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2.先行研究 2-1.前近代日本の建築と室内装飾織物の研究

先行研究はこんな感じです。時代を前近代と近代に分けました。まずは前近代から。掛軸の表装裂の金襴・緞子など、現代に繋がっているインテリアアイテムがありますね。

2-1で前近代日本の建築と室内装飾織物の研究、2-2で近代日本の建築と室内装飾織物の研究について述べる。

2-1.前近代日本の建築と室内装飾織物の研究
前近代日本における建築、室内装飾、室内装飾織物である畳の縁・屏風・掛軸等の表装裂についての先行研究は次の通りである。

2-1-1.前近代日本の建築
「和風建築」という言葉は洋風建築が日本に入ってきたことにより従来の日本建築との違いを意識して生まれた言葉である。前近代の日本建築の形としてとしては多様である。吉田は、社寺、宮殿、書院造り、数寄屋風の書院造り、数寄屋造り等があるとしている。また、民家には、瓦葺の町家、藁葺きの農家、板葺きの家、塗り屋造り、土蔵造り等各地で様々な形があると言う(吉田、2017、4)。

2-1-2.前近代日本の室内装飾
江戸時代の御殿の建築は、書院造の建物を機能ごとに建て、建物と建物を雁行型に配して、建物を廊下でつないでいる。例えば江戸城本丸御殿は、表、中奥、大奥という建物からなり、建物間を廊下でつないでいる。小粥は「書院造の建築のインテリアは、主従関係を明確する武家社会を映し出したデザインでもあった」と述べている(小粥、2015、36)。主従関係がもっとも顕著に現れるのが、上段と下段という部屋で、上段は周囲の部屋よりも床を一段高くした部屋である。上段の最も奥には床・付書院・棚・納戸構(帳台構)の4つの要素からなる座敷飾が設えられた。この座敷飾は、建物の格が下がるにつれて省略され、床だけ、床と棚だけ、の建物もあれば、江戸城本丸御殿大広間のように、床と棚が二つ、付書院、納戸構(帳台構)を組み合わせるものもあった(同、36-37)。

2-1-3. 前近代日本の室内装飾織物
前近代日本では、室内装飾の概念に相当する言葉として「室礼・舗設」という言葉があった。「室礼・舗設」を演出するための構成要素として調度があった。前近代日本では、この調度の一部に織物が使われていた。これが前近代日本における室内装飾織物で、主に、畳の縁、屏風・掛軸等の表装裂である。

2-1-3-1.竹中和哉
畳縁の種類には、上等なものから高麗縁、高宮縁、松井田縁、加賀縁、光輝縁などがある。
格式の高い縁に有職畳縁がある。竹中によると、有職畳縁はすべて定法にもとづいて用いられるという(竹中、1982、174)。古くは、有職故実によって用法が定められ、身分による用例が明確化されていた。代表的なものでは繧繝縁があり、ほかには高麗縁や大和錦などがある。繧繝縁はおもに八重畳・厚畳に用いられ、高麗縁は大紋白を中心に拝敷・二畳台・鐘敷・書院畳に用いられる。また大和錦は縁幅3寸仕上げにして茵(しとね)に用いられる。ほかに紫端や黄端などが有職故実にもとづくものとして用いられている。有職畳縁の種類としては、大和錦、繧繝縁、高麗縁がある(同、174)。
古制定法では、八重畳は茵・龍宴・厚畳とともに舗設(しつらえ)の造作であるとされ、室礼(しつらい)に必要な調度具として定法が設けられた。これが有職故実の一端になっている。ちなみに、「しつらえ」とは、かざりつけることをいい、古式では「貴人のいる場所」や「御座所」をあらし、それ以外のところでは繧繝縁は用いることを固く禁じていたものであり、江戸時代には処罪の事例がみられるという(同、105)。
高麗縁の白紋は、白地に大小の黒紋を入れたもので、大紋、中紋のほか、七宝、立枠、日光、九条と種類は多い。大紋・中紋は、定法により親王・大臣が用いるものとされ、本来は用途が限定されていた。のち、格式の高い僧院で用いられるようになり、二畳台や拝敷などに用いられるようになった(同、176)。
高麗縁・茶紋と納戸紋は白紋と同紋。茶・納戸のほかに、鶯・黒・銀・鶯金・金などの種類があり、本来は格式定法によって用い方が定められていた。畳縁は、畳が部屋に敷き詰められるようになってから、色によって格式をあらわすようになったが、色違いの豊富さはそうした一面を物語っているといえる(同、177)。
高麗縁・銀七宝は高麗縁の柄紋の一種。銀のほかに同柄異色では金・茶・鶯・納戸などがある。柄・色いずれも格式にもとづいて用い方が決められてしたもので、二畳台・拝敷・鐘敷など定法により広く用いられている。中紋とともに、床の間の薄縁など格式空間にも多く用いられている(同、178)。
高麗紋・白九条と茶九条の九条紋は、九条方とも呼ばれ、おもに書院畳などに用いられている。畳縁は、格式によって、紋柄・色などの用い方が定められ、混同させることを許さなかったが、そうした格式を重んずる気風が独特の紋柄を作り出したもので、書院・広間の畳には紋筋を合わせる敷き方が伝えられている(同、179)。

