高校生を演じる高校生、ワナビーを演じる若手芸人__映画「実りゆく」を観て

高校生の時、私は演劇部に所属していた。
演劇部にも大会はあり、地区ごとに集まり2、3日に分けて、丸1日中高校演劇が全10公演程行われる。自身の高校が出場する日は基本全公演を観劇していた。結局3年間で数十を超える高校演劇を観たことになる。そこで気づいたことがある。
当たり前のことなのかもしれないが、演者と役柄が近いほど、演技はよりリアルになる。高校演劇というフィールドにおいては、戦時中の若者を演じた作品よりも、高校生の文化祭準備にまつわる作品の方が、演者の気持ちがより力強く、そのものとして観客に伝わってくる。それは勿論受け取り手の感情もあるだろうが、実際演じる側に私が回った場合も、どうしても経験したことのある思い出と重ねられる方が、役柄の感情を手に取りやすいと感じてしまった。
演じる側としても、観る側としても、役柄と演者の立場がマッチしている方が、よりその作品をリアルに感じることが出来るのだ。これはもう、どうしようもない事実として演じるという行為に君臨する。

ワナビーという言葉を知っているだろうか。先日知ったのだが、want to beを人間の属性として表す、「何者かになりたい人」という意味で用いられる言葉だという。確かにこの言葉は便利だな、こういう人物に名前は付いていなかったと思っていた矢先、この映画を見た。

映画「実りゆく」である。

実家のりんご農家を継ぐことになっているが、ある理由で芸人になる夢が捨てきれず葛藤する主人公を中心として描かれる作品だ。しかし、この映画には彼ともう一人、合計二人の芸人志望の若者が出てくる。即ち、どちらも"ワナビー"である。
彼ら登場人物を、若手芸人が演じている。
高校生が演じる高校生、若手芸人が演じるワナビー。
どちらも、演じ手も観る側も引き込む、リアルな組み合わせであると感じた。二人の若者が、何者かになろうとして、なれず、なれそうなものに嫉妬して、なれないことに傷つき、それでもなろうと足掻いてゆく。二人の表情に、心の機微がありありと浮かんでいるように感じるのは、きっと彼らが本当に今現在近い立場にいる存在であることが受け取り手である私にプラスに働いている。これ程この役柄に合う人間は彼ら以外に居ないだろうと勝手に確信して、鳥肌が立った。

また、この作品の素敵な点は、「人間の多面性をありのままに映している」ところにあると思う。あるシーンで主人公に優しくしたと思ったら突然暴言を吐く者もいる。常に、りんご農家と芸人と、発露されない自分自身の気持ちとで揺れ動く主人公は正にシーン毎にころころとその姿を変える多面体であり、それでいてありのまま一人の人間である。この人間はこう、と一直線に性格や方向性を定めない映し出し方が、素朴で自然体なその姿が、当たり前かもしれないが映画という媒体では酷く新鮮に移った。あまり普段月に何回も映画を見るタイプでは無い人間の感想なので、実際そういう映画はごろごろ転がっているのかもしれないが。

本人たちの属性をそのまま活かして、ありのままを映し出す、(事実を元にした)フィクションであるはずなのに筋書きの決まっていないドキュメンタリーを見ているような、不思議な錯覚に陥る、心にじわじわと侵食してくる、兎に角素敵な映画だった。現在絶賛ワナビーの私には、深く突き刺さって離れない作品となってしまった。

まんじゅう大帝国をご存知の方でまだ観ていない方は、きっと見た方が良いです。是非。

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9F%E3%82%8A%E3%82%86%E3%81%8F-%E7%AB%B9%E5%86%85%E4%B8%80%E5%B8%8C/dp/B0918XKLJ2

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?