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憲法が作られたときの理念を鑑みながら。

自民党総裁選挙のある立候補者の方が、
災害時、真っ先に現場へと向かう
自衛隊及び自衛隊員に関することが、
私たちの国の憲法に明記されていない。
おかしいと思いませんか?
とのように言われていたのですが、
ぼくとしては、そのことについて
おかしいとは思わないかな。

ぼく自身は、これまでの人生の中で
自衛隊のことが憲法に記されていないことを
おかしいと思ったことは一度もなくって。

日本国憲法第九条第二項では、
【陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。】
と定められている項目について、この
「陸海空軍その他の戦力」のことが、
自衛隊に当たるかどうか、もしも
当たるとすれば憲法と矛盾しており、つまり、
自衛隊は違憲である、という議論もあるとは存じますが。
くわしいことはぼくはわからないけれども。
ならば、改憲して、憲法に自衛隊を明記すれば
違憲ではなくなる、というのも
それはそうなのやもしらないが、
その論理でよいのかどうかぼくはわからない。

以前、内田樹さんの文書で存じましたのは、
アメリカ合衆国憲法には、常備軍の保持が
憲法違反であるとも解釈できる条項がある、
ということなのですが。
(以下、内田樹さんのブログ「内田樹の研究室」より
『アメリカにおける自由と統制』を参照いたします。)

「連邦議会の立法権限」について定められる
合衆国憲法第八条の第十二項には、
【陸軍を編成し、これを維持する権限。
 但し、この目的のためにする歳出の承認は、
 2年を超える期間にわたってはならない。】
とされている。内田さんによれば、
常備軍はどの国でもふつうは行政府に属するが、
アメリカ合衆国憲法では陸軍の召集及び維持を
連邦議会、つまり、立法府に委ねている。
かつ、陸軍の維持費として二年以上にわたって
継続的な支出をすることを禁じている。
このことについて、内田さんは、、

アメリカが常備軍を禁じた憲法を持っていることを知っている日本人は少ない。改憲派は、憲法第九条二項と自衛隊の「矛盾」を指摘して、「憲法と現実の間に齟齬があるときは、現実に合わせて改憲すべきである」と主張するが、彼らが常備軍規定について合衆国憲法と現実の間には深刻な齟齬があるので改憲すべきであると米国政府に献策したという話を私は寡聞にして知らない。
私はむしろ憲法条項と現実の間に齟齬があることがアメリカの民主制に活力と豊穣性を吹き込んでいると理解している。
アメリカ市民は憲法8条12項を読むたびに、「建国者たちは何のためにこのような条項を書き入れたのか?」という建国時における統治理念の根源的な対立について思量することを余儀なくされるからである。正解のない問いにまっすぐ向き合うことは、教えられた単一の正解を暗誦してみせるよりは、市民の政治的成熟にとってはるかに有用である。

内田樹の研究室『アメリカにおける自由と統制』(2022年8月19日)より

‥‥とのように述べられているのですが、つまり、
憲法と現実とが矛盾しているとしても、
憲法が作られたときの理念を鑑みながら、
その矛盾と向き合うことが大切である、
ということなのだと思うけれども。。。

平成24(2012)年に自民党より出されました
日本国憲法改正草案では、とくに
第九条の内容が大きく変更されている。
現行憲法では「戦争の放棄」とされている文言が、
自民党改正草案では「安全保障」とされ、また、
その第二項には、自衛隊の名称が
「国防軍」とされている。
つまり、現行憲法第九条第二項での
【陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。】
の項目が削除されている。
名称が「国防『軍』」なのだから、当然だ。
そしてさらには、改正草案新設の第三項では
「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、
 領土、領海及び領空を保全し、
 その資源を確保しなければならない。」
とされているのですが、この
「国民と協力」する、とは、
どういうことなのだろう? というのは気になってしまう。

それはいわゆる、実質的な
徴兵制度なのだとも解釈できる気がするし、また、以前
「自助・共助・公助」のことが言われていたけれど、
ひとりひとりが自ら取り組むこと(自助)、
近隣に住む人と共に取り組むこと(共助)、
国及び自治体が取り組むこと(公助)、
という三つの概念を飛び越えての
「国を国民が助ける」という考え方は、
ぼくは、こわい、とも思えてしまう。

ならば、国家の安全保障のことは
なにも考えなくてもよいか? というのも、
もちろん思わないけれども、でも、
そのように憲法を改定することが
最適解なのかどうかぼくはわからない。

ともすれば、じゃあ、あなたには
憲法改定のどんな代替案があるか?
って問われたとしてもぼくにはわからないけど、
現行の憲法でよいのでは?!
って考えるぼくが、おかしいのでしょうか。

令和6年9月17日