2-1-3-2.京都表具共同組合青年会
表具・表装と表装裂について、次のように説明している(京都表具共同組合青年会、1989、(1)、102)。

表具とは、文字や絵をかいた紙、または布を他の紙や織物に貼って巻物や掛物に仕立てたもの、あるいは木の枠に貼って屏風や襖に仕立てたものをいう。表具は表装とも呼ばれ、一般に掛軸を指す。そして表具、表装に使用される表装用の裂地を表装裂と称す。

屏風、襖、掛軸の表装に使用する裂が表装裂である。
京都表具共同組合青年会によると、表具は平安時代に中国からの仏教(密教)伝来に伴い日本にはいってきたという。仏教の布教に使われた礼拝用の仏や仏教聖人を描いた仏像画や、仏教の宇宙観を現した曼荼羅絵図の原型を作った。鎌倉時代から室町時代にかけては、禅宗に関わる書画(文字と絵)の掛け軸がひろまり、日本独自の室内様式である遊空間「床の間」が設置されたことにより、その場に合う装飾品として、表具の形態が完成されたという。江戸時代に入って、茶の湯の隆盛により、墨跡や文人画を、社交の場である茶室に合うように仕立てられた「茶掛表具」なども現れた。仏教の流布に即して発展してきた表具も、茶の湯と共に一般化され、庶民にも使用されるようになったという(同、102)。
表具は、それ自体が独立したものではなく、必ず書画(本紙)と一体になっている。掛物のうち、本紙以外の部分を費用しという。書画を快く鑑賞するために、表紙は本紙との調和を最も重視し、品位を損なわないように表装が行われる。調和のとれた表具とは、書画を行かすように裂地を吟味し、形態を考え、優れた色彩感覚を以って仕上げられたものである(同、102-103)。
一般に用いられている表具専用の裂地は一部を除き、明治15,6年頃初期より製作されたものであるという。それ以前の裂地、は法衣や衣装を解いて、表装に適するものを選んで使っており、表装用の裂地として織ったものは無かった(同、(2)、102)。
表装に使われている裂地の織組織の種類は、平織・綾織・搦織(からみおり)・繻子織がある。
平織は、織りの組織の中でも、最も簡単なもので、直行する経・緯糸が一つ置きに互い違いに浮き沈みしておられていくものである。糸の種類、密度などによって様々な織物が織られ、色糸の配列方法によって、縞・格子等が作られる。
綾織は、一度におのおのの三本以上の経・緯糸が交差する織物で、平織よりも地質がやわらかで、光沢がある(同、(2)、102)。
搦織(からみおり)は縦糸を捩らせて、その間に緯糸を通した組織織で、透きが出るのが特徴である。絽や羅・紗と呼ばれる織物がとれに当たる。
繻子織は、英名でサテンといい、組織織の中で最も後にできたものである。一番簡単なものは各5本の縦・緯糸が交差する5枚繻子で、経糸または緯糸だけが浮いて表面を覆うように見える。光沢に富むが、摩擦に弱い欠点がある(同、102)。
これら生地組織(織り方)を使って、文様を織り表す。経・緯糸を単色とした紋織物には、綾・綸子・文綸子・文紗があり、経・緯糸を複数色とした紋織物に金襴・銀襴・モール・緞子・繻珍・錦がある。表装に使われ裂地の中で、最も種類が多く、需要の多い裂地に金襴がある。金襴は、綾織、あるいは繻子織の生地組織に、平織で平金糸(紙に漆を塗り、その上に金箔や金泥を置き、糸状に細長く裁断したもの)、または撚金を使って、文様を織り表した裂地である。平金糸に金を使うと、金の光沢をそのまま現すが、金泥を施した場合は、渋く落ち着いた風合いが出る。このような金・銅・錫(すず)などを、紙のように薄く平ら延ばしたものを箔という。糸が銀糸の場合には銀襴と呼び、銀と銅を溶かして混ぜた箔を置いた糸で織った合金襴、金と銀を置かずに、漆を塗っただけの紙を糸として織った裂を漆箔と呼ぶ。金襴や銀襴のように箔を使った糸を用いた裂地に、金紗・モールがある。金紗は紗の裂地に金糸で刺繍を施したものである。主として白い紗に金一色で刺繍するが、紗を染めたり、金糸だけでなく、刺繍ようの色糸を混ぜて刺繍を施したものもある。桃山の頃から京都の竹屋町という所で、盛んに作られたと伝えられ、「竹屋町縫(たけやまちぬい)」「竹屋町」の名で呼ばれている。モールは、金や銀の撚糸を使用して、文様(多くは縞柄と併用して)を縫い取り風に織り出した多彩な織物である。緞子は、金襴とともに表装の裂地として最も多く使われている。本緞子は表面に繻子地の経糸が主として現れ、緯糸を文様に織り出した絹織物である。経・緯糸を異色とした先染め絹糸を用いて、表裏の組織の変化で文様を織り出した、地厚く、光沢がある織物を、広く緞子(純子)と呼んでいる。