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「建設」について想いを馳せたい。
【前回noteからのつづきです。】
一度目の「展覧会 岡本太郎」では、
展覧会を訪れる前の用事からの疲労もあってか、
見逃してしまっていた作品
『建設』をね、ようやく、
じっくり観ることができました。
前回のブログでもしるしましたが、一度目の鑑賞のとき、
ショップで見かけて作品の展示に気づきました
A4サイズの「作品プリント」はね、
このとき購入をして、部屋で飾りながら、
作品鑑賞の予習をしていたの。
![](https://assets.st-note.com/img/1678072624911-D3B5NSa3FG.jpg?width=1200)
そしてまた、さらなる予習として
SNSで検索してネットの画像でも観ながら、
でも、作品プリントや画像では、
いかんせん、作品のサイズ感がわからなくって。
どのくらいの大きさなんだろう?
というのは、考えていたのですが。。
![](https://assets.st-note.com/img/1678072045127-qMJVsnGFTG.jpg?width=1200)
まずはね、作品の前で立ち、
作品単体で撮ってみるも、やはり、
これではサイズ感はわからないな。
(写真撮影OKなので、スマホ撮影しました!)
前回noteの最後の写真と、
今回のトップ画像は同じものなのですが、
こうして遠くから見れば、そのサイズは、
案外、大きいんだけれども、でも、
岡本太郎さんのその他の作品と比べれば、
めちゃくちゃ大きいものでもない、とも思われる。
つまり、一度目のときに作品に気づかなかったのは、
めちゃくちゃ大きいサイズじゃなかったからこそ、
なのやもしらないか。そしてまた、
ぼくは、数年間、
「ほぼ日手帳」で『建設』のカバーを使っていたので、
逆に、手帳のサイズに近い
「作品プリント」では気がついた、
ってゆうのはさ、なんだか、
じぶんの感覚として、おもしろい。
今回、あらためて
『建設』を鑑賞するにあたって、ひとつ、
企画として考えていたのはね、
作品とほぼ日手帳とで
いっしょに撮影することなのでして。
![](https://assets.st-note.com/img/1678072803204-QPuibZybIy.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1678072682101-eiDHbTVf9Y.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1678072812619-OIDRnunZLY.jpg?width=1200)
現在使っているカバーを外して、
押入れから『建設』のカバーを出して、
手帳にはめて、美術館へと持ってきて、
こうして、念願のね、
作品とほぼ日手帳とで撮影できました。
「作品プリント」で観ていたときにも思ったのですが、
この『建設』が、ほぼ日手帳の
カバーになるにあたっては、じつは結構、
トリミングされているんだなあと感じました。
![](https://assets.st-note.com/img/1678072666517-Ln41IlnX3L.jpg?width=1200)
そのトリミングの箇所をね、
「作品プリント」の上から
マスキングテープであててみると、こんな感じ。
とくには、作品の右側が
大きめにトリミングされているなあ。
これは、中央の「柱」のような箇所が
手帳のポケットの切れ目として使われているから、
そのサイズに合わせてのことだとはぞんじますが、
手帳だけで観ていたときには、
トリミングのこと、知らなかったなあ。
さらに、このトリミングによって、
作品左下、太郎さんのサインも
手帳カバーには載っていない、ということも、
この機会で初めて知りました。
『建設』という作品は、この
中央の「柱」のようなものが描かれている、
という構図が特徴的なのだと思うのですが。
そもそも、岡本太郎さんの
その他のどの作品でもなくって、この
『建設』がほぼ日手帳のカバーになる、って、
すんごいアイディアだなあー。つまり、
ほぼ日手帳の「ポケット」の箇所には、
この構図がうってつけだし、もっと言えば、
『建設』とは、ほぼ日手帳のこのカバーのために
作られたんじゃあなかろうか?!
とも思ってしまうんだわー。
![](https://assets.st-note.com/img/1678074471966-GuReqd9FzF.jpg?width=1200)
『建設』のキャプションも撮影。
このキャプションより、
文書を引用いたしますと、、
旧東京都庁舎のための壁画の1点の原画をもとに、独立した絵画として制作され、1956年の二科展に出品された作品。壁画に取りかかる前に訪れた視察での、都庁庁舎の建設中の光景を描いたものと推察できる。スパナやつるはし、ハンマーを持った人物や、躍動する大衆の姿などがダイナミックな動きを形成している。画面中央に縦に走る構造体の右側には、その生成のエネルギーを擬人化したような、大きな横顔も認められる。
ここで記されている
「スパナ」や「つるはし」や「ハンマー」は、
そう言われてみれば、ほぼ日手帳のカバーでは
トリミングされていることもあって、
切れているところもあるのですが。
でも、やはり、なんだか、
その「躍動」は作品から、及び、
手帳カバーからも感じられるなあ。
ぼくは、この手帳カバーを使ってから、
作品だけでなくって、
「建設」ということばもね、
なんだか、好きになったんだった。
それはつまり、このことばの中には
キャプションで記されていた「躍動」もあれば、
未来に向けた「希望」も感じられるし、はたまた、
後ろに「的」をくっつけた
「建設的」という語句もあるけれども、たとえば、
「建設的な話し合い」という意味だけでなくって、
「しっかりと生きる」というような意味にも取れるから。
「建設」のごとく、
生きることができたら。
ってゆう願いも込めながら、
展覧会の開催期間のあいだでは、
この『建設』の手帳カバーのまま、
過ごしたいなあ、そして、もっと
「建設」について想いを馳せたい、
とぞんじました〜。
令和5年3月6日