母との(プチ)対決2014年5月〜9月
現在の私は夫と二人暮らし、無職子無し専業主婦(療養中)です。
2014年1月にパートを辞めました。
母は市内に住んでいます。
私が体調を崩して仕事を辞めてから3ヶ月ほど経った頃、母がやたら「寝てばかりいるからかえって体調が悪くなる」「ゴロゴロしてばかり」という意味のことを言うようになる。
私は薬でとても眠いのと、治療の進行度を一から説明するのが面倒でただ「体調悪い」「眠い」と答えていた。
私が少しずつ元気になって、ちょこちょこ外出できるようになると、母もなにかと誘ってくるようになった。母と買い物に行くとちょっと豪華なお肉とか買ってもらえることがあるので、私は断ることなく出かけた。でも、やっぱりチクチク言われるのだ。
5月の母の日に実家に行って、私と夫から母に花束を手渡した。母は「こんな気を使わなくてもいいのに」と言いながらも嬉しそうで、同じ口で夫に「働かないの養って大変でしょ?」と笑いながら言った。父も私のことを「ちっとも痩せない」的な事を言った。
この時は帰宅してから泣いた。夫のいる前で、夫に向かって、私を穀潰し呼ばわりしたことに泣いた。
7月、母からメールが来て「桃をいただいたから(実家に)取りにおいで」と呼ばれる。日曜だったので夫に車を出してもらって実家に行くと、桃を受け取ったら終わりじゃなくて、しきりに「ごはんを食べていけ」という。私達は玄関先で済ませて買い物行く予定だったからその通りに伝えると「その買い物はどうしても今日じゃなくちゃいけないの?」と食い下がってくる。仕方なく上がると食事の用意はまったくできないという。1時間以上かかると言われて夫と近くのショッピングモールに行き、実家に戻る。時間がとても早かったので夕飯いただいて実家を出たあとまたショッピングモールに行く。ストレスを感じる。
8月、母からの攻撃は止まない。相変わらず「仕事してないんだから家事はやって当たり前」「罰当たり」というようなことを言ってくる。私はなにも言い返せない。日頃ちょっとしたものを買ってもらったり食べ物をもらったりしているのを負い目に感じてしまってとっさに言葉が出てこない。そして後で夫に泣きつく。この頃からはっきり「母が嫌だ」「母が苦手だ」と自覚する。
8月25日。母とスーパーに買物に行く。色々とおかずを買ってもらい、帰宅した直後、頭がクラクラして力が抜けて食べることしか考えられなくなる。それまでもお菓子のドカ食い癖はあったけどこの時は強烈だった、薬を飲んでも横になっても食べ物のことが頭から離れなかった。結局力の入らない身体で無理矢理コンビニに行き過食して、家にあるものも食べ尽くして、おなかがパンパンになるとスイッチが切れたように寝た。
夫からの帰るコールで目が覚めたけどまだ脱力感は続いていた。夫が帰ってきて気づいたけど、私は声が出なくなっていた。喉が枯れたとかではなく、しゃべろうとしても全部空気音になってしまう。さすがにこれはマズイと思い、筆談しようとしたら字も書けなくなっていた。
転換性障害だった(この時初めてなったが知識はあった)。
幸いiPhoneは大丈夫だったのでメールで夫と会話した。
病院かかるにしても病状が説明できなかったらどうしようと思ったが、翌朝には症状は消失していた。
過食が止まらなくなった。母の支配から、コントロールから抜け出したいと思った。母に支配されないで済むぐらいのお金が欲しいと思った。同時期に「毒になる親」「母がしんどい」などの本を読みまくった。
妹にメールで愚痴をこぼすと珍しく話し相手になってくれた。
私は子供の頃からの母のからかいや嫌がらせを次々思い出していた。
小学生の私に「あんたは橋の下から拾ってきたんだ」と言ったり、もう少し大きくなった私に「お産はものすごく痛いんだ、会陰が裂けても気がつかないしそれを麻酔なしで縫われても痛くないぐらい痛いんだ」という話をした。何度も何度もしつこく繰り返しした。飽きると話のネタはどこかの国の女性割礼の話や(当時はなんだかよく分からなかった、後で調べた)処女の性器を縫い合わせて、初夜に夫が無理矢理引き裂く習俗などになった。とにかく私が嫌がる話をするのが好きだった。
妹が聞いた、「あんた何に怒ってるの」
私は答えた、「それはですね、いままで怒ったり、不快に感じて当然のことを冗談として言われ続け、いまも一番気にしていることを繰り返し言ってくる性格の歪みを起こっています。抑圧された怒りの暴発です」「もちろん、その場で言い返せなかった自分にも腹を立てている」
妹はわかりやすく言うとセラピストだ。
妹は、私に仕事のことを言うのはやめてくれ、と言ってはどうかと提案した。
それは母に頼むのではなく、自分の意志を宣言するのだと。