繻珍は、緞子織の地に色の緯糸を用いて文様を織り出したものである。明治の頃、損傷した帯地を屏風の縁などに使ったところ、評判がよく、光沢のない、渋く落ち着いた柄が、多くの人に好まれた。印金は、中国で銷金(しょうきん)と呼ばれ、壮大より流行した。羅、または紗の裂地に絞型を用いて漆、あるいは膠、糊で金箔を押して形を出したものである。地色は紫を最上として、丹、萌葱、浅葱、白などがある。錦は絹織物・木綿織物とあり、各種の色糸を使って文様を織り出した織物である。中国では紀元前より織られ、経錦・緯錦・綴錦などの種類がある。講義には繻珍も含まれる。また中国の蜀江と呼ばれる地方で産出された錦を「蜀江錦」と呼び、のちに文様が一定化して、錦のひとつの名称となった。間道は、渋みのある瀟洒な縞柄の裂地に、間道と呼ばれる裂地がある。間道は室町時代以降に中国の明から輸入された、高級な絹・縞織物である。縦縞のほかに、横縞、格子柄、千鳥格子、絣なども含む。絹織物が中心であるが、経糸を絹、緯糸を綿で織った甲比丹(かぴたん)・弁柄縞・今照気(こんてるき)や、経・緯糸ともに綿糸で織った、占城(ちゃんぱ)・唐棧留(とうさんめ)と呼ばれる裂地がある。特に茶人のあいだで珍重され、名物裂として有名な物が多く作られた(同、102-104)。
裂地には上記のように、織りで文様を表したもののほかに、染めで文様を表したものがある。生地に文様を染める方法には、木、紙、金属などの型を用いる型染めと、手描きによる描染めがある。臈纈染や擢絵(すりえ)、小紋染、友禅、紅型染、更紗等である。表装に用いられた更紗は、外来の文様染めの裂地一般に対する、日本での呼称として使われてきた。室町時代末期以降に渡来し、インド、ペルシャ、シャム、ジャワ産の木綿地に、草花文様を手描き(描更紗)や、木型、銅版型によって染めたものであった。文様のうえに金泥(あるいは銀泥)や金・銀箔で加彩されたものは、金(銀)更紗・金華布(きんかふ)として珍重された(同、104)。
京都表具共同組合青年会によると、表具に使う裂地の文様には、様々な題材が取り上げられているが、「そのなかでも植物を扱ったものが比較的多いのは、本紙との調和がとりやすいためである」という(同、(1)、102)。他の文様と区別するために、便宜上名付けられた文様群に、有職(ゆうそく)文様と呼ばれるものがある。主に公家のち調度類や、服飾、車などに用いられた、一連の伝統的な文様を指す。表装裂の文様は、用いられた裂地の関係から、この有職文様が多く使われている。有職文様は広義には、平安時代以来の文様を指すが、狭義には近世の類型化された文様を指す。有職文様の母体となったのは、奈良時代に、唐を始めとする大陸より入ってきた文様であるが、そのうち強烈な文様や、緻密な文様は敬遠されて、日本人の好みに合ったものが残され、改良されたという。また身近な親しみある風物を新たに文様として取り入れた。裂地の有職文様は、公家の装束が織物中心であったため、繰り返しの規則的な文様が主であった。したがって表装裂に使用される裂地の文様というのは文様という語が意味するように、継続的な柄が続いていくものか、一つの独立した柄が等間隔に並べられているものか、の二通りとなる(同、(3)、102)。
文様は飾るという一般的な意味だけでなく、その品を身に着ける人から禍いを遠ざけ、幸福を招くという重要な性格をもっているという。こういった性格を強く表しているおめでたい文様を吉祥文様と呼ぶ。吉祥文様の種類には、「鶴亀」「宝尽し」「鯉の滝登り」のようにそれ自体がおめでたい意味を持つ文様や、「菊水文様」のようにおめでたい伝説を文様化したもの、語呂や発音が他の吉祥文様と同じなので、そのものも吉祥文様になってしまったものがある。吉祥文様は国や地方によって様々であるが、日本では工芸全般に大きな影響を受けた中国の吉祥文様と深く関係している。中国から渡来した裂地が、後に堺や、京都の西陣で完成されていったように、文様も中国から譲り受けたものが多く見られるという。文様は植物、動物、自然現象、幾何学図形や文字など多岐にわたる。植物文様の代表的なモチーフとなる植物には、唐草、牡丹、菊、桐、松、竹、梅、楓、銀杏、鉄線、鶏頭などがある。動物文様の代表的なモチーフとなる植動物には、鶴、鴛鴦、蝶、鳳凰、龍、亀、海老、鯉、獅子、駱駝、兔などがある。幾何学文様は、雲、波、扇、宝物、独楽(こま)、卍、丸、三角、四角、六角、菱形、縦縞、横縞、格子などが基本となってできている。意匠化された文様には、各々名前が冠せられ、固有名詞として独立したものもあるという(同、102)。

