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良いと悪いはグラデーションのよう


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陽の沈む少し前、青とオレンジが混ざる空を眺めていました。

幻想的でふと日常であることを忘れるような感覚を覚えるほど綺麗な瞬間でした。

オーロラはもっともっと凄いのだろうと空想する自分もいます。


ふと疑問に思いました。


自分の気持ちに境目はあるのかな?と。


どこまでが怒りで、どこまでが悲しみで、どこまでが虚しさなのでしょうか。

快と不快、肯定と否定、どこで区切るのでしょうか。

自分はどこを基準にして決めてるのでしょうか。



もう一つの考えが浮かびます。

区切りがないと何か問題でもあるのでしょうか?

二元論でなければいけないことでもないですし、ちょうどいい、ふつう、まあまあ、その感覚も大事だったりしますし。

「いい塩梅って一体どこなんだ」と苛立つこともないですもん。いい塩梅は自分のいいと思った感覚ですし。

なんでそんなにハッキリさせたいのでしょう。

ハッキリしないと自分がスッキリしない、モヤモヤしてしまうからなのでしょう。自分のためだけの疑問なのかもしれません。

ただ自分が嫌なだけなのでしょう。それを別の理由に置き換えただけなのでしょう。


それなら無理に区切る必要がないような気がします。

この空の色のように、気持ちの境界はないほうが良いのかもしれません。

気持ちはグラデーションのように境目がなく曖昧でもいい、むしろ曖昧なほうがいい、そんな考え方に落ち着きました。

逆にこのどっちもでもない中途半端な領域がないと「どちらかにしなければいけない」と息苦しくなりそうです。

自分の感じている気持ちを言葉で表現するだけでもなかなかに難しいことですから。

ハッキリとわからないから「ソワソワ」「モヤモヤ」「ふわふわ」といった曖昧な表現が生まれたのでしょう。

曖昧だから、それぞれが自分に合ったイメージを想像しやすく、解釈しやすくなるのでしょう。


いつでも気持ちをそのまま受け止められるわけではないと思います。

気持ちをグラデーションのようなスペクトラムになっている、そう考えると、良いときも悪いときも延長線上のもの、どちらもすぐに行き来ができるものに感じてきます。

良い事がずっと続かない悲しさ、悪いことがずっと続かない嬉しさ、その悲しさも嬉しさもずっと続かない・・・と気持ちはどこまでも変わって、どこまでも続いていくのでしょう。

その自由な感覚が気持ちを一か所に留めずに執着させないので、気分が転換させやすく、すぐに楽にしてくれるのかもしれません。

良いときにすがることなく、悪いときに悲観することなく、どちらもその時だけの気持ちと考えられれば、「今」の気持ちを大事に思い、もっと素直に受け止めることができるのかもしれません。


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