【心】の【恥】じらいが【耳】に現れる。
前々回及び前回noteでは、表現と
恥ずかしさの関係性みたいなことを書きながら、
恥は捨てないで、しかし、同時に、
恥を晒すようにして、
このブログを書いてゆくほかない、
というふうにも思ったのですが。
この【恥】という漢字を見ていたら、
どうして【恥】の字は
【耳】と【心】でできているんだろう?
ってゆうのが気になってきてしまったの。
なので、こういうときにはね、
いつものごとく、白川静先生の
『常用字解[第二版]』をひもといてまいりたい〜。
白川先生によれば、やはり、【恥】とは
【耳】と【心】と組み合わせた形である、
とのことでして。そして、たとえば、
心に恥じることがあったときには、
まず耳が赤くなり、そのはじらいが
耳に現れる、ということが
【恥】という漢字の由来なのらしい。
白川先生の『常用字解』で漢字を調べると、いつも
祈りや神や生死や祝詞に関する由来が多いのですが、
でも、この【恥】に関しては
「心の恥じらいが耳に現れる」というのは、
至極シンプルと申しますか、もっと申せば、
なんだか理由が可愛い。。。
ここでさらに気になってくるのはね、
この【恥】の漢字にも使われている
【耳】という字のことだなあ。
って思ったのでもうひとつ、【耳】も
白川先生の『常用字解』で調べてみました。
すると、【耳】とは、、
至極シンプルに、つまりは、
「耳の形」によるものだった。
はたまた、たとえば、この
【耳】の字形が含まれている
【聴】や【聖】や【聡】というこの漢字とは、
人間の感覚及び神のお告げに関する字なのだなあ、
とも感じました。
【耳】の項目の中でもご説明される
「目」もそうなのだとぞんじますが、
「耳」もまた、やっぱり、
大切な人間の身体の器官だ。
つまりはさ、「耳」によって
声(お告げ)を聞き、それらの声を
かしこく理解できるようであれたい。
なおかつ、「耳」とは
人の「心」さえも表れているものである、
なのだともすれば、これを拡大解釈すれば
「表現」=「耳」、
とも言えるやもしらないか。
聽くことを主るものなり!
令和5年9月24日