40歳おじさんがInstagramと出会ったら
世の中、SNSにあふれかえっている。
世界中でSNSに費やしている時間をあわせたら、どれくらいになるんだろう?
20年前、わたしが20歳のときにはインターネットはあったけど、SNSはこの世に存在していなかった。
Facebook、Twitter、Instagram、note、LINE、TikTok、YouTube‥‥多くの人がどれかを利用し、少なくない時間をつかっている。その時間は、20年前は何に使っていたんだろうと思ってしまう。おそろしいことに、みんなが消費している時間は、営利企業が提供しているサービスだ。そんな理由もあってか、ずっとSNSと距離をとっていた。
だけど、もうSNSが生活の一部になっている。
数年前に出会ったFacebookとは、良いおともだち関係でいれている。
インターネットのはじまり世代のわたしにとっては、ともだちには会いに行くものだとおもっていた。ブラウザにお気に入りを登録して、そのページを見にいくのがあたりまえだった。
だけど、SNSはともだちが会いに来てくれる。じぶんから情報を取りに行くのではなく、つぎからつぎにじぶんの気になるような情報が届くことに感動だった。
そんなともだちとは、よい距離感をとりながらおつきあいできている。
Twitterとは、はじめは盛り上がって遊びまくっていたけど、いまではご近所さん程度のおつきあいだ。
いきなり大人数のシェアハウスに引っ越した感じで、いろんな人たちに部屋をノックしてもらってうれしかったんだけど、それに疲れてしまった。いまは一人暮らしに戻って、会えばご挨拶するご近所つきあいがちょうどいい。
noteは、定期的にあう親友みたいな感じかな。
喫茶店に入って、近況を伝え合う、聴き合う。普段は離れているけど、たまに会う距離感がとても心地いい。これからもその関係をつづけていきたい。
それぞれのSNSとは、じぶんなりに距離感をつかみながら、日常生活に支障のない範囲でたのしんでいる。
しかし、しかしだ。Instagramだけは、ちがった。
この1ヶ月くらいで、どハマりしている。
Twitterでは、日常生活のなかにひそんでいるマニアックなものを収集している人のツイートをたのしんでいた。たとえば、こんな感じのハッシュタグになる。
#片手袋
#マンホール
#透かしブロック
#街角狸
#標しくぃ
#ガラスブロック
#室外機
#階段
#路上園芸
#路上観察
#トマソン
#廃墟
#落ちもん
#パイロン
ガイドブックに載っているような観光地や映える写真じゃないところがツボだった。
そして、Instagramでもおなじようにたのしんでいたある日、とつぜん世界がひらけた。
文字どおり、Instagramは世界が舞台だった。
日常をマニアックな視点で切りとる人たちが世界中にいて、好き! おもしろい! グッときた! を写真というメディアをつかって共有できる感動。これは、はじめてインターネットにふれたとき以上のものだった。
地域も国も文化もちがっても、いろんな世界の見方をたのしんでいる人がこんなにもいる。なかには、じぶんが撮ったんじゃないかと思うほどのギャラリーがあったり、アジア圏やヨーロッパ、中東、アメリカ、南米、オセアニア‥‥あらゆる国のひとたちの日常の断片と、わたしの日常の断片が交差していく。
そこには、知らないけど知っている、知っているけど知らない日常がひろがっている。
そんな日常をじぶんの意思で歩いているのか、なにかに歩かされているのか‥‥こっちとあっちの日常がとけあっていく。
ちょっとそこまで。きょうもInstagram散歩をやめられない。
そんなわたしのハッシュタグ。
40歳おじさんがInstagramに出会ったら、そこは日常から世界に通じる沼だった。
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