マティス展。志功さん、「自我」像
『ダンス』や『ブルーヌード』を見れると思い
上野へ向ってしまった。
私は2019年に、『nothing』という作品を制作した。
日本語タイトルは、
『「せめて半分くらいは残しておきたい自我」像』。
ご覧の通り、
志功さんの影響を受け、
マティスの影響を受け、
描き残したものだ。
以上。
と、言いたいところだが、
言いたいところは、
すっかり届いていないわけで。
と言うわけで。
では、まず、つまり。
志功さんとマティスに共通項があることを感じたというとこから始めようか。
志功さんとは棟方志功のことである。
志功さんの自画像を見たことがあるだろうか。
私は、見て、すぐさま、マティスの自画像が浮かび上がり、志功さんの「賢い攻め方」が想起された。
野獣派よりも野獣派。
アンリ・マティスといえば「野獣派」と言われる。
英語では「フォービズム」である。
野獣派は、後期印象派のあとに現れてきたもので、
原色的で強い色彩、大胆な筆跡と言えばいいだろうか。
私がマティスを意識しだしたのは、現代アーティストのO JUNさんが、マティスを尊敬しマティスから影響を受けたということを聞いたからだ。
私は2016年に開催された
O JUN 展 「まんまんちゃん、あん」国際芸術センター青森の設営担当として関わっていた。
国際芸術センター青森の技術員に就任して最初の仕事がO JUNさんの個展だった。
色んなことを学んだ。
沢山のことをいただいた。
画家になるために16才で青森を飛び出した私が、
大工になり、青森に戻り、
技術員としてO JUNさんの個展と対峙した。
O JUNさんの絵と対峙すると
マティスが浮かび上がる
マティスの絵と対峙すると
O JUNさんが浮かび上がる
マティス展をじっくりと堪能した。
こんなにゆっくり、絵画と対峙したのはジョアン・ミロ以来だろうか。
最近は、色々と忙しい日々を送り、芸術と向き合う余裕もなかった。
それでも今日は、現場からの帰りにそのまま、湘南上野ラインで上野へ向かった。
美術館は、休日に小綺麗な格好をして、ゆっくりと非日常を堪能する目的で行っていたとこもあった。
しかし、
今日は、そんなことよりなにより、
気温が37℃の現場帰りだろうがなにより、
シャワーも浴びず男性特有のフェロモンが出ていそうでもなにより、
上野の東京都美術館に向ってしまった。
会期終了2日前。
金曜日はレイトショーがあるという情報を知っていた。
それか、何かが教えてくれた。
鑑賞者の数は予想以上だった。
マティス展を堪能し、気付いたことがある。
マティス展を堪能し、新しく気付いたことがある。
それは、
「線」である。
その「線」の色は黒だ。
彼は、「野獣派」と言われ、強い色彩や独特の構図に着目されがちだが、
彼の最大の特徴は
「線」である。
私の憶測だし、私の私見だが、
彼は「線」を、あとから描いている。
いや、おそらく、最後に「線」を描いている。
アウトラインのような、
輪郭線のような、
あの黒い「線」は、あとから描いている。
一般的な話しをしてしまえば、
大体の画家がモチーフを描写し、まずは、その輪郭線、アウトラインを描く。
しかし、西洋絵画には黒い輪郭線、アウトラインというものは無く、黒く細い輪郭線、アウトラインを描くジャンルと言えば日本画になる。
いわゆるアニメも浮世絵も輪郭線、アウトラインで構成された平面表現になる。
マティスの作品を眺めていると、地塗りの時点で色分けし、その目に見える色の世界を黒い「線」で境界を作り、現物質化しているように見える。
色彩でコンポジションし、
線でゾーニングする。
私の体にも、
海にも空にも、
窓辺にも、
黒い輪郭「線」というものは存在しない。
アウトラインも無い。
どちらかと言うと、
ただ、色分けされただけの世界だ。
マティスの描く「線」は実に有機的に見える。
有機的と言えばアール・ヌーヴォーが思い浮かぶ。
草木が作り出す曲線が、彼の筆跡と重なる。
