母の病状の流れ
母がガンだと分かったのは、10年前でした。
市町村で行われている健康診断がきっかけでした。
再検査が必要だから、と大きな病院で検査することになりました。
当時、母からは「ガン」という言葉ではなくて「悪性かも分からない腫瘍」と聞いた記憶があります。
精密検査の結果は、
「非機能性膵神経内分泌腫瘍」
あとからホスピスの先生に聞くと、ガンの中でも治療が限られているものだと知りました。
最初の手術は、夏の暑い日、大学病院で約8時間に渡る長丁場でした。父と私で立ち合いました。
膵臓の腫瘍だけでなく、胃と十二指腸も切除。先生は癒着が激しかったと言っていました。
2013年 肝臓に転移 手術にて切除
2015年 肝臓に再発 切除
2016年 癌細胞が外科手術では取りきれないほど増え、化学療法開始。
先生から「治療は2年」と言われた、と母はしょんぼりしていました。
それが余命なんだ、と。
医療従事者でもないので、この薬がどうだ、などと言えないのですが二年間は、病院で入退院を繰り返しながらザノサーなど4次治療まで続けました。
「化学療法」つまり「抗がん剤」と聞くと、髪が抜けたり、吐いたりするものを想像していたのですが、母の場合は「味覚異常」だったり「下痢やおならが止まらない」だったり←ちょっとこんなんばらして怒られそう・・・色々なんですね。一時的に調子が悪いときもありましたが、比較的に元気に過ごせていた方だと思います。
でも、結局どの薬も効果が上がりませんでした。
2018年 3月にホスピスのある病院に入りました。
1月に一度大学病院に入院していましたが、その時には既に今後治療を続けても効果がないことやホスピスに入ることを勧められていたようです。(私には出産を控えていることもあって黙っていた)
2月には具合の悪い日はあっても、出かけたり、私の家に娘を見に来てくれたりできたのに、3月にはがくっと悪くなり、足がむくんで歩けなくなり、腹水がたまりお腹は妊婦さんのように膨れ上がっていました。
末期がん
ネットなんかで調べた症状そのままでした。
あぁ、母は「末期なんだ・・・」と思うとなんだかもうやるせなかったです。よくドラマとかで聞く言葉だけど、まさか本当に自分の親のためにこの言葉を使うなんて、という変な気持ちでした。
2018年 4月末日 他界
前日は息子の2歳の誕生日でした。2歳になるのを待っていてくれたのかな、と思っています。
比較的に進行は緩やかな方だったそうです。アップル社の創立者であるスティーブンジョブス氏と同じ病気だ、と言って本を買って読んでいました。(なんの関係があるのかな)彼の激動の人生とはまた違う人生だけど、母の人生も悪くない人生だったんじゃないかなぁなんて思います。
10年間、よく頑張りました。
病気になるのは辛い事です。
当然ながら本人もだけど、それを支える家族や周りの人も覚悟が必要です。
ならない方がいいに決まってる。
でも、なったなら、なったなりの悔いなき人生を互いに送りたい。
「治る治る」と念じてきましたが、これだけ頑張ったんだもの。
今は、えらかったね、頑張ったね、ありがとう、と伝えたいです。
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