2-1-3-3.稲垣正明
「日本襖紙表装大観」によると屏風は衝立の変化したもので、天武天皇時代に朝鮮から屏風を進献したことが日本書紀に書かれているがその屏風は衝立のことであるという。中国では屏風が無く、足利幕府や徳川幕府が金屏風を中国や朝鮮に進物として贈ったことがあるという。屏風の各曲の綴り方は最初は各曲の端上下二段に穴を明けて絹糸で綴じた革紐を鋲で打ちつけていた。紙の蝶番は足利時代からのことであるという(稲垣、1959、137-138)。
屏風表装としては、本地となる面、裏面の背、面の四周を貼りめぐらせた縁、屏風の内部を保護するための縁木、隅金具の帖角、隣り合う二扇を繋ぎ開閉するための接扇(せっせん)、各扇面が接触して擦れないようにするための縁裂がある。

2-1-3-4.襖
襖に貼られる和紙を襖紙といい、下貼り用と上貼り用に分けられる。上貼り用では越前和紙が名高い。
襖の上貼り用の材質には、襖紙、唐紙、織物等がある。襖紙は、鳥の子紙を始め、全国各地の手漉き和紙を中心に、手漉きの途中段階で模様を入れ込む越前の「抄紙(しょうし)」などがあるという(澤井、2017、308)。唐紙には、木版、渋型、更紗、手揉み、箔押し、砂子蒔き、箔散らし、泥引きなど多彩な加飾技法があるという(同,312)。昔から上物の襖には、天然素材の織物が使われていた。葛布、芭蕉布、麻織、絹紬(きぬしけ)、紗織などがある。葛布はカズラの茎の繊維で織った布である。強靭で耐水性に富み、かつては衣料にも用いられた。襖・壁用のものは静岡県掛川市で生産される。芭蕉布はイトバショウの繊維から紡いだ芭蕉糸を用いて織り上げた布である。もとは沖縄の織物だが、現在は静岡県掛川市で生産される。麻織はアサの繊維で織り上げた布で、古くから衣料や帆布などに広く使用されてきた。襖・壁張り用のものは、京都の山城地方を中心に生産されている。絹紬(きぬしけ)は繭の外皮から取れる不揃いな絹の荒糸で織られた富山県地端地方の伝統織物で、荒糸が変化に富み光沢とテクスチュアを生みだす。紗織は蚕の繭から練りとったままの糸を用い、2本の縦糸を横糸1本ごとに絡み合わせた織物で、織り目が粗く薄く軽いため、かつては夏の衣料として使われた(同、316)。

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