妹は母との対話も試みてはどうかと言ってきたが、それはまだ私には難しそうだった。
私は言った、「私は私の心身を自分のもとに取り戻したい」「私が母の言うことに苛立つのは、裏返せば母にコントロールされているということ」妹は「ブラボー!素晴らしい自覚」と言った。
数日後、母と電話で話さなければならない用事があった。その時に私は言おうと決めた。
喧嘩腰にならず、普通の会話と同じ調子で、「いま私ね、仕事のこと色々考えてるから、お母さんはもうそのこと言わないでいいからね」と紙に書き、声に出して練習した。念のためiPhoneに会話録音アプリも入れた。
9月1日、朝電話する約束だったのでこちらから電話した。用事が済んでから切り出そうと思ったが、軽く世間話をしてからすぐ言った。
「あーそう、私の仕事なんだけど、今色々考えてるから、あんま言わなくていいから。っていうか言わなくていいら(言い直した)」
言った!母は「あー分かった分かった」程度に聞き流していたが、私は電話を切ったあともしばらく動悸がおさまらなかった。
予定通りに喋れなかったけど、録音も忘れたけど私は自分の言いたいことを言った。
その晩は糸が切れたように眠った。起きたら翌日の午後だった。
私はまだ不安定で、このところずっと過食していた。お菓子をつい食べてしまう、とかでなく、コンビニに行って甘いカフェラテ、コンソメ味のスナック、あたりめや柿の種、チョコ系のお菓子、レジ前の揚げ物を買って、それを一息に食べてしまうのだ。
そういうのを何日も続けていた。
9月2日夜、また声が出なくなり字が書けなくなった。想像していたほど辛くはなかったが、私は翌日母と電話する用事があったので気が重かった。
筆談もできないのでiPhoneで夫に「どうせなら耳も聞こえなくなればいい」と言った。
そのぐらい母との電話がストレスで、コミュニケーションがとれなくなればいいと思った。
9月3日朝、予定通り母から電話。
用件を済ませたあと、母が「お父さんとデパート行って一緒にごはん食べない?」と誘ってきた。私は眠いのもあって思ったままに「お父さん一緒だとゆっくり買い物できないからやだ(スケジュール帳が見たかった)」と断った。
2時間ぐらいして目がはっきり覚めてから「あれ…?私母からの誘いを断った…?それも食事の誘いを断った!?ごく自然に!当たり前のように!」と気づいて、興奮しすぎてワケワカンナイ状態になった。
それから一気に呪いが解けた。
「私は痩せてもいい」「明るいデブキャラ演じなくていい」「私は母より若く綺麗でいてもいい」「自分のために勉強していい」「満腹になったらもう食べないでいい」等。
同時に自分が抑うつ状態になったのは就職結婚引っ越しのストレスでなく、中学生の頃から登校拒否気味だったことを思い出した。
母は私が頑張っていい成績をとってもそれが当たり前のような顔をしていて、一度も褒めてくれたことがなかった。
それでも私は頑張って勉強して、中3で女子トップになった。三者面談で教師から「はづきさんの成績ならどこでも行けますよ」と太鼓判を押され、母はそれを当然のような態度で聞き、私は勉強する気力を失ったのだ。
そこまで分かっていても、転換性障害は治らなかった。
健康診断の前の日、仕事について真剣に考えた時、「あれ」は来た。
頭がクラクラして、手足の力が抜けて、声が出なくなって、字が書けずキーボードが打てず、iPhoneの予測変換でなんとか夫とコミュニケーションを取るけど、それも相当頑張らないとできない。
健康診断は幸いとても良い病院に行けて苦手意識が弱くなったが、仕事について考えだすと自動的にネガティブなイメージ、電話で断られたり、圧迫面接されたり、働き出して鬱が出たり、という光景や音がありありと浮かぶ。
でも「食べなくてはいけない」の呪いは解けていたので、飴玉一個舐めて、安定剤を飲んで眠れば治った。
私はやっと気づきつつあった。
それを潜在意識と呼ぶのか自我と呼ぶのか知らないが、私が本当に望むものに逆らったり、無視したりすると「あれ」が来る。
初めて転換性障害を発症した日もそうだった。
私は母と買い物になんか行きたくなかったし、お金がないからおかずを買ってください、とお願いするのも嫌だった。うちの数日分の食費など母からしたら私にお小遣いを渡すようなものだろうが、それでも嫌だった。
でも給料日直前で、本当に使っていいお金がなくて、頼むしかなかった。
そして帰宅した途端「あれ」が来た。
私は、自分自身に対して、「私は働かない。働けないんじゃなくて働きたくない」と宣言した。
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