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奈良クラブを100倍楽しむ方法#038 第38節対 ツエーゲン金沢 ”ゴロワーズを吸ったことがあるかい”

0−1。紆余曲折あった今シーズンを最後は勝利で締めくくろうという高いモチベーションで臨んだ奈良クラブの最終戦は、今シーズン幾度となく見たアディショナルタイムでの失点によってその望みを断たれた。非常に悔しそうな選手たちの表情。それはこの試合が所謂”消化試合”ということではなく、奈良クラブの選手たちにとって気持ちのこもった試合であったことがわかる。

しかしながら、この試合については、これまで何度も見た「終了間際の失点の反復」ではない、別の感情があったのも確かだ。これまでの反復なら、「なんて理不尽な」「どうして報われないのか」という不条理への態度を求められた。とはえい、それは奈良クラブらしさを放棄してでも遮二無二に逃げ切ろうとし、ボールを保持するのではなく自陣に引きこもって耐え忍んだにも関わらず最後に押し切られるという展開だった。まさにそれはロートフィールドで行われた金沢との試合がそうであった。
今節は少し違う。試合内容そのものは五分五分でどっちに転んでもおかしくないという内容だったし、奈良クラブのやりたいこともしっかりと体現されていた。奈良クラブらしく勝ちに行き、最終的に負けてしまったが、勝ちへのこだわりは確かに感じることができた。ここは胸を張って「力負けだった」と言おう。ツエーゲン金沢は非常にタフで勝利に貪欲な尊敬すべきチームだった。
「終わりよければすべて良し」とばかりに今シーズン浮き彫りになった課題をなかったことにしてしまうよりも、「残留して兜の緒を締めよ」と、現実をしっかりと突きつけられるこの敗戦は、学びが多いように思う。もし万が一、この試合まで残留が決められていなければ、こうした学びは得られなかったはずだ。奈良クラブだけでなく、ツエーゲン金沢もこの試合をしっかりとした集中力をもって戦ってくれたことで奈良クラブは貴重な学びを得たように思う。結果的に今シーズン、どうしてこれだけ苦しんだのか、来シーズンどのようにすべきなのかを考える上で参考となることが多かったので、試合内容も踏まえながら振り返っていきたい。


先発メンバーとこの日の意図

この日の先発メンバーである。前節の殊勲である酒井は、おそらく大事をとってのベンチ外。むしろ松本やパトリックにとっては来シーズンの所属チームに関わる一戦である。新戦術と彼らがどこまでマッチするのかが見どころの一つだ。
次の大きな変更点はセントラルミッドフィルダーが神垣から山本に代わったこと。これは一度しっかりと時間をかけて見てみたい布陣だった。山本にははやり先発が似合う。彼がこの戦術のなかでどのようにゲームメイクするのかは、来シーズンのことは横においても見ておきたかった。さて、どのように機能するのか。
最後はディフェンスが小谷から鈴木へ。ここは役割もプレーも問題ないだろう。どちらも安定した仕事をしてくれる職人だ。なにも心配することはない。

試合開始からペースを握ったのは奈良クラブだった。ツエーゲン金沢は散発的な縦パスでの攻撃に終始し、ほとんど怖さはない。奈良クラブで輝くは山本だ。保持のとき、中島はバックラインに寄っていくので、中盤は岡田優希と山本が仕切ることになる。どちらかというと、ボールをの受け渡しからゴール前へと走り込んでいく神垣とは違い、山本は真ん中あたりのポジションをキープし、ワンタッチ、ツータッチで的確に周囲を生かしていく。金沢は彼を捕まえきれない。ここに寄せようとすると、ウィングバックがガラ空きになりそこを使われる。この試合も吉村のサイドはずっと彼が優位で支配していたし、この日は西田が使われることも多かった。バランスよく攻める奈良クラブ。彼の恩恵を最大限に受けるのは松本とパトリックの2トップだ。普段酒井がこの「作る」部分と「決める」部分両方をこなしているわけだが、「作る」のところを山本がかなりしてくれるので、2人は決めるに専念できる。しかし、「あとは最後のところを決めるだけ」というシーンも多々あったが、ここを決めきれない。そうこうしているうちに金沢もやや盛り返し、惜しいシーンを作る。とはいえそれも単発。奈良クラブは良いフィーリングを持ってハーフタイムへ。

