第43話「真夜中の飛行船」
苦労している人間はご褒美を貰っても良いんじゃない。
だったら俺は苦労してるのか?
自ら苦労してるとか、そんなことじゃないような気がする。結局は苦労することを苦労とも思ってない。今が苦労なら、これからも苦労は続いていくんだろう。あどけない表情が俺の心を癒すように、首にまわした細い腕が感情を面白おかしく狂わせた。
不意のキスより、お互いのタイミングで合わさるキスが好きだ。
神木恵梨香の唇は柔らかく、ほんのり湿っていた。時計の秒針が音も無く進むように、いつまでもキスは続いた。冷たい鼻先が触れて触れ合った唇が離れては見つめ合う。心を奪われたのは俺の方で、彼女の方はこの状況を冷静に楽しんでいる。
ベッドに飛び込んで、プリンみたいな乳房を求めては愛撫した。遠くで聞こえる風鈴の音みたいな声が聞こえた。
灯りの付いた部屋の中、中年男が無我夢中で若い娘を丸裸にしてる。綺麗な肌に嫉妬するのは誰?嫉妬しないのは誰?美しいものが虜にさせたのは、自分に自信がなかった人たち。
激しい波が街を襲って、すべてを飲み込んで立体的なアートを真っ白な大地へと変えた。冷たかったシーツが、ぬくもりから熱いコートへ変わる。プレーヤーは無我夢中な男と冷静な女。トンネルを抜けるように、何度も女の中を激しく突き上げた。
程なくして果てる様は、電池の切れた時計の秒針みたいだった。
灯りが消えたのは夜が静けさを迎えた頃、神木恵梨香は裸のままで死んだように眠っていた。俺は腕枕をしながら、彼女の寝顔を見つめては何も考えていなかった。
ただただ彼女の寝顔を見つめる。そして、自然と瞼が水中に沈む石みたいに閉じた。
眠りに落ちる瞬間、きっと何も考えてなかったんだろうか。考えてなかったんだろうか。考えてないんだろう。
水中に沈んだ泡が浮遊するように、俺の瞼がゆっくりと開いた。見上げた天井から縄はぶら下がっている。隣で神木恵梨香が背中を向けて丸まって眠っていた。露わになった背骨のラインを見て、色気ある匂いが漂っているように思える。
そんな匂いにつられるように、冷たくなった鼻先で触れた。
触れた瞬間、神木恵梨香がピクッと動く。そのまま手を回して、俺は彼女を包み込むように抱きしめた。回した手のひらで乳房に触れて、プリンみたいな大きさの乳房を軽く揉んだ。
足元の毛布を器用に足で下半身へ動かす。
「あのう、寒い」と神木恵梨香が呟いた。
「ああ、ごめん」と俺はそう言って、毛布を上までかけた。
すると、神木恵梨香は身体を反転させて俺の胸に顔を埋めた。二人して毛布にくるまり、冷たさがぬくもりに変わるまで抱きしめ合った。
だんだんと毛布の中が暖かくなり、二人の密着が気持ちを高揚させていった。お互いに確かめることもなく、顔を寄せて唇の触れ合いになった。
ゆっくりゆっくり、シチューをかき混ぜるようなキスは、やがて舌で味わうことを選ぶ。毛布が二人の頭まで覆い被さり、薄暗い空間をもっと深みある薄暗い空間をつくる。
昨夜の重なりを確かめるように、昨夜の重なりを忘れないように、二人は毛布の中で重なり始めた。
結局、ベッドから出たのは昼を過ぎていた。そのまま二人でシャワーを浴びたあと、ようやく落ち着いて掘りごたつに入った。
淹れたてのコーヒーを一口飲んで、俺は彼女の方を見た。神木恵梨香はまだ眠そうだったけど、眼鏡をかけた表情は、初めて会ったときの印象しかなかった。
「それで、どうだった?」と俺は彼女へ質問した。
「諸星さんのセックス、気持ち良かったですよ」
「そんなこと聞いてねぇーよ。君が言ってた体験のことを聞いてるの!」
「ああ、そっちですか。そうですね。今のところ身体に異変は感じませんね。どうなんでしょう。特に夢を見た記憶もありません」と神木恵梨香はそんな感想を述べた。
何も起こらなかったのか?
それとも俺と寝ることは関係ないのか。結果的に謎だけが残ってしまった。
「諸星さんは夢とか見ました?」
「いや、特に見なかったな」
「そうですか。それなら私はヤラレ損ですね」
「何言ってんだよ。君から体験したいと言ったんだろう」
「状態ですよ。何焦ってるんですか?私は別に、二番目の女で構わないですよ。いや、三番目になるのか」と神木恵梨香が笑いながら言う。
冗談か本気なのかわからない。とにかく俺としては、何も起こらなかったことは残念だった。これでまた、振り出しに戻ったような気がした。なんの進展もなきゃ、俺は呪われたままだし、謎だけが残って終わりだ。
「でも、一つだけ異変はありました。聞きたいですか?」
「なんだよ。あるなら言ってくれよ」
「声。声が聞こえたんです。たぶん、私が眠りに落ちそうだったときかな。とても小さな声なんですが、私の耳元で囁くような声が聞こえたんです」
果たして、神木恵梨香はどんな声を聞いたのか、そしてその声はどんな言葉を囁いたのか?俺は彼女がどんな話しをするのか待つのだった。
第44話につづく
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