優秀人材を育成する人的資本開発
優秀人材の採用が困難を極めることは、前稿(今だからこそA&Rストラテジーを改めて考えてみた)で概観しました。ただ、いくら採用困難とはいえ、後継者さえいなければ事業継続もできないので、A&Rストラテジーを練って採用できるだけの武器を整えて闘いましょうという内容です。
しかし、現実は厳しいもので、相当思い切った打ち手を講じても、大多数の企業にとって優秀人材の採用はやはり難しいでしょう。そこで、本稿ではこの状況を所与のものとして、優秀人材を社内で育て上げることにフォーカスした人的資本開発(Human Capital Development、以下HCD)をどうデザインするかについて考えてみます。
人的資本開発はなぜ重要か
育てているのに育っていない
ある調査によると、経営者は、「現在のマネジャーの7割は、ビジネスチャンスを捉える十分なスキルを持ちあわせていない」と考えています。この状況を打開すべく、優秀人材の採用を試みるも、半年以上たっても採用できないケースが8割だったとのことです。やはり採用するのは難しいのです。結局、社内人材の育成に賭けるしかないのですが、優秀なマネジャーに育ったのは3割で、残り7割は落第という事実から目を逸らすことはできません。
レガシーな人的資本開発の惨状
では、レガシーなHCDがどれほどの成果を上げていたのか、もう少し掘り下げて確認しておきましょう。
別の調査では、リーダーシップ開発プログラムの受講者のうちで、エポックメイキングなビジネスインパクトを与えた人は1割に満たず、効果的なリーダー育成ができていると考える企業もやはり1割未満にすぎないとのことです。回答内容としては、HCDプログラムで得られる能力と、ビジネスの現場で求められる能力とのギャップ解消を願う企業が8割弱、プログラムの抜本的改革を望む声が9割弱を占め、レガシーなHCDに対する経営者の評価は非常に厳しいものになっています。
また、ほぼ全ての企業で導入されているであろうOJTの現状を検証すると、受講者が「OJTを受けた」と認識しているのは5割未満しかいません。優秀人材の育成に資する戦略的HCDとキャリアパスが機能していると胸を張る経営者は5割未満、モニタリングまでしているのはさらにそのうちの1/4、全体の1割強に過ぎません。さらに、マネジャーと従業員がキャリア開発について議論することは有効だと1/3の企業は考えていますが、裏返せば、2/3はその価値を認識していません。
やはり、レガシーHCDは、経営者が期待する優秀人材の育成に成功しているとはいえないと考えます。
必要性は高まるばかり
求められる知見、スキルの変化が早まっていること、また、以前は正解だったものが今では間違いだったと明らかになったものに関するアップデートが必要なこと、それは従業員だけでなくトップマネジメントにおいても同様であること等、HCDの必要性はかつてなく高まっています。
とりわけ重視すべきはトップマネジメントに関するHCDです。旧き良き昭和や失われた平成時代を経験してきた世代にとって、DX時代の価値観や就労観、DE&I対応等へのトランスフォームは簡単ではなく、体系的に学ぶ機会を設けることが不可欠です。
「頭でトレンドやバズワードは理解しているし、仕組みづくり、カルチャ醸成、現場での実践はマネジャーが引っ張ってほしい」とマネジメント層にあずけるのではなく、トップマネジメント自身のリーダーシップやマネジメントのあり方が、現在から今後の経営環境にフィットするのか、マネジャー以下に受容されるのかを見極め、どうあるべきかリデザインして、実践することが求められます。
人的資本開発の実効性を高める3つのポイント
強みとポテンシャルにフォーカスすること
「強みを伸ばす」と「弱みを克服する」のどちらのアプローチが効果的なのかがよく話題になりますが、結論は既に出ています。「強みを伸ばす」ほうが「弱みを克服する」より2倍の早さで熟達するだけでなく、生産性は12.5%向上、離職率は14.9%低下するのです。