酒井と松本、パトリックとの差

前節、前々節と酒井が先発していたため、松本やパトリックとの違いが鮮明に見えた人も多いと思う。簡潔に言ってしまうと、松本やパトリックは動きが直線的なので、相手に読まれやすいのだ。
例えば酒井は、前節の決勝点のとき、吉村にボールが出た時点でディフェンスの背後を取り、ディフェンスとゴールキーパーの間にできたわずかなスペースにポジションを取ることで半歩前に出ることができた。これだけでなく、酒井はボールを受ける時に小さなフェイント的な動きや、相手選手の間にうまく入り込むポジショニングをすることでボールを引き出している。いわゆる「デスマルケ」と呼ばれる動き方だ。ふっと半身ずらすことでボールを扱える分を作り出しているのだが、彼らにはそういう動きが見られない。だから読まれてしまったり、タイミングが遅れてしまったり、シュートがブロックされてしまったり、ということが起きてしまう。2人はフィジカルの強さは申し分ないが、それだけではJ3ではやっていけない。J3をずっと見ていると、負けている後半に高さのある選手を投入してくるチームが多い。「どうしてあんなでかい選手を最初から使わないんだ」と思っているが、交代シーン以後にその選手が注目されるような展開になったところがない。その選手が高さを生かして試合の主導権を握るというのが狙いなのだろうが、そうはならない。それはひとえにポジショニングが悪いからだ。フィジカルに長けている分そこをおろそかにしてしまうと、結局ボールは引き出せない。このあたりの話は、半歩、半身というレベル、いやボール半分という精度の話なので、フォーメーション図で表せれるようなものではない。こうしたところを見るに、3部リーグとはいえどJ3のディフェンスの精度や強度はどのチームも高いと言える。パッと来てすぐに点が取れるようなリーグではない。
以前百田選手がラジオのインタビューで「フットボールのことは岡田優希選手に教わっている」と語っていたが、おそらく彼は今のままではJ3では通用しないことをしっかりと自覚している。特にフィジカルの強度においては大学サッカーの頃とは比べ物にならない差がある。彼が岡田優希選手に師事をしたのは必然だ。小柄ながらも抜群のテクニックや戦術眼をもち、大きな選手の当たりにも負けない岡田優希選手から学ぶべきことは非常に多い。夏の公開練習でも、全体練習のあとに岡田優希選手と百田選手がマンツーマンでシュートの練習をしているところをよく見かけた。素晴らしい心がけだと思う。また、そういうコミュニケーションが岡田優希選手のチーム内での立ち位置も変えていったのではないか。頼り甲斐のある先輩がチーム内にいるのは僥倖である。

厳しい目の意見を書いたが、それでも松本やパトリックは来期もぜひとも奈良クラブにいてほしい選手だ。こうしたところを改善した上で、酒井にはない自身の長所を発揮できれば、奈良クラブの攻撃のバリエーションは一気に広がる。かなり手強いチームになるのは間違いない。正直、フォワードのところ以外はかなり選手が揃っているように思う。今日の試合、堀内選手の不在を感じただろうか。彼がいれば彼なりのオーガナイズをしたであろうが、山本でなりに彼のリズムでオーガナイズができていた。相手は強豪ツエーゲン金沢でもだ。名実況者の倉敷保雄さんがよく言う「ケーキにイチゴをどのように乗せるのか」というところをしっかり詰め切れば、もっともっと点が入るように思う。

フィニッシュの応酬

後半も奈良クラブペースで試合は進むが、時間が経つにつれお互いに勝ちたい気持ちがプレーに現れ始める。また、どちらもやや疲れもあってかラインが間延びし始め、その分空いたスペースを使ったプレーからシュートシーンが多く見られるようになった。このあたりはどちらも「この試合は引き分けでは意味がない」と考えていたからだろう。奈良クラブは西田のシュートがポストを直撃、岡田のシュートは枠を捉えきれない。金沢のチャンスは岡田慎司選手がビッグセーブで間一髪切り抜ける。両チームのノーガードの打ち合い、どちらの攻撃が先に決まるのかが勝負の分かれ目になる。

