文【私の大切な、私自身】
私の内なる闇の、仄暗い部分を、引きずり出して光の下に晒したい。
だけれど、それを見たいと思う人は稀だろう。
私だって他人のそういう部分を見たら、一歩引いてしまうかも知れない。
なのに、最近では小説よりも、そういった醜いような汚らしい部分を書きたい欲が、どうにも治まらないで困っている。
私の、生き物の心情を書きたいという、作品自体のコンセプトには当てはまるが。
それを小説として整理し、推敲し、なんとか読める形にした上で提供しないというのは。
どうにも不誠実な気がするのだ。