彼にしか見えない自由なアラベスク。
彼の作品を順番に見ていくと、
ルノワールの裸婦像のような色彩を感じたり、
セザンヌのような構図も感じる。
東洋、もしくはジャポネズリーのような背景にも見える。
あらゆる偉人を標的に入れ、
あらゆる偉人を越えようとしたのではないか、
それはまるで"野獣"のように。
それは、描写でもなけれなドローイングでもなく、絵画でもない様に感じてくる。
一筆書きのような、豊かな筆跡が、
まさにO JUNさんとシンクロする。
2020年2月。
版画のイベントを開催することになり、
棟方志功記念館の宮野春香学芸員とトークを行うというプログラムを組ませていただくことがあった。
宮野さんは、私と同じ筒井中学校出身、戸山高校卒業である。※私は戸山高校から別な高校に編入してしまったが。
そのトークイベントの打合わせを兼ねて、何年かぶりかに棟方志功記念館を訪れた。
直接的に言うと、
泣けてきた。
志功さんの作品と対峙して、
泣けてきた。
そのエネルギーに、
心と胸ぐらを揺さぶられてしまった。
彼が本気だったということが、
胸ぐらから心へと伝わってきた。
日本を超え、世界を意識し
世界の頂点を目指していたことが
つぶさに伝わってきた。
『釈迦十大弟子』はクリムトであり、
『キリスト』はキュピズムを描くピカソであり、
『大世界の柵』『花矢の柵』は『ダンス』と『ゲルニカ』を超えたように感じてしまう。
『鷺畷の柵』はエッシャーだろうか。
志功さんの自画像を見ていると、
マティスを照準に当てていることが想起されて仕方がない。
その混色しない色彩と筆使いは、印象派には無い強烈さである。
版画表現は、
輪郭線を彫刻刀で彫り、
黒か白かをつくり、
彫るか彫らないか、
対象と対象を彫るか彫らないかでゾーニングし、
描写するしか方法がない。
つまり、
マティスが、再び思い浮かび上がる。
黒い「線」。
ハサミで断絶される「面」
私が2019年に残した
『nothing』
『「せめて半分くらいは残しておきたい自我」像』
は、混色せずに描いた自画像である。
しかし、左半分はカンヴァス上で上下に混色している。
「オマエは自我が強すぎる」
と言われる。言われていた。
「アンタは自我が強すぎるのよ」
と言われる。言われていた。
「ハジメちゃんは自我が強いからね」
と言われる。言われていた。
分かってはいたし、
分かっていたからだいぶ抑え込んでいた。
まるで野獣のような"自我"が内在していることは幼い頃から感じていた。
赤とか青とか緑とか黄色とか。
この"自我"をどこまで消してしまえば楽になるのだろうと。
世界中の争いの根源は、
"自我"だということも感じていた。
"自我"のおかげで、身近な人とぶつかり、
争い、離れ、別れ、決別する。
孤独になり、"自我"を全否定するまでに闇へ落ちていく。
虫や動物のように、何かに習い、何かに従い
ほのかな"自我"くらいなら可愛いのだろうか。
人類の"自我"は、時に強すぎ、時に破滅を生み、時に自滅を生む。
あるようで、ないような。
あったらあったで、なければないほうが 。
半分くらい残した"自我"を混色し、混ぜ合わせたら少しは美しいものに変わるのだろうかと思った。
自我が鮮明だった10代は髪が赤かった。
志功さんの自我像もマティスの自我像も、
黒髪や肌色などは見当たらない。
偉人を意識し、
偉人を超える。
"自我"を消し、
新しい"自我"を作る。
HAジメの輪郭線は黒く細いものでなければ、
輪郭線は、ただの白いカンヴァスである。
偉人たちが残す自我像は、どれも真顔ばかりだなと思っていた。
『ダンス』や『ブルーヌード』が見られなかったということは、
ロシアでもフランスでもニュヨークでも、
一度、実物を見に来てみなさいということなのだろう。
『nothing』
もう、本当はどこにもない。
消えてしまえと何度も願う。
そして、
『「せめて最後は確立したいと思う自我」像』