ここで金沢を強烈に後押しするのがゴール裏に詰めかけたサポーターたちだった。前半は奈良クラブの応援もしっかり聞こえていたが、後半からは金沢のサポーターたちの声量がすごい。彼らもこの試合に賭けるものがある。ホーム最終戦、金沢はどうしても勝利で終わりたい。金沢の選手たちの表情は極めて情熱的だった。決死の攻撃を繰り出す金沢。それを反転してカウンターを繰り出す奈良クラブ。局面では両チームの選手がぶつかり合い、一触即発の雰囲気にもなる。冒頭にも述べたように、これは消化試合ではなかった。また”今期の総括”でもなく、”来期を見据える”内容でもなかった。「ただこの試合に勝ちたい」という純粋な闘争心の激突だった。こんな熱い試合、なかなかお目にかかれない。間違いなく名勝負だ。

そんな闘争心を奈良クラブで一番見せたのはこの日のゲームキャプテンを務めた都並選手だ。90分、GK岡田からのパスを受けた都並に対し、相手FW田口がファールで止めにかかる。これに対し猛然と田口へ詰め寄る都並。ともするとすぐに切り替えてプレーした方が良さそうな場面で、都並は感情をあらわにする。この姿勢の意味はすぐにわかった。大宮アルディージャ戦後の中田監督のコメントにあった、印象的なフレーズだ。

試合終了後に選手達にも話しましたが、少し残念だったのは、ホームであるにも関わらずこのまま(0-0のまま)試合が終わって欲しいという姿勢を感じたこと。相手が最後劣勢に立ち勝ち点1で良かったと思えるくらい、執念を表現できないと勝ちには持っていけません。

大宮戦後の中田監督のコメントより抜粋

「この試合は引き分けではいけない」とチーム全体を鼓舞するための、あえての行為だろう。引いて守るんじゃない。攻めるんだ。引き分けで満足するな。そう、今シーズン幾度となく引き分けで終わってきた流れを断ち切りたい。そんな彼の姿勢に応えるようにチームもチャンスを伺う。
そんなノーガードの撃ち合いになった試合を、最後の最後で決めたのは金沢だった。アディショナルタイムも終わりがけの98分。金沢のカウンターを止めるために身体を張ったプレーをした中島が負傷。そのまま10人での戦いを強いられたがこのラストワンプレーをしのげば、というところで、最後の最後に金沢の勝利への執念から決勝点を献上。畑尾選手はトラップからシュートまでの流れが完璧だ。完全にゾーンに入っいた。自分のところにボールを呼び込み、そのままイメージ通りに右足を振りぬく。こういうシュートは止められない。誰が悪いというものではない。奈良クラブに反撃の時間はなく、そのままタイムアップとなった。

この試合に見られた差異

プレーの精度のことを「ディティール」と言うが、これについては五分だったと思う。お互い「これが決まっていれば」というシュートが最後まで決まらなかったことが、逆に試合を熱くさせた。精度が低かったというよりも、お互いの気持ちの部分のほんの少しの寄せの強さや、負けたくない気持ちのところでギリギリゴールを割らせなかったというふうに理解すべきだろう。もし上げるべきは、プレーの精度ももちろん大事だが、そういった執念を上回るさらなる勝利への渇望とでも言うべきものをどれくらいチームとして高めていけるかではないかと思う。
海外だけでなくJ1、J2の試合も観戦するが、J3との一番の違いは、実はここではないかと思っている。J1のチームの勝利への渇望はすごい。一個一個のプレーへの力強さ、失点後の反発。なにより、得点をしたあとの畳み掛けるような攻撃。こうした圧力はJ3ではなかなか感じない。どんな状況でも勝利への気持ちを切らさないところこそが差ではないか。この試合、金沢にはそんな気持ちの鱗片がしっかりと見られたし、奈良クラブにも同様に見ることができた。だから、負けが決まったとも、残念というよりもむしろ清々しい気持ちになったのは事実だ。これだけぶつかり合って、負けたのだから仕方ない。胸を張ってほしいと思った。そういう試合ができるようになったのだと思う。
こうした試合への姿勢は、おそらく今期、結果的にその中心となった降格争いを経験したことも無関係ではないと思う。どんな試合も全力で戦うというのは、当たり前のようで当たり前ではない。なまじ降格争いという極めてプレッシャーのかかる環境にあっては、全力であろうとするがあまり萎縮したり、持て余したりしてしまうこともあっただろうと想像する。ただ、これまで以上の何かを出そうを手を伸ばし続けた結果、こうした試合を展開できたのだから、これは成長と言っていい。何度も言うが、この試合で見せた奈良クラブのフットボールは「差異(これまでとは違う様子)」であり「反復(ああ、またかというもの)」ではない。
奈良クラブをしっかり見始めて、特にフリアン監督のときに顕著であったが、システマティックであるがゆえにパッションが見えにくいという一面があった。選手はそれぞれにタスクが課せられているので、まずはそれをしっかり達成していかなくてはいけない。しかも、フリアンの課すタスクはかなりハイレベルだ。それに応えることができると、自動的に相手が崩壊していくように仕組まれているので、相手がどうこうよりも、自分たちがどうするかという部分が重かったように思う。これは悪いことではない。むしろ、J3という環境でここまで理詰めができるチームは極めて稀だった。
中田監督になってからは、選手の個性や感情がしっかり出せるようになってきたので、選手たちがどうありたいのか、この試合や局面をどう感じているのかがかなりわかるようになった。その上に相模原戦からの新戦術も相まって、システムの部分とメンタルの部分が噛み合ってきたように思う。実は、今期一番足りなかったのは、ここだったのかもしれない。

