自分の作品は自画像なんだと思ったこと
去年の秋ごろに姉と姉妹展をしました。その時に見に来て下さった
人が、「この絵のモデルはいらっしゃるんですか?自分自身とか?(笑)」という反応があって、赤面するような気持ちになったことがありました。
黙っていましたが、心の中で「鋭いな」と思いました。そうです、結局モデルさんになって下さるような人がいなくて、机の前に100均の鏡を置いてそれとにらめっこしながら描いたり作ったりしています。とはいえ、そのまま自分の顔の特徴を出すわけにはいかないと思って(モデルが不美人なので)、結局平均顔~うまくいけば美人っぽくつくりかえようとするわけですが、それがいつもうまくまとまるかどうかわからないところで四苦八苦して、作るというやり方です。
モデルになってくれそうな人を父に探してもらって、描いていたこともありましたが、自分の要領が悪い(下手な)上に、時間もかかるから、モデルさんの負担になっていることが目に見えて、こちらも描いていて辛いというのもありました。モデルさんにお金を払った上に、記念としてか、作品をわたしてしまうことがあって、これじゃくたびれもうけだということもありました。そんな教訓もあり、モデルさんを雇うような真似はしなくなり、どうしたらいいかわからないような、鬱屈した感じになってしまった時期もありました。
それから、双極性障害のこともあり、暗黒のトンネル時代のような時期をへて、100均の鏡にたどり着いたみたいです。でも、これは私にとって魔法の鏡で、辛抱強くにらめっこしていると、自分だけじゃない、時には幼いころの自分が、姪っ子が、父や母が、その他知らない人の顔が立ち現れてきそうな気がするんです。村上春樹さんのねじまき鳥クロニクルに、「あなたはよそで作られたものなのよ」という(?)セリフがあったと思うのですが、自分がもし、よそで作られたものならば、自分がよそに繋がる何かになりうる気がして、自分と似ているけれど違う自画像のようなものを描いて(作って)るんだと思います。下手なのがちょっと辛いですが…