。常に音を発しているわけではないけど、鳴ったときには誰もがわかる、そんなプレーヤーだ。
 岡田選手は、クラリネットやオーボエというところだろうか。ソロパートのときは美しいメロディを奏でるが、全体でのバランスを間違えると、音量ゆえに埋もれてしまったり、存在感が消えてしまうことがある。ただ、このパートがしっかりとメロディを奏でることが全体のバランスを整える。トランペットほどの音量までには届かないけど、繊細で美しい音色が全体の評価まで決めてしまうという、かなりピーキーな楽器だ。ここら辺の繊細さと美学的な部分は、まさに岡田優希選手という感じがしている(僕だけかもしれないが)。
彼もチームもここについては自覚的で、岡田選手の得点が増えているのは「タッチラインからドリブル」という「切断」ではなく、シュートという「切断」の選択肢を取るようになったからだろう。その証拠にタッチラインに張るシーンは減少し、ペナルティエリアの幅でプレーすることが多くなった。ただし、これをすると下川選手との「接続」が切れてしまうので、センターフォワードの得点が減る。百田選手の得点が止まったことと、岡田選手が中にポジションを取るようになったことは、ある意味ではトレードオフだ。後半戦で考えるべきは、岡田選手「も」百田選手「も」点を取って勝つ方法になる。
もし岡田選手の個人的な成長を求めるならば、ドリブルという「切断」をしたあとに、もう一度「接続」するプレーの精度を上げることだろう。相手にクロスなのか、シュートなのかを迷わせることだ。そのためには、逆のようにも思えるが、もっと得点を取ることだと思う。練習を見ていても、岡田選手の足の振りはめちゃくちゃ速い。調子の良さそうなときは、蹴ったかどうかすらわからない速さの振りのキックでシュートを決めている。しかも、かなり精度も高い。
ロートフィールドのホーム側のメインスタンドに座ると、ホーム側に攻めるときは岡田選手のドリブルをほぼ目の前でみることができる。そのときの相手に向かっていく姿勢、次にどんなプレーをするのかという期待感、これだけでスタジアムにいく価値がある。彼の1対1を挑む姿は本当にかっこいい。こんな選手がよく奈良に来てくれた!と思っている。後半戦はぜひこれを生で味わってほしい。

この辺りに座るのが岡田選手を見るためのベスポジです。

次回予告

ちなみに、冒頭で紹介したポラリスというバンドの「MUSIC」というアルバムには「深海〜点滅と明滅をくりかえす」という楽曲も収録されているのだが、これが今年の奈良クラブの雰囲気にすごく近い。まず、曲が長い。そして何度もループするメロディーライン、歌うベース、歌詞。この曲の、静かだけど確かに輝く星空のような印象がぴったりだなあと思う。成績は芳しくないのかもしれないけど、今年は今年でかなり魅力的だし、挑戦的なシーズンだ。もし成績が伴ってくれば、これはかなりすごいことになると思う。フットボールの質で新たなファンを獲得できるようなチームになるだろう。

さて、フットボールにおけるカタルシスの瞬間「切断」について長々と述べたが、サイドチェンジや縦パスについてはここでは述べなかった。岡田選手も百田選手も点を取れる戦術ということで、次回は縦方向のパスという「切断」について書いてみたい。もうここまで書いて、奈良クラブを熱心にみられている方はわかると思うが、次回の主役は堀内選手だ。

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