高く飛ぶために深く潜ることが必要
なんの曲か忘れたけど、そんな歌詞がありましたよね。
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久々にNoteを書きますが、前回の頃よりもかなり状態が変わっています。とりあえず、サラリーマンやめました。そして、住む場所も変わりました。
結局のところ、究極の安定を追い求めていたら、目先の安定は一旦捨てることになったのです。
それは、僕のする1つ1つの活動が永遠に持続可能でありたいという願い、すなわち、いつでも元気にフル稼働できるようになりたいという思いによってもたらされました。
それによって、定職がないことへの抵抗感や週5の時間を使い会社に貢献したら貰える収益への依存から卒業することができました。おめでとう、自分。
出身大学や所属企業といった、身の丈に合わない(とも限らないけど)下駄を履くことはある点ではすごく楽だし、まあ平成までの日本ではその生き方が正解だったと思います(個人の感想です)。人は役割が与えられればそれなりに演じることができるため、適度な社会的地位は個人のパフォーマンスをあげることにもつながりますし(試しに僕に役割を与えてみても欲しかったと思った時期もありましたが、それはもういいです)、令和でもまだまだ有効性はあります。
でもなんか2020年代以降、自分に嘘をつかない方が回り回って良い結果になるのではないか、という仮説があるんです。それを自分の人生を使って証明したいと思っているんです。
プラス、結果のわからない生き方の方が楽しい。たとえ失敗したとしても、楽しいことは続けられる、という理由もあります。
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とはいえ、覚悟を持った上で安定は捨てました。その覚悟はあったものの、深く潜るのは、もしかしたら息が持たないかもしれないです。
2020年12月現在、なんとか今年は持ちそうだなという感じですが、2021年はどうなるのでしょうか。
正直未来は全然明るくない。自力であらゆる手を尽くしても、それでもなんとかならなかったとき、「誰か助けて〜」(他力本願だし虫の良い話)、という叫びをする様子が常に頭をよぎっています。
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でも、そんなリスクがちょっとだけ逆に心地いいとさえ思えてもいます。開放感もあります。どうしてなのでしょうか。
要は、自分の頑張り次第というところが大きいと思っています。高く飛べるかどうかは自分の行動が全て。そこには一切の妥協は許されない。
まずは、目に見える形で実績をアピールできなければなりません。
それは、経歴優待を受けてたこれまでの自分には、若干ハードモードではあります。
でも、だからこそ、今それを打破し、克服し、自分の武器にしていこうと、深く潜りながら、水面で呼吸ができるその日を夢見て、ギリギリを生きているところです。どうか見守ってください。(もし失敗しても笑わないでね。)
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以上、勢いで書きました。お読みいただきありがとうございました。
余談ですが、2018年くらいから、常に死の淵にあるような戦争やサバイバルのフィクション作品が結構好きです。現代社会は、そんな時代やフィクションと比べたら、割と何とだってなるんだと信じることができます。