また、「弱みはあるが、いくつかの傑出した強みを持つリーダー」と「弱みはなく、そつなくまとまったリーダー」のどちらがハイパフォーマーかという対比では、上位25%以上のチームには、上位26%~50%までのチームに比べて「傑出した強みを持つリーダー」が2倍多くいたという研究もあります。
これらの結果を踏まえれば、HCDは「強みを伸ばす」アプローチによって、「いくつかの傑出した強みを持つリーダー」を育成するプログラムへと再構築するべきです。
具体的な方法としては、ストレッチ目標の設定とその達成支援がポイントになります。ストレッチ目標は、「強みを伸ばす目標」と「新しい強みを習得する目標」の2つが必要です。
前者には、強みを活かすチャンスを与えること、同僚や協働相手と互いの強みについて教え合うこと、強みと関連するスキルや役割でさらに強みを補強すること、強みを今の状況に合わせて適用するよう勧めること等が考えられます。
後者には、能力以上の目標を設定すること、挑戦やリスクテイクを促す同僚を増やしてチャレンジングなカルチャを醸成すること、同僚や協働相手との相互学習のためにチームやグループを活用すること、新しい強みを試すステージをつくること等が考えられます。
「気づき」に基づく開発テーマの決定
何が問題かを認識できていない人に「ここが問題だね」と他人が指摘しても、本人の行動変容を促すことは難しいものです。「どんな能力を開発すればよいか」は本人が気づくしかなく、周囲は気づくよう働きかけることしかできません。また、人は自己奉仕バイアス(自分は実際よりも優れているという根拠なき楽観主義)に陥りやすいことを認識したうえで、本人が内省し、洞察して気づくまで辛抱強く待つことも必要になります。
本人がなんらかの気づきを得ることができたら、自分自身が何を学ぶのか、どのようなプロセスを経てどのレベルまで成長することを目指すのかを明確なゴールとして設定してもらいましょう。
ゴール設定したら、実践を通じて新たな知見やスキルを習得するチャンスが必要です。これはマネジメントの仕事であり、価値創造に直結する経営課題解決プロジェクトや新規事業創造等にアサインして、アウトプットを求めましょう。ただし、困難なプロジェクトに丸腰で放り込むのではなく、必要なリソースの調達をはじめ、バックアップ体制を整えることは勿論です。
こうして価値創造に結実させた後は、ロールモデルとして部下の指導・育成を担っていただきましょう。優秀人材からの教えに接して、「この人のようになりたい」と考える人的資本プールの充実をはかり、カルチャを醸成します。実効性に優れた人的資本開発のスパイラルアップの仕組みの定着化を促進することで、恒常的な優秀人材の育成が可能になるのです。
OJT主軸へのトランスフォーム
HCDプログラムにおけるOJT、コーチング、座学の望ましい配分は70:20:10と言われますが、現実は55:25:20になっています。OJTは受講者の半数にOJTとして認識されていないことは先に記した通りです。さらに、会社主催の研修は全体の1割程度しか頭に残らず、e-learning等のカリキュラム修了者はわずか4%に過ぎないという状況を踏まえると、プログラム再構築は必至であることをご理解いただけるでしょう。
OJTを主軸にするということは、現場に任せきりだったOJTを、HCDの観点から育成プログラムとして相応しい内容に改革することを意味します。そうなると、たちどころに大仕事になります。
具体的には、価値創出業務の特定をはじめ、BPRの徹底並びにマシン代替業務の削減、事業戦略に資する組織への改編、要員計画、人員再配置等を行ったうえで、該当する全業務のジョブ・ディスクリプションの整備、指導育成要領の作成、それに基づくOJTプログラム開発とマネジャー・トレーニングが必要になるのです。DXのピープル領域の業務と、ジョブ型HCM導入も併せて実施することになるでしょう。科学的なアプローチが必要になるため、各種データを収集するアナリティクス、HRテクノロジーツールも導入しなければなりません。
