#2 瞑想とは何か?
stand.fm『瞑想Cafe』の2回目の放送です。
今回は、瞑想とは何か?
瞑想の種類や私たちの心の癖、心の習慣に関してお話ししています。
『瞑想Cafe』では、瞑想に関すること、マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想、「ブッダの教え」など、瞑想に関連するさまざまなことを、その日の気分で、気軽に、誰でも分かるようにお話していきます。
この記事では過去の放送内容を要約して、お伝えしたいと思います。
1.瞑想とは何か?
瞑想の定義としてよく出てくるものは、
何かに心を集中させること
心を静めて無心になること
目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと
集中する、静める、無心になる、思いをめぐらす....
なんか一貫性がないように感じられませんか。
瞑想とは一体なんなのか?
幅広いので、一つの定義で言えないようです。
2.瞑想の2つの種類
瞑想は大きく分けて2種類あります。
一つは、「サマタ瞑想」
心を鎮める、心を静かにさせる、心を止めることを目的とした瞑想です。
サマタ(samatha)とは、パーリ語です。
ひとつの対象に心を落ち着かせることであり、止行ともいいます。
瞑想と言えば、ほとんどはこのサマタ瞑想になります。
本質的にリラックスを目的にしている瞑想です。
もう一つは、「ヴィパッサナー瞑想」
心やからだを観察・洞察する瞑想で、観行ともいいます。
ヴィパッサナー(vipassanā)とは、これもパーリ語です。
観察する、分けて観る、物事をあるがままに見るという意味です。
では、最近話題の「マインドフルネス瞑想」は、どちらになるのでしょう。
マインドフルネス瞑想は、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の中間のような位置付けで、中間よりもヴィパッサナー瞑想側になります。
マインドフルネスは、ヴィパッサナー瞑想のジュニア版とも言え、ヴィパッサナー瞑想から仏教要素を排除し、誰でもやりやすいものにしたものです。
マインドフルネス瞑想には、サマタ瞑想の要素も入っていますし、ヴィパッサナー瞑想の要素もたくさん入っています。
3.サマタ瞑想で行うこと
私たちの心の理想像は、心が透明で、濁りもないことです。
コップに入っている水で例えると、水が透明で透き通っていて、濁りもまったくなく、ただ純粋な水、キラキラした水です。
しかし、私たちは日々の活動の中で、毎日毎日いろいろな感情が起こっていますよね。
感情とは、ものごとや対象に対して抱く気持ちです。
憎しみ、悲しみ、恐怖、怒り、嫌悪、
喜び、感動、安心、愛情、渇望など
何かあるとすぐに、気持ちが高まったり、落ち込んだり。
このような感情が生まれると、透明だったコップの中に、濁っている汚濁である塊ようようなものが生まれてきます。
毎日毎日生み出す感情によって、コップの水は濁り、汚濁がいっぱい入った泥水のような状態になっています。
そして、感情によって、かき混ぜられています。
強い怒りや悲しみなどの感情が吹き出すと、同じ感情が集まり、固まりなっていきます。
その塊が、動かされると、心の中は嵐のようになってしまいます。
私たちは、透明で濁りもない状態でいれたら幸せなのに、現実は濁りで一杯です。
そこで、濁りを取ろうとしても何もできないので、先ずはそっと置いて、鎮めることを行います。
コップに入った濁った水を静かに置いておくと、濁りが沈み、上澄みは透きとおってきます。
これがサマタ瞑想で行うことです。
私たちの心は、毎日たくさんの汚濁とその塊を生み出しています。
それが集まり、大きな塊になり、固い塊になっていきます。
トラウマになっているものなどは、もっと固く岩のようになり、心の奥に沈んでいるんです。これが動き出したら、大事ですね。
4.瞑想を始める人が驚くこと
瞑想を始めてみて、最初にビックリする共通点があります。
瞑想をやったことがない方に、“5分間何も考えないようにじっとしていましょう”とお願いします。
静かな場所で、どのような姿勢でもいいので楽な姿勢になり、リラックスできる環境で、目を閉じて、じっとしてみてください。
ほとんどの人は、数分もしないでいろいろな想いや想念が浮かんできて、ギブアップします。
瞑想を始めた方によくある “あるある“は
心がこんなにじっとしてくれないなんて
自分は心をコントールできる思ったのに
など、こんなに難しいんだと驚きます。
心をコントロールする難しさを実感します。
そして、周りの人がじっと座っている姿を見て、自分を責めたり、できないことでイラついたり、怒ったり、悲しんだり、最初によく起こりがちです。
ほんの5分、心を静かにしようとしても本当に難しいです。
5.心の癖、心の習慣
心は、一つの対象にとどまることは嫌いなんですね。
心は、自由気ままに、さまようのが好きなんです。
次から次に、いろいろな想いや雑念が浮かんできて、こころはあっちに行ったり、こっちに来たり、さまよい出します。
じっとしていてくれません。
そして、今この瞬間に留まらずに、過去に行ったり、未来に行ったり、過去か未来のいづれかにさまよい出します。
一つのことを考えていたと思ったら、ふとしたキッカケで違うことを考えたり、昔のことを思い出して感情が噴き出てきたりします。
心は、今ここにとどまるのを嫌がります。
これが心の習性であり、心の癖であり、心のありのままの姿なんです。
ある調査によると、人は1日に2万回とも6万回とも言われますが、心の中で自分と会話をしていそうです。
それも、そのうちの8割は前日同じことを考えているそうですよ。
本当?と思うかもしれませんが、自分の心や感情を観察してみてください。
結構、同じようなことを繰り返し考えていますよ。
心は一つのところに留まっていられません。
あっちこっち、あっちこっち移動して、じっとしていてくれません。
想念や雑念は、次から次に泡のように生まれてきます。
心は、次から次に、飲み込まれ、漂いだします。
強く大きな泡が浮かんでくると、それに飲み込まれて、支配させてしまうこともあります。
サマタ瞑想は、心に何か対象を与えて、それに意識を向けさせることにより、心を静める瞑想になります。