あの人
私は喪われた昼、喪われた光り、喪われた夏のために泣いたのである。
金閣寺
三島由紀夫
新潮社 昭和35年 162頁
あの人が、どうやらもう長くはないらしい。
人間を勝ち負けで分けるなら、あの人は間違いなく勝ち続けた人間だった。
負けへの線をまたぐことはなかったし、その心配もなかった。
だってあの人の頭の中には、そもそも勝ち負けの線なんて存在していなかったから。
誰もが少し優しくなってしまうような可愛いらしい顔立ちには常に微笑みがセットになっていて、
そのいつも上がっていた口角が、誰のことも恨んでも妬んでもいないと静かに語っていた。
幸せそうな結婚をして、ほどなく子を授かり、幸せそうに会社を辞めた。
いつだったか、恋愛コメディ映画を観て
「あれを観て泣いちゃった」
と、屈託のない笑顔で言うのを聞いた時、
日なたにしかいないこの人には、日陰を煮詰めて暗闇というシロップに漬け込まれたロシア文学やサリンジャーを味わう必要はないんだろうと、妙に納得した。
正直なところ、それは羨ましいという感情だったと思う。
ご両親からは、溺愛された育ったと語っていた。
まるで、側にいる誰もが、知らず知らずのうちにあの人のいる場所に影がささないように配慮しているような、そんな感じだった。
何十年後には幸せそうな可愛らしいお婆ちゃんになって、変わらず微笑みを浮かべている、そんな人生をおくるのだろうと勝手に思っていたし、そうでなければならなかった。絶対に。
あの人の人生のこんな結末が、
地球の裏側の、名前も知らない蝶の羽ばたきによるものならば、
この世界はあまりに脆い。