母との(プチ)対決 その後 〜2014年12月
https://note.mu/hazki/n/ne0ef60e720b8 の続き
9/29、リフレックス(抗うつ剤)中止。過食がひどいのに加え、不眠とやたらに買い物したい気持ちが出てきた。躁転の可能性があるので病院に電話したら即中止になった。
断薬して2日ほどで過食衝動は嘘みたいに治まった。逆に今まで食べ過ぎていた分、胃腸の調子が悪くなった。
それから離脱症状(薬をやめたことによる反動、煙草におけるニコチン中毒みたいなもの)が来た。
強烈だった。頭が重い。グラグラする。字が書けない。朦朧として一日中寝てるしかない。そんな状態が一週間ぐらい続いた。
断薬による離脱症状は毎回つらいが、今回も半端無かった。旦那も禁煙して離脱症状を少しでも味わえばいいとさえ思った。
同時期に風邪も引いてしまい家事もろくにできず寝てばかりいた。どこまでが離脱症状でどこまでが風邪の症状かもよく分からなかった。日付の感覚も麻痺した。
10/10、風邪がだいたい治った朝、自分がシラフでいることに気づいた。
過食してないし、やたらに買い物もしない。
過食衝動は断薬で治まった。だが買い物衝動は何度も繰り返し、私はそれを我慢しているためかとても情緒不安定になった。
買い物衝動はだいたい軽躁状態と同時だった。気分がいいと、楽しいと買い物したくなる、買い物することを軽く自分に許可してしまう。しばらく前から夫にクレジットカードは預かってもらい、ふだんは持ち歩かないようにしていたが、Amazon のようなカード番号が記録されるところではつい使ってしまっていた。
さすがにおかしいと思い病院に電話。今度はドグマチール(精神賦活剤)が中止になった。過食と同じように薬を止めるだけで買い物衝動は消えた。
体調が良くなっている、と思った。でもそれは一時的なものだった。
ドグマチールを中止して買い物衝動がなくなり、しばらくするとごく当たり前の食欲もなくなってしまった。好きなお菓子ならなんとか食べられるが、食事、特ににお米が食べられなくなった。長いこと「わたしはお米大好き!」と思っていたのでまさか薬の力で自分が食べているなんて思いもしなかった。
食欲がなくなり、眠れない日が増え、気分も落ち込むことが多くなっていた。食欲も気分も波が大きくて、どうしてそうなるのか分からなかったが、最終的にはひどいうつ状態になり、医師と相談してドグマチールを再開した。すると気分が落ち着き、食欲も出るのだった。
11月末、わたしは短期のパートに出た。
収入面でまるっきり夫に頼りきりの生活はやはり不安だったし、夫=外で仕事・わたし=家の仕事 という完全分業制から、お互いが仕事と家事を半分ずつの形にに近づけたいと思った。
夫とは「無理に長期契約目指す必要はない」「出来る範囲でやろう」と気楽に話していた。母の「無職」「穀潰し」発言はどうでも良くなっていたので、母にも普通のこととして話した。
12/1、雨が降っていた。
朝、母からちょっとした用事で電話があり、それはそこで済んだ。わたしはその日仕事があり、体調があまり良くなかったので電話を切ったあと横になっていた。
うとうとしかけたところにインターホンが鳴り、宅配便を受け取る予定はないのになー、と思いながら出ると母だっった。もちろん来るなんて一言もなかった。
わたしは露骨に不機嫌だったと思う、「今日仕事なんだけど」とインターホン越しに応答すると母は「(仕事場まで車で)送ってやろうと思って」という。なぜそんなことを思いついたのかさっぱり分からなかったが、正直雨の中この体調で仕事行くのはキツイな…と思っていたので渡りに船と思い母を家にあげた。
母は起きて支度をしつつもぐったりしているわたしを見、それから台所を見て、「お皿洗う元気もないんでしょう」「洗ってあげる」と台所を片付け始めた。わたしはぼんやりと「この前は同じように散らかった台所を見て『汚い、臭いそう』と言っていたのにな…」と考えながら、ぐったりしたままだった。
時間になり、わたしは母に仕事場まで送ってもらい、母は「帰りも送ってあげるから」と帰った。たしかに自力で帰るのはしんどかったので帰りも送ってもらった。
帰宅して、ぴかぴかの台所を見てるうちにもやもやした。なぜ母は急に気持ち悪いほど優しくなったのだろう? 敷きっぱなしの布団も、髪の毛だらけの床も目に入ったはずだ。いつもならここぞとばかりにボロクソに言うはずだ。
そしてわたしは気づいてしまった。
母が優しくなったのは、私が働いているからだ。
私が母の望み通り働いているから、母は優しいのだ。私が何を思おうが、何を考えていようが関係ない、母の言うことを聞き、仕事をするわたしにだけ母にとって価値がある。
わたしは泣いた。声を出して泣いた。わたしっていったいなんなのだろう。
その晩夫が帰宅すると声が出なかった。久しぶりに転換性障害を発症していた。
わたしは夫に「『親がそんなひどいことをするはずない』と言われるのも『それはひどい親だ』と言われるのも『そんな親のこと気にする必要はない』と言われるのもつらい」と訴えた。
実際気にするなと言われるとわたしは「気に病むわたしが悪いのだ」と受け取った。「なるべく母のことを『厄介な、関わりたくない親戚がいるけど故あって関わらないとならない』と考えるようにしているが、できない」とも言った。
気分が落ち着いてから妹に今日のことをメールした。妹は「母は自分の力で自分の身を立ててきたという自負が強いのだろう」「姉(わたし)に自分のことを認めて欲しいのに姉が認めないから攻撃してくるのだろう」そんなやりとりをして、母がわたしや家族に強烈に承認を求めていること、それは共依存的であること、わたしがそれを拒んでいること、つまりは母も自己肯定感がとても低いことなどを話し合った。
私は親には恵まれなかったが、妹や夫などの理解者には恵まれていた。
母から不意打ち気味に攻撃されたわけだが、この日は一晩で立ち直り、翌日から自力で普通に仕事に行った。
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