度々言及するポッドキャスト「コテンラジオ」で頻繁に語られるのは、歴史の動き方についてである。盛者必衰、諸行無常とは地球上でいつでもどこでも起こってきたことだが、僕達は「栄えていたAが、何らかの原因がきっかけで衰退した」と考えることが多い。しかしそれは違う。Aが栄えていたことを下支えした要因や条件が最大限まで到達したその瞬間に、その要因や条件は衰退の原因となる。成功要因があるタイミングで反転し、衰退要因になる。昨シーズンの奈良クラブは大成功だった。しかし、その成功要因こそが今期苦しむ要因となったのではないか。だとすれば、これまでとは違う要因を差し込むか、組み合わせを変えるかということになる。この試合が非常に熱量の高いものになったからこそ、奈良クラブがどこに向かおうとしているのかを結果的に感じることができた。何度もいうが、これは意味のある敗戦だった。もちろん、その意味をちゃんと次につなげるためには、このオフシーズンの過ごした方が重要になるわけだが。

地方クラブにたくす「夢」

さて、これにて2024シーズンも終わりである。今期はかなりの試合をロートフィールドまで出かけ、試合を観戦することになった。アウェー戦も基本的にはリアルタイムで観戦。これまでで最も奈良クラブに没頭した一年だったと思う。昨年は試合は見てはいたが、誰かに何かを伝えたいという気持ちになるまでには少し時間がかかった。その気持ちを確かめようと始めたこのnoteだったが、いわゆる「戦術」というだけでなく、スタジアムの熱量だったり、選手の感情だったりという部分も含めてここに書き記してきた。
ことJ3の地方クラブチームというのは、チームの規模が小さい分、選手が身近にいる。ナラディーアの近郊に住んでいれば、コンビニや駅で選手を見かけることもよくあるし、スーパー銭湯でばったり、なんてこともある。それくらい、「僕たち」の範囲の中にチームが存在するわけで、それ故に応援にも熱が入る。負けたときの悔しさ、勝ったときの喜び。自分のことのように感じることができるのが、こうしたチームのサポーターの醍醐味であるのかもしれない。
これは奈良クラブに限ったことではないだろう。特にJのチームにはその地方のローカリティに根ざした性質が備わっている。だから「ダービー」という試合が成立するわけだ。「このあたりのボスは俺達だぜ」という張り合いは、野球には見られない。フットボールというカルチャーと「僕たち」という範囲とは切っても切れない関係性がある。そこにチームとの距離が近いとなれば、「僕たち」の関係性が深まるのは当然のことだと思う。これは財産だ。特に地方都市と呼ばれる地域のチームほどそうした様子は見られた。北九州や富山のサポーターたちは団結力だけでなく、「あなたがあたなのチームを好きなように、僕たちも僕のチームが好きなんだ」というある種の共通感覚があって、それ故に言葉をかわさずとも通じ合うものがある。ぜひ来年はそんなチームの本拠地にも訪れてみたいと考えている。

