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スーツケースが文字どおり床を滑ること。

カトリーン・キラス゠マルサルさん著/山本真麻さん訳の書籍
『これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話
 イノベーションとジェンダー』読了!
最初のページから最後のページまで、
なんだか、すごいものを読んでいるなあ、
って思いながら読書しておりました。

今では、車輪が
スーツケースについているのは、
当たり前になっているけれども。
現代の私たちが「スーツケース」と呼ぶものは、
19世紀末に誕生したらしいですが、
スーツケースに車輪がついたのは、その数十年後の
1970年代とのことだそうでして。
人類最大の発明の一つとして数えられる「車輪」は、
メソポタミア文明のころ、及び、その遥か昔の時代における
東欧のカルパティア山脈の坑道を通り銅鉱石を運び出す際に
車輪が使われたとされる。(書籍11頁より。)
つまり、車輪の発明から
スーツケースにキャスターがつくまで、
5000年という年月を要した。

19世紀末、娯楽として
旅をするようになった人々が楽しんだものは、
列車や蒸気船の汽笛、及び、
革新的なかばんだった。そのかばんの
何が革新だったか? と言えば、
かばんのてっぺんについている
「持ち手」だ。その持ち手によって、
片手でかばんを持てるようになったのだ!(20頁)

1972年、バーナード・サドウという人物による
車輪のついたスーツケースの特許が認められた。
サドウは、その申請書類に
【スーツケースが文字どおり床を滑り……体格や筋力、
 年齢に関係なく万人が、疲弊したり
 体を痛めたりすることなく楽に引いて運べる】(11頁)
と記したとのことなのですが。
じつは、1940年代のイギリスの新聞でも
スーツケースに車輪の技術を適用した商品
(車輪付きの器具をベルトでスーツケースにくくりつけるもの)
の広告が掲載されていた。(21頁)
しかし、この商品は広まらなかった。何故か?
広告では、重そうなスーツケースを持つ女性に
男性が手を貸そうとすると、女性は
【いいえ、ご心配なく —— 自分で運べますから】
と返して、このベルトを取り出して
かばんをキャスター付きに変身させて歩き出した。
つまり、この商品の発明が
女性向けであることは明白だった。
このころは、まだ、男らしさを誇示する時代。
男ならば、妻のスーツケースを持ってやる、
というのが当然だった。(26頁)
だからこそ、女性向け商品は
社会的に見向きもされなかった。
男性の生活だっても便利にしたやもしらないし、
世界の旅行かばん市場を一変させたやもしらないのに、
そのころの世界では、そのような
女性向けの製品を受け入れる準備ができていなかった。(23頁)

1980年代、キャスター付きスーツケースは
社会の変化とともに市民権を得るようになっていった。
女性の単独行動が増え、荷物を代わりに持ったり、
持つように期待されたり、持たないなんて
男らしくないと見なされたりする男性を、
同伴しなくてよくなった。つまり、
男性の護衛なしで遠出するのは普通のことである、
と許容される社会へと変化してきた。(27頁)

客室乗務員が、新製品の
キャスター付きスーツケースを引き回しながら、
空港を闊歩する時代になった。その、
客室乗務員さんの姿を見た旅行客たちは、
これは欲しい! と思った。(28-29頁)

つまりはさ、発明とは
これまであった技術を、
あるものにくっつけること、
ではあったとしても、それは
のちの時代から見れば当たり前のものでも、
創造するのは非常にむつかしい。
かつ、男性と女性のジェンダー的な
考え方によって、その発明が
広まるか広まらないかが変わってくる。
世界中のあらゆる人々が、とてつもなく
楽になった発明もあったとしても、
男性による女性に対する見方によって、
死んでしまったアイデアもたくさんあったんだろう、
と思うと、男性であるぼくもまた
そういう考えを携えてしまっている、
とも思えて、じぶんで、じぶんを
こわくも感じられてしまうけれども。

『これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話』
の書籍では、このあと、いろいろな商品や
アイデアの話が登場しながら、最終的には、
「魔女狩り」及び「母なる自然」のことが
記されていて、その果てしなさに
ちょっと呆然ともしながら、
これまで考えたこともなかったことをね、
たくさん読みながら、ぜんぜん
内容は整理できてないけれど、すごかったなあ。

世界は、
どうすれば、
平和になるんだろう?!
というふうにも思ったりもしながら。。。

令和7年1月19日