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最強で最高の名文

【その3】

「彼がタイタンで失ったただひとりの伴侶は、彼の左手にとっての右手のような伴侶だったのだ」

「おれたちはそれだけ長いあいだかかってやっと気づいたんだよ。人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛することだ、と」


『タイタンの妖女』
カート・ヴォネガット・ジュニア
訳者 浅倉久志
1977年 早川書房 333頁


これに勝る名文はあるのでしょうか。
これと並ぶものはあっても、勝るものはないんじゃないか、そんな気にさせてくれる台詞です。

カート・ヴォネガット無しにSFは語れないというのは紛れもなく事実だと思いますが、純文学もまた、カート・ヴォネガット無しに語れないと言ってもいいのではないでしょうか。
(まぁ、別に文学を語る必要なんてないんだけど)

本人は「どうして自分は一端の作家扱いされず、SF作家と言われるんだ」みたいなことを嘆いていたようですが、これはヴォネガットの誤解という気がします。

SFと純文学の間に壁があるとすれば、その上を自由に飛び回っているのがヴォネガットだと思うし、そう思っているのは私だけではないと思うからです。



もしこれを読んで、これからヴォネガットを手に取ってみようという方がいた時の為に、念のため付け加えておくと、
ヴォネガットは、どの小説を手にとっても面白いわけではない…と思います(小声)。
ヴォネガット全肯定の激烈ファンの方がいたらごめんなさい。
あくまでも私見です。

なんと言っても
『スローターハウス5』そして『タイタンの妖女』
その2つに続いて『猫のゆりかご』、それに彼のエッセイ。

このあたりではないでしょうか。
それだけと言えばそうなんだけど、わずか数作の名作を残したことで、この世に爪あとを残した作家っていうのももの凄いと思うし、そういう作家って少なくないですよね。
個人的にはサリンジャーやカポーティもそうだと思います。


長くなってきたので、今日はこのあたりで。
それでは。

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