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音楽はさらにより身近になった。(新しい世界_mix)

音楽を鑑賞するときには、
ふたつの方法があって、それは、
「生演奏」で聴く、及び
「録音」の音源で聴くことだと思う。
前者の「生演奏」とは、
ライブ、つまり、コンサートであったり、
楽器の弾き語りであったり、
合唱コンクール的な催しであったり、
つまりは、実際に
その場で奏でられている音楽を聴く。
そして、後者の「録音」とは、
CDであったり、レコードであったり、
ラジオであったり、テレビであったり、
YouTubeなどの動画であったり、
MP3やハイレゾなどのデータであったり、
SpotifyやApple Musicなどのサブスクであったり、
によって、音楽を聴くこと。
そのどちらかなのだと思うのよね。

そして、「生演奏」のほうは
さらにふたつに分かれていて、ひとつは、
楽器や肉声の「そのままの音」を聴く、
もうひとつは、
音響によって、つまりは
マイクやアンプやスピーカーによって、
「増幅された音」を聴く。

何千人、何万人も集まるライブならば、
音響が無ければ、演奏も
まったく聴くこともできないだろうし、
そもそも、エレキギター等の楽器は
ギター本体とアンプを繋いで、弦の
振動を電気信号に変換することによって、
音は鳴らされるから、
音響の技術が必須なのだと思われる。
つまりは、音響を司るPAの方々が
演奏の音楽をミキサーによって調節された音を、
コンサートの演奏として聴いている、
なのだと思われる〜。

というふうに考えてみるとね、
ぼくが今、音楽を
聴こうとするならば、
生音と生演奏で聴く、ってえのは
なかなか機会もなくって。
どちらかと言えば、
録音の技術によって記録された音楽を聴く、かつ、
音響の技術によって増幅された音楽を聴く、
という場合がほとんどなのだと思うの。

だからこそ、そのような
録音及び音響の技術によって、
音楽が身近になっている、
とも考えられると思うけれども。

逆に、録音や音響の技術がまだ
発明されていなかった時代では、
音楽は、現代と比べものにならないぐらいに
あまりにも特別だったのではないか?
というふうにも想像できる気がする。
もしくはさ、たとえば、
アコースティックギター等の弦楽器、
リコーダー等の管楽器、及び、
世界中のさまざまな打楽器、という
生音で演奏できる楽器が、
いつ、開発されたか?
ってゆうのもぼくはぜんぜん存じないですが、
そのような楽器が無かった時代の音楽は、
どのようなものだったんだろう?!

そして、現代ならば、
楽器ができなくとも、
コンピュータやタブレット端末があれば
DTM(デスクトップミュージック)によって、
音楽を作ることもできるし、はたまた、
歌が唄えなくとも、
「初音ミク」などのボーカロイドによって、
歌を作ることもできるから。
DTMの技術によって、音楽はさらに
より身近になったとも考えられる。

そんなぼくは、今、
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバム作品
「ワールド ワールド ワールド」収録の
『新しい世界』を聴きたくなってきた!!!!

 憂鬱な君はEのコードを
 流線型で弾き千切れば
 踏み込め 電源
 増幅の回路と想像力で世界が変わる♪

 世界! 世界! 世界!

令和7年3月2日