とても運がいいこと。
どうしたらよいかわからないときに、
どうしたらよいか? がわかる、というのは、
とってもむつかしいことだと思うの。
どうしたらよいかわからないときに、
どうしたら、どうしたらよいか?
がわかるの?????
それはもう、結局、いろいろ
試してやってみるしかない、というか。
ちょっと考えただけで、すぐに
こうすればよい、というのがわかった、
ってなったら、それはつまり、その状態は
どうしたらよいかわからない、ではなかった、
というふうにも思ったりもするし。
いろいろ試した結果、それでもわからなくて、
でも、ふと、この方法しか無いやもしらない、
というのを思いつく、かのごとく?!
このごろのブログでは、宮﨑駿さん監督映画作品集より
『となりのトトロ』をあらためて観た感想的なことを、
いくつかしるしているですが、『トトロ』の終盤にて、
妹のメイが迷子になってしまって、
姉のサツキ、そして、村の人たちが
懸命になってさがすがメイは見つからない。
このとき、サツキはふと思いついて
導かれるように走り出しながら、たどり着いたのは
トトロの住む森だった。
その以前、サツキとメイのお父さんは
トトロと初めて会ったメイに対して、
【メイはきっとこの森の主に会ったんだ。
それはとても運がいいことなんだよ。
でも、いつも会えるとは限らない。】
と言っていたけれども、このときサツキは運良く
トトロと出合うことができて、そして、トトロへ
【トトロ、メイが迷子になっちゃったの。
さがしたけど、見つからないの。
お願い! メイをさがして。
今ごろ、きっとどこかで泣いてるわ。
どうしたらいいかわからないの。】
と伝えると、トトロはとある方法によって
サツキをメイのもとへといざなってくれる。
この場面より考えてみるともすれば、
どうしたらよいかわからないときには、
たとえば、これまで
考えたことが無かったことを行う、
そして、それは、すでに
過去に経験している、しかし、
思いつくのは容易では無い、
という方法なのかもしれない。
さらには、他人へと
お願いをすることも肝要だし、なおかつ、
運が良くなければ成し得ない。
って言うよりも、一番大切なのは
「運」なのだと言えるやもしらないな。
そう言い切ってしまえば、ある意味では
元も子もないような気もするけれども。
ならば、どうしたら
運をよくできるか? と考えるならば、
これまたぼくにはよくわからないけど、
たとえば、サツキのように
自然及び神様の前で礼儀正しく丁寧に接する、
というのは考えられるとも思える。
かと言って、こうすれば、確実に
運が良くなる、という方法も、
無いと言えば無いんだろう。
ともすれば、やっぱり、
どうしたらよいかわからないときに、
どうしたらよいか? がわかる、とは、
とてつもなくむつかしいと申しあげますか。
つまり、学校で習ったり、もしくは、
参考書に載っていたりするわけでもないし、
テストの点数とか正解のことばとかでは、
はかりしれないことなのだろうなあ。
令和6年7月29日