いまだに母を許せない
わたしは今そこそこ幸せで、まあ病気はいろいろあるけど、加齢も感じるけど、ときどき、どうしようもなく、「お前(母)が全部悪い!」と叫びたくなる時がある。
いま幸せなら昔なんてどうでもいいじゃん、って思えない。
ふつうに大学進学したかった、ふつうに就職したかった、できなかったのは全部母のせいだ、と思ってしまう。
厳密には母のせいではなく、事故で死んでしまった父のせいという方が正しい気もするが、死んでしまった人間は責めようがない。
わたしは「ふつう」に対するコンプレックスがすごくて、たとえば今放送大学を受講していて、卒業できれば大卒なのだけど、「でもそれって18〜22歳の4年間に大学通うのとは違うよね…」と考えてしまうし、結婚も2回めで「この人と適齢期に出会ってたら」とか、本当きりがない。
なんかもう母と関係ない部分も多いのだけど、わたしを一番悩ませるのは母の新興宗教狂いで、貢いでるとか騙されてるとかじゃなくて、すでに貢がせる方の立場で、ふだん母と接しているときは何も感じないのだけど「あなたも○○やりなさいよ」と勧められるとどうしようもない憎しみと共に「お前が全て悪い!」となる。
わたしは論理に従いたいし、論理的に生きたい。母はわけわからん宗教が内面化してしまって論理もクソもない。
わたしがその宗教の勧めてくる××を飲みたくないのは「効かないから」ではなく「非論理的だから」だ。
母の言い草も「とにかく(病気が)治ればいいじゃない」とか「とにかく1ヶ月試してみなさい」とか、微塵もわたしに響かない。
そのうち母が「最近宗教にハマるの冷めちゃって〜」と言い出す日は来ないのだろうか。
多分わたしは母が好きだ。それもマザコンレベルで好きだ。だから母が母でなくなる宗教(と酒)が嫌いだ。
一言、「ごめんね、お母さんも頼れるものが欲しかったんだよ」と、「今までごめんね」と言ってくれたら許せる気がするのに。
母が死ぬまで、死んでも、わたしは許せないのだろうか。苦しい。
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