私は喪われた昼、喪われた光り、喪われた夏のために泣いたのである。 金閣寺 三島由紀夫 新潮社 昭和35年 162頁 あの人が、どうやらもう長くはないらしい。 人間を勝ち負けで分けるなら、あの人は間違いなく勝ち続けた人間だった。 負けへの線をまたぐことはなかったし、その心配もなかった。 だってあの人の頭の中には、そもそも勝ち負けの線なんて存在していなかったから。 誰もが少し優しくなってしまうような可愛いらしい顔立ちには常に微笑みがセットになっていて、 そのいつも上がっ
【その23】 『スタンド•バイ•ミー』の核心は、 このフレーズだと思う。
【その22】 「あの演説は勿論悉く嘘です。が、嘘ということは誰でも知っていますから、畢竟正直と変わらないでしょう」 芥川龍之介 『河童』 今日7月24日は芥川龍之介の命日で、河童忌と呼ばれているそうだ。 彼が晩年に書いたのは、読んでいてその闇に引きずり込まれそうになるほど日の当たらない世界で、それを書いた彼自身は、もしかすると、片隅の光さえも失ってしまっていたのではないかと感じさせる。 もっとも、何が今日を彼の命日にしたのか、 彼自身にしか分かりようもないし、彼自身
【その21】 「芥川は、煙草に火を点ける時、指に挟んだ燐寸の函を、二二度振って音をさせる癖があった。 芥川の死後、ふと気がついて見ると、私はいつでも煙草をつける時、燐寸を振っていた。以前にそんな癖はなかったのである。又、芥川の真似をした覚えもない」 『追懐の筆』 内田百閒 中央公論新社 2021年 31頁 『湖南の扇』 これを読んだ時、いつの間にやら自分の中に記憶されていた、燐寸の箱を振った時に聞こえるあのカシャカシャという音が、何とも言えない懐かしさと心地よさでよみ
【その20】 「僕は自分を豚なみに扱うつもりはないね。僕には、自分の良心に責任を取らなきゃならない将来があるからね」 『チェーホフ・ユモレスカ』 チェーホフ 新潮社 平成20年 69頁『3つのうちどれか』 「家族に対しての責任」や「会社に対しての責任」という言葉はよく耳にするけれど、「自分に対しての責任」という言葉を耳にすることは、ほとんどない。 もちろん、誰かに対して、何かに対して責任を負うことは美しい。 親は子に対して、子は親に対して、人により程度の差はあれど責
【その19】 「空想にふけりがちだったことと、長いあいだ隔離されていたことがわざわいして、自由というものが監獄ではほんとうの自由よりも、つまり実際にある現実の自由よりも、何かもっともっと自由なもののように思われていた」 ドストエフスキー 『死の家の記録』 訳者 工藤精一郎 新潮社 昭和48年 555頁 想像上の自由よりも素晴らしい自由が現実には存在しないんじゃないかと感じるのは、あまりに悲観的だろうか。 人間というのは見えない部分をより良く想像する生き物らしいので、
【その18】 カポーティの代表作は『冷血』だろうか、『ティファニーで朝食を』だろうか。 たぶんそのどちらも正解だけど、私の中では『夜の樹』という短篇集が彼の代表作である。 彼の中の「作家としての力」のようなものをブラッシュアップしていって行き着いたのが『冷血』だとすれば、彼自身の中に元々存在した、彼自身にしかない色の小さな炎を最も高い温度まで持っていって書かれたのが『夜の樹』である。 サリンジャー同様、好き嫌いがあるのは否めない。 実際に、称賛された一方で「実体に欠ける
私は書店が好きだ。 だから、町の書店がどんどん無くなっていく現状は、とても切ない。 ネットを頼ってしまうこともゼロではないけど、なるべく大型書店に出向いてお金を落とすことにしている。 誰に褒められるわけでも、褒められたいわけでもないが、私の書店に対するささやかな敬意だ。 なにより、書店で小説を選ぶ時間は本当に楽しい。 さて、あえて大型書店と書いた。 残念ながら小さな書店では、たいてい私が好きなハヤカワ文庫をほとんど置いていないし(『夏への扉』でもあればかなりいい方だ
【その14】 【その15】 【その16】 【その17】 こうして並べてみると、作家というのは時間そのものを疑うようだ。 時間そのものを疑うことを許されている、と言ってもいい。 だって、学校やオフィスで上のような発言をしたら、白い目で見られること必至だから。 だけど、ひとたび書物の中にもぐり込めば、こういった文章は抜群に輝くし、面白い。