現場介入を回避してきた人事部門は勿論、現場側も人事が業務内容に立ち入ることを嫌気しがちであり、対立構造になっている企業も珍しくありません。こうした傾向が認められる企業では、OJTは「現場のラインマネジメントの仕事」とされているケースが多く、このような企業ほど、当該プロセスの仕事が重くのしかかることになります。一連の対処にかかる手間は膨大なので、社外プロフェッショナルの活用を推奨します。
こうしたポイントを踏まえて、新たなHCDのデザインについて考えます。
デザイン手順
1.開発能力の特定
今後3~5年程度の事業戦略の実現に資する人材は、どのような能力を具備すべきかを明らかにします。
昨今は、デジタル系とビジネス系の2領域でプロフェッショナルレベルの知見と価値創造力を求められますが、専門性、要求水準、必要な時期、新しいテクノロジーによる代替可能性等を考慮すると、DXを実現するために不可欠なデジタル系スキルと、価値創造を牽引するリーダーシップに関する能力にフォーカスすべきです。
この2つの能力開発に関する現場のニーズを確認できたら、能力開発プログラムやカリキュラムを作成、受講後のペルソナ(リーダーシップとコンピテンシー)と、その人物がビジネスに与えるインパクト・シミュレーションを提示して、経営陣から理解と支援を取り付けましょう。
2.現行HCDの有効性検証
事業戦略の実現に資する人的資本ポートフォリオを作成し、現状とのギャップを明確にして、HCDニーズのプライオリティを決定します。レガシーなHCDを維持してきた企業の場合、明確な強みを持つ人をプロットすることの難しさに愕然とするかもしれません。
続いて、レガシーHCDの個別プログラム(研修、メンタリング、コーチング、OJT)の質を検証します。受講後の価値創造にどの程度のインパクトがあったかを明らかにしましょう。
また、HCDと連動して人的資本を強化するコア人事制度(Human Capital Management、以下HCM)の機能状況も検証します。ランク、評価、報酬制度が現状にフィットするものかどうかを概観したうえで、パフォーマンス・マネジメント、評価面談(1on1、フィードバック含む)というハード面と、コーチング、メンタリングのプロセスというソフト面の両面が、望ましいものであったかどうかを確認します。
3.実態に即したデザイン
新HCDの初回対象者の選考基準を決める際は、現場からのボトムアップが不可欠です。トップダウンで方針決定するものの、レガシーなHCDでは、受講者選定にはラインマネジャーの推挙が必要な企業が多く、一気にトップダウンで押し切ることは難しいので、新HCDの選考基準づくりに現場を巻き込むことで、目指すゴールや、達成すべき人的資本ポートフォリオ、期待される効果について理解を促進し、協力体制を築きましょう。
将来を見据えてデザインする新HCDの対象者は、本来大局的な視点から選ばれるべきですが、レガシーなHCDに慣れ親しんできた人からは「なんでアイツが?」と理解を得られにくい人物が選ばれることもあり得るため、時として軋轢を生むこともあります。切り替えるべき時はスパッと行うべきですが、関係各位への配慮が必要なケースも未だ多く、デリケートな人の気持ちのケアを丁寧に行うことも大切ではあります。
ただし、学習プログラムやカリキュラムの内容に関しては、到達すべき水準を高く設定することが必須です。現場で直面する課題を取り上げ、獲得した新たな知見やスキルを活用して価値創造できるシーンをイメージしやすいケーススタディの活用を推奨します。頭で理解した知見やスキルを価値創造に結実させる経験を積むことで、ビジネスセンスと価値創造力をブラッシュアップできます。
4.マネジャーの役割の決定
新HCDにおけるマネジャーの役割を明確にします。
まず、学習プログラムの作成に関して、日常業務における価値創造に直結する内容とすべく、人事部門と協働する「開発者」としての役割を担います。
次に、メンバーに対して新HCDの目指すものを説明し、レガシーHCDと大差ないものととらえがちな受講者の認識を改めさせると同時に、選考基準や受講者になることのメリットを浸透させる「エヴァンジェリスト(伝道師)」にもなっていただきます。