そんな「僕たち」の延長線上にあるチームだからこそ、僕たちは奈良クラブに個人的な「夢」や「希望」を託してしまう。それは理屈では説明できないものだ。それを書き記そうとすると、どうしても個人的なことを述べなければならない。しかし、その個人的なことを抜きに、このチームを、この戦術を、この選手たちの戦いぶりを語ることができない。確かにレベルは違う。もっとハイレベルなフットボールが見たいというなら、奈良クラブではないチームのほうが良いかもしれない。それでも、僕らが奈良クラブを応援するのは、彼らのプレーする姿に、どこか自分の夢や希望を託しているからではないか。自分の思いが通じるような、ここでしか得られない感覚があるからではないか。それは多分勘違いとか、勝手な思い込みなんだろうけど、それでもいいじゃないか。そう思わせてくれるフットボールクラブがあることって、とても幸せなことなのだと思う。
言うなればそれは「過剰さ」である。奈良クラブが負けてしまった後の月曜日の出勤の辛さといったら比べるものがない。この世の終わりのような気持ちで職場へと向かう。もっと客観的に奈良クラブを見ていれば、「まあ、負けたけどそんな日もあるよ」といえるのかもしれない。そういう観戦の仕方が正しいのかもしれない。とはいえ、過剰であるからこそ得られる体験というのが確かにある。勝利したときにはなんでも来いだ。多少のトラブルも笑顔で対応できる。そんな喜怒哀楽は過剰さゆえの代償でもあるが、それがあるからこそ毎週末が楽しみなのではないか。そういう感情を抜きに、戦術がどうこう、選手がどうこうという議論は実は成立しないと考えている。それは「人生を賭けて」戦っている選手には失礼な態度だと思う。これはどんなチームであってもそうだ。

ロートフィールドでの北九州戦、喫茶バルドーさんからスタジアムへ向かう道中に北九州サポーターの壮年の女性たちと一緒になった。彼女のユニフォームには選手のサインがびっしりと書き込まれており、それを僕に誇らしげに見せてくれた。それを話すときの目はキラキラと輝いており、子供が自分の宝物を紹介するときのような雰囲気だった。これは本当に素敵な光景だった。こうしたサポーターの感情に根差したカルチャーがあってこそ、そのチームのフットボールのスタイルがあり、それで初めて戦術が成立する。本来、(大きな意味での)戦術というのはそういうものである。戦術は、実は選べるようで選べない。選べないものを見つけるまでがなかなか大変でもある。

君はそれがたとえすごく小さなことでも
何かにこったり狂ったりしたことはあるかい
例えばそれがミック・ジャガーでも アンティックの時計でも
どこかの安いバーボンウィスキーでも
そうさ 何かにこらなくてはダメだ
狂ったように こればこるほど
君は1人の人間として 歩いていくだろう

かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

見つけるためには、皆でああだこうだと議論することが最も近道だと思う。好きか嫌いか、良いか悪いか、結論なんて出なくて良い。そういったことを誰かと話すことだ。話すためには没頭しなければいけない。おそらく、ゴール裏とメインスタンドでは見えているものが違うだろうし、感じることも違うだろう。それで良い。どちらも正しい。そこで感じた体験の重なりが奈良クラブのカルチャーを形作るのだと思う。
先日は「焼肉丼はじめ」さんに家族でお邪魔させていただいた。そのときに、ママさんと当たり前のように奈良クラブの話で盛り上がったのだが、ママさんは驚くほど選手のことを見ていらっしゃった。ママさんは奈良クラブの選手を1人の人間として選手を大切に思われているのだなあと感じた。おそらく、選手のしぐさや目線、なにげない癖などをよく見ておられるのだと思う。どちらかというとチーム単位から見ている僕とは全く違う視点での話なので、そこが交わるとまあ盛り上がる。話は尽きない。こういう時間が大切なのだと再確認した次第である。ママさん、ありがとうございました。

都並選手とは絶対に目線が合うようにできている

さて、そろそろ終わりにしよう。今年はいろんなことのあったシーズンだった。チームとしても個人としても、試されるような出来事がめちゃくちゃ多かったように思う。だからこそ見えたこともたくさんある。決して苦しいだけのシーズンではなかった。苦しかった分、楽しむことができたという面もあるので、なかなか複雑だが、それもまた過剰さなのだろう。こうした過剰さは捨てられない。そして、できれば、こうした体験を1人でも多くの人に味わってもらいたいと思う。

君は奈良クラブのフットボールを見たことがあるかい?


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