【その13】 「ぼくも進級していくような気がするが、ただ方向がみんなと違うようだって、そう言うの。最初に一つ進級すると、袖に金筋がつく代わりに、袖をもぎ取られることになるだろうって。そうして将軍になるころには、素っ裸になっちゃって、お臍に小ちゃな歩兵バッジがくっついてるだけで、あとはなんにもないんじゃないかって」 J.D.サリンジャー 『ナイン・ストーリーズ』 訳者 野崎孝 新潮社 昭和49年 53頁 『コネティカットのひょこひょこおじさん』 厭世的な作家がえがく、厭世
【その12】 「そして垂れひろがったもみじの枝さきは、ないような風にゆれ動いている」 川端康成 『眠れる美女』 新潮社 1967年 100頁 少しの風、強い風、爽やかな風…… 世間一般の人々は、風は「あるもの」という前提で、それがどの程度で、どういった風かを書く。ない場合は無風という言葉が当てはまる。 「ないような風」と表現したのは、私の知る限り川端康成だけである。 作家の中でもずば抜けた人たちは、人とは異なった方向からものを見て、書くことができる。 もちろん奇想
【その11】 「作家の喜びは、書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷をおろすことにある。ほかには、なにも期待してはいけない。称賛も批判も、成功も不成功も、気にしてはならない」 サマセット・モーム 『月と六ペンス』 訳者 金原瑞人 新潮社 平成26年 15頁 新潮社からサマセット・モームの新訳が平成の終わりから令和にかけて出版されていて、全て購入して読んだのだけど、これはとても良かった。 サマセット・モームの書いた小説が面白いことは大前提として、訳者である金
【その10】 「目に見える不幸も時には、目にこそ見えぬが並外れた利益をもたらしてくれるのです」 ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟(下)』 訳者 原卓也 新潮社 昭和53年 348頁 純文学の作家たちは往々にして、人生がどれだけ虚しいもので、人間がどれほど愚かな動物かというのを訴えてくる。 そして、最終的に彼・彼女たちは、自分で自分を葬ることで、その証明を完了させる。 取りわけ文豪と呼ばれるような人たちには、その傾向が強いように思う。 そんな彼・彼女たちが書いた文
【その9】 「なににもまして重要だということは、口に出して言うのがきわめてむずかしい。なぜならば、ことばが大切なものを縮小してしまうからだ。おのれの人生の中のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい」 スティーヴン・キング 『スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編』 訳者 山田順子 新潮社 昭和62年 252-253頁 「存命の作家の中で最も惹きつけられる」と、言っても過言ではない。スティーヴン・キングだ。 ビッグネームなので、今更彼の良さを語る必
【その8】 「わたしを納得させてくれ、ベアフット。そしたら、わたしが世界を納得させる」 フィリップ・K・ディック 『人間以前 ディック短篇傑作選』 大森望 編 早川書房 2014年 259頁『宇宙の死者』 カート・ヴォネガットは文学界(そんなものがあるとすれば)では異端のようにも取れるけれど、SFの分野においては最も重要な人物のひとりだ。 私は、SF好きでヴォネガットのことが嫌いな人を知らない。 ところがフィリップ・K・ディックはそうではない。 ある種の美しさを小説
【その7】 「択ぶということは、選定することではなく、むしろ、選定しなかったものを押し退けることのように私には思われる」 ジッド『地の糧』 新潮社 昭和27年(新版令和5年) 70頁 今回はノーベル文学賞を取った作家、ジッドです。 この『地の糧』は、思考の深層部を柔らかく刺激してくれます。 数ページで放り出す人と、数ページで虜になる人に分かれるのではないでしょうか。 つまり、思考する人たちに向けた小説です。 深く思考する人たちは色々なところに散っていて、言うまでも