ゲームの価値とやめどき。
先日のブログでも申しましたが、今はね、
ニンテンドースイッチのゲームソフト
「スーパーマリオオデッセイ」をプレイしています。
2017年発売のこのゲーム、当時、
ぼくはスイッチ本体を持ってなかったけれど、
その後本体を購入して以来、
かねてからプレイしたいと思いつつ、
それで先日ようやくソフトを購入しまして、
このごろはずっとプレイしていたの。
このごろでは、まあ、やり込み要素の
100パーセント的なクリアではないんだけど、
けっこう、じぶんなりには
がんばったところまではプレイしたかなあ、
とも思っているんですが。
いろいろむつかしかったし、
たいへんなこともあったし、
ぜんぜんわからなかったものもあるし、
じぶんの下手さ加減に呆れるときも多々あったし、
そして、やっぱり、おもしろかったなあ〜。
つぎはどうなるんだ? とか、
あれはどこにあるんだ? とか、
これはどうやってやるんだ? とか、
って、ずっと想いながら
わくわくしながらプレイしていた。
ゲームってさ、寝食を
忘れるぐらいにハマってしまうこともある。
いやでもたとえば、読書だってもね、
つぎの場面が気になってしまって、
寝る間も惜しんで読み進める、ということはあれども、
ゲームはそれ以上に、ほんのすこしの時間でもあれば
本体を起動して遊びたくなるし、遊び始めたら
寝食及び予定の時間のぎりぎりまで、
プレイしてしまうこともある。
つまり、依存的になってしまう、というか。
なのでそう思えば、いくらかの
こわさも思うけれども、でも、それだけ
ゲームがおもしろく創られているのでしょう。
そんなふうなので、ゲームプレイ時には
読みたい本等もほとんど読めず、
やらんといかんこともあんまり進まず、
ぼくとかはゲームに没頭してしまうけれども。
ならば、たとえば、
読みたい本も読めなかったとしても、
その要因を担いでいる「ゲーム」を
プレイするのは無駄なのか?
逆を言えば、ゲームと読書をくらべたら、
読書のほうが、ためになって、やくにたって、
素晴らしいものなのかどうか?
もっと言えば、
本を読んでも勉強には成らない、
本なんか読まずに人と会いなさい! ってえのも、
よく言われることだとはぞんじますが。
ならばもういっそのこと、究極を言えば、
本も読まず、ゲームもせず、
24時間ずっと人と会いつづけて、
人と話しつづければ、勉強にもなるし、
素晴らしい人間にも成れるのかなあ????
人と会うことは、
嫌いや苦手とは言わないまでも、
ときに疲れてしまうようなぼくにとっては、
それはできないよなあ、と思ってしまうぼくは
だから、だめなのかもしれないな。
でもね、
人と会う経験だけでなくって、
読書をする経験も、なおかつ、
ゲームをする経験も、
ほんとうに無駄なことなのかなあ?!
たとえば、ゲームならば、
むつかしいステージを
どうすればクリアできるか? って、
考えたり、試したり、何度も練習したり、
それでもできなかったり、できなくて
ネットで攻略法を調べてしまったり、
それでもできなくってどうにもあきらめたり、
というような経験って、もしかしたら、
まったく価値が無いと言うよりかは、
人生において大事なことでもある、
と、信じたいけど。。。
とは言えども、
ゲームも、読書も、会話も、なんでも、
やめどきってむつかしい。
だいたい「あとちょっと」って思いながら、
それからもまだけっこう長い間終わらなかったりする。
ゲームでも、そのほかのどんなことでも、
どうしたらうまいことやめられるだろう?
ゲームだったらば、たとえば、
二時間ぐらいプレイしつづけていたら、とつぜん
「パパ」から電話がかかってきて、その電話に出ると、
【だいぶ ながいじかん
ぼうけんを つづけているようだね。
おせっかいかもしれないが
ちょっと きゅうけいしては どうだ?】
と問われて「はい/いいえ」で答えられたら良いのに。
そして、仮にね、後者の
「いいえ」を選んだとしても、
【そうか。ま ちきゅうの ききだからな。】
と言ってもらえたら良いのに。
ガチャン ツーツーツー
そして、Here we go!!!
令和5年10月16日