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虚構を作りあげるために。

以前のブログでも申しあげましたが、ぼくは、
暴力的、もしくは、残虐的な表現が
けっこう苦手なのでして。それはたとえば、
映画でも、漫画でも、アニメでも、ドラマでも、小説でも、
そういうシーンが出てくると、及び、
そういうシーンが出てきそうな予感があると、
うわぁー、って思いながら
目を塞ぎたくなってしまう。

ぼく自身、大好きな作品なのだとしても
そのような場面があれば、観ながら
こわくなってしまって、そういうようなシーンとして
今、ぱっと思い出す作品で挙げるとするならば、
(以下、内容のねたばれがあります!)
前回noteでも記しました漫画及びアニメ
『チ。-地球の運動について-』での拷問の場面もそうだし、
村上春樹さんの長編小説作品『ねじまき鳥クロニクル』での
ボリス将校による人間の皮を剥ぐ場面、
ドラマ『教場』における風間の右目が刺される場面、
などなど。さらには、
映画『ショーシャンクの空に』にて、主人公・アンディが
同じ刑務所で収容される囚人たちより暴行を受ける、
というシーンも、こわい、って感じてしまうし、はたまた、
ドラマ『コンフィデンスマンJP』の「第5話」だったと存じますが、
医者に扮装したダー子が心臓の手術をする、という場面で、
ダー子は素人なのだから、もちろん
手術失敗するけど、その手術というのは、じつは
ハリウッド映画で使われるような特殊造形によって行われていて、
めちゃくちゃリアルではあるけれど、つくりもの、
というのがのちに明かされ、でもなんだか、ぼくは
つくりものだとわかっていてもこわがってしまうの。

そういう意味で言うとすれば、ぼくは
ホラーものも苦手だし、
戦争ものもおそろしいし、
なおかつ、たとえば、シーンの中で
刃物が登場するだけで、
なにかあるんではないか?! って、
びびってしまったりもするから。

先日読みました星野源さんの著書
『いのちの車窓から 2』では、ただただ
なすすべもなく悲しくなり、苛立ちに疲弊し、
下を向いてうずくまるしかないとき、
ホラー映画を鑑賞する、と書かれていて。。

 そして気が付けば、怖いホラー映画を鑑賞していた。
 もう、キレッキレの怖い奴。
 ホラー映画はいい。だって嘘だもの。
 どれだけグロくて陰惨な話でも大丈夫。出てくるおばけが怖かろうが人が怖かろうがモンスターが気持ち悪かろうがどんとこい。いくら内臓が飛び出ようが、脳が飛び散ろうが、人が奇怪な方法で死のうが、観てるこっちまで呪われてしまいそうな展開が起きようが、リアルであればあるほど、リアルでなくてもインパクトがあればあるほど、それらは虚構を作りあげるために集まった制作陣やスタッフ、キャストたちの努力と血と汗と涙の賜物だ。作り手の情熱が伝わってきて胸が熱くなる。元気をもらえる。
 そして私の潰れた心も少し癒されるのだ。

星野源さん著『いのちの車窓から 2』203頁

源さんのこのことばを読みながら、
目から鱗が落ちる、とは、このことかっ!!!
と思えるぐらい、なるほどぉ、って、つまり、
そういうふうにして作品を観るのって、
よいなあと思いました。

でも、その逆に、源さんは
【逆に辛いのは現実のニュースだ。
 私は今ニュースが観られない。】
(同著同頁より)とも言われていて。
そのことを思えば、ぼく自身も
いたたまれなくなる感覚もあるのですが。
源さんおっしゃるその気持ち、
わかるようにも存じあげます。

そうは言いつつも、ぼくは、これからもやっぱり
陰惨なシーンは苦手なままやもしらないけれども、
そういうシーンのときにはさ、源さんのように
努力と血と汗と涙の賜物と作り手の情熱だと感じながら、
鑑賞できたら、と思います〜。

令和6年10月31日