そして、受講者がプログラムを通じて獲得できる知見やスキルの習得にコミットし、受講者が価値創造のために必要だと欲するあらゆるサポートを提供する「支援者」の役割も果たしていただきます。
また、CHROに対しては、HRBPの一員としての立場から、HCDとHCMの現場での運用フェーズにおける「改善・改革の旗手」という役割も担います。
5.学習と定着の連動
新HCDを持続的に機能させる仕組みを構築します。
まず、受講後の価値創造とビジネスインパクトに注目してROIを計測、定期的にモニタリングして、修正・調整、新プログラム・カリキュラムの作成を適宜行います。
次に、受講生自身が次世代候補者のサポーターになると共に、価値創造やビジネスインパクトの体現者として、「HCDプログラムを受講すれば、あんなリーダーになれるチャンスがある」というロールモデルになって魅せてもらいましょう。
そして、必要不可欠な存在になった優秀人材に対して、企業として提供できるチャンスや環境、報酬の魅力度を引き上げ、流動化させないためのリテンション施策をデザインします。
アナリティクスを活用した退職予測分析や、離職後も活動履歴を継続的に捕捉できるAlumniへの登録推奨、経営陣からの定期フォロー等、あらゆる打ち手を講じて引き留める仕組みを整えましょう。
優秀人材をどのように育成するか、頭を悩ませていらっしゃる方の一助になれば幸いですが、人的資本開発の考え方に関する思い切った発想のシフトが必須なこともあり、この考え方をご理解いただける方以外に推奨するものではないことを記して、まとめといたします。
Appendix
弊所ホームページに関連コンテンツを掲載していますので、お時間に余裕がある時にご参照いただければ幸いに存じます。
Human Capital Management Self Development
HCM(コア人事制度)において、人的資本開発は従業員個人が「自分のキャリアは自分でデザインする」という認識のもとでCareer Development Planを策定し、経営はそれを支援する役割へと転換します。例えば、カフェテリア型ラーニングメニュー、ジョブ・マッチング等で従業員の希望を叶えるよう努力することは勿論、個人と企業双方の要望がフィットしない場合はピボット支援等も行うべきです。新たなHCMへのトランスフォームも待ったなしです。
Re-Learning
HCCが提供するリラーニングカリキュラの概要です。人的資本開発と経営課題解決を並行して行い、修羅場での実践を通じた価値創造力のブラッシュアップを実現します。戦略&マネジメント、マーケティング、ピープルの3分野におけるプロフェッショナルスキルと、DX時代に生きるすべてのビジネスパーソンが具備すべきビジネススキルを徹底的に鍛え上げ、成果にどの程度貢献したかを評価、昇降格をはじめ実際の人材配置に反映させる極めてシビアな内容です。後継者や上級管理職選抜にお役立ていただいております。
Can we develop others to excellence ?
実は、筆者は人的資本開発に対して疑義をもった時期がありました。現在は、人は「育つ人」と「育てられる人」に分かれ、それぞれに最適化されたHCDを活用すれば成長可能だと考えています。有り体に言えば、優秀人材は「育つ人」、それ以外の人は「育てられる人」であり、HCDのターゲットは前者に絞るべきです。経営としては、育つ人に重点投資する一方、育てられる人はテクノロジーや機能会社への代替を加速すべきと考えます。育てられる人達は、代替されないようにRe-Learningで新たな知見やスキルを習得するか、別の居場所を探しに行くことになるでしょう、という記事です。
最期までお目通しいただきまして、ありがとうございました。ご質問、疑問点、コメントなどがございましたら、お気軽にお寄せいただければ幸いに存じます。皆様にとってなんらかの手蔓となれば嬉しいです。
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