第30話「アネモネ」
第30話
ー最終回ー
特別な奴だと思っていた。だけど、そう思っていたのは僕の方だけだった。きっとカルマは悩んでいたに違いない。僕との間にできた子をどうすれば良いのか考えていた。樹里に相談したけど、返ってきた答えは彼女からの告白だった。
勿論、カルマの欲しかった答えじゃない。だから、樹里にアネモネの花言葉を伝えたのだろう。
どうして、僕に相談してくれなかったのだろうか?それは僕自身が一番わかっていた。不器用な奴に相談しても困らせるだけ。そう思って内緒にしたのだろう。
カルマは一人旅をして答えを見つけようとした。そこで不運にもカルマは足を滑らせて芦ノ湖で溺れた。
『人間って脆いものなのよ。不器用な方が長生きするかもね』カルマが最後に残した言葉を思い浮かべた。
いや、真相を知って思い出した。
あの頭蓋骨は謎のままに終わったけど、もしかしたら、カルマのお腹に身ごもっていた子供の頭蓋骨だったかもしれない。あくまでも僕の想像だけど、不思議な事もあっても良いと思う。
今はそう思おう。もしも、カルマが生きていれば、僕の人生は大きく変わっていたのだろうか。知らなかったとは言え、僕にも子供がいたと言う真実は変わらない。
でも、カルマは自殺じゃなかった。あいつが自ら命を絶つなんて考えられない。自殺じゃないとわかって良かったと思えた。
これからも、僕と樹里は平穏な暮らしを続けるだろう。もしも、僕たちが忘れた頃、再びカルマの言葉が頭に浮かぶだろうな。
今はそう思うのだった。
そして年月は流れて十年後・・・・・・
僕は一人、車で芦ノ湖へ向かっていた。カルマの死から十五年目の春。樹里とは『無言の交差点』で別れた以来、会う事はなかったけど、彼女と再会できる事を望んでいた。今日はカルマの命日である。
もしかしたら、樹里が芦ノ湖へ来てるかもしれない。僅かな希望を胸にして、僕はアネモネの花束を持参して向かっていた。
昼過ぎに到着すると、僕は芦ノ湖付近のパーキングへ車を駐車して芦ノ湖へ向かって歩いた。カルマが死んだ芦ノ湖が見えると、僕は手に持っていたアネモネを見つめた。
樹里が命日を忘れてなかったから、十五年目の節目、アネモネを置いてる可能性はあった。
芦ノ湖が見えると、僕はカルマの亡くなった場所へ歩き出した。あの頃と何ら変わっていない芦ノ湖。そして、僕の目にカルマの事故現場が映った時、その場で立ち止まってしまうのだった。
「・・・・・・アネモネ」と僕は呟いていた。
なんと、カルマの亡くなった場所にアネモネの花束が置かれていたのだ。その場で振り向いて辺りを見渡した。樹里が居るかもしれない。必死になって辺りを見渡すと、芦ノ湖の湖畔を一人の女性が歩いている姿が目に入った。無意識のうちに僕は女性に向かって樹里と叫んでいた。
「樹里、樹里、待ってくれ!!」
走って追いかけると、女性は立ち止まってゆっくりと振り向いた。何十年振りの再会を果たす事ができた。そう思ったが、僕は女性の顔を見て声を失うのだった。
「久し振りに会いましたね」と女性はそう言ってから笑った。
「どうしてあなたが・・・・・・!?」
「私も驚いてます。まさか、あなたとこんな所で会うなんて」
「一木さん、あなたは刑務所に・・・・・・!?」
「刑期を終えたんです。ここは私にとって忘れられない場所。だから、私も誰かに習ってアネモネを置いたんです」
「意味がわからない?どうしてあなたがアネモネの事を!?」
「ねぇ、また愚痴を聞いてくれますか?あの頃みたいに・・・・・・」
カルマ、お前は事故で死んだんじゃなかったのか?カルマの死から十五年目の春、僕の目の前に現れたのは一木さんだった。頭の中で彼女の愚痴を聞いていたあの頃を思い出す。
何を語るのか?そして僕は何を聞かされるのか!?
「私、結婚する前に人を殺したんです。殺したのは我が子。この芦ノ湖で生まれて間もない我が子を放り投げたの。当時、付き合っていた彼は、私の罪を許しくれた。でも、結婚してからは暴力を振るうようになった。何故でしょう。私の罪を許してくれた筈だったのに・・・・・・。だから、私はあなたに愚痴を聞いてもらって壊れそうな精神を保ち続けた。でも、私は旦那の暴力に耐えきれなかった」
「嘘だ、嘘でしょう!?」と僕は一木さんに向かって震えた声で言った。
「いいえ、私は罪人です。昔、我が子と心中しようと芦ノ湖に来ていた。でも、心中できなかった。そのかわり、私は我が子を芦ノ湖へ沈めた。数年後、我が子を沈めた芦ノ湖へ来た時、一人の女性に出会いました。彼女、一人旅をしてるって言ってたかしら。偶然の出会いだったけど、彼女は運が悪かったの。芦ノ湖に沈んでいたモノを拾って、それをリュックサックに入れていた」
ここまで聞いて、僕はカルマの死で謎だった頭蓋骨を思い出した。あれは、一木さんが芦ノ湖で殺した子供の頭蓋骨だったんだ。
「彼女の拾った頭蓋骨を見て、私はバレることを恐れた。気付いたら、彼女の頭を押さえて湖に沈めていた。我が子も殺して、名前も知らない女性も殺した。私の心は精神的に壊れたの。家に帰れば旦那からの暴力に耐える日々。でも、唯一救われたのは、あなたが愚痴を聞いてくれたから。でも、やっぱり耐えきれなくなったのね。だから、旦那を殺して罪を償おうとした。ねぇ、あなたはどうしてここへ来たの?」
一木さんの話を聞いて、手に持っていたアネモネの花束を地面に落とした。僕たちはカルマの死の真相に辿り着いていなかった。そして、僕は知らず知らずのうちにカルマを殺した犯人と関係を持っていた。
僕はその場で膝を崩し落とした。カルマは事故死でもなく、目の前に居る一木さんに殺された。何もかもが崩れ落ちた時、僕は何を思えば良かったのだろうか。十五年後に死の真相を知ってしまった。
生前、カルマは言っていた。人は誰かに何かを壊されたり奪われたりする。それは誰かに返ってきて苦しみを与える。僕は全てを失ったような気持ちになった。
なんて災難が降りかかるんだ。世界が未知なるウィルスで混乱した時、僕は他人事みたいに俯瞰しては呑気に過ごしていた。
だが、真実は失うと言う結果だった。
「今度は、私があなたの愚痴を聞きましょうか?」と一木さんが肩に手をそっと置いた。
頬から伝わるのは涙という現実。僕は何も知らずに生きていた。知ろうとしなければ、真実を知る事もなかった。
「アネモネの花言葉って、はかない恋でしたよね。でも、他にもあるんです。知ってますか?」
一木さんの言葉を聞いて、僕は耳を傾けながら顔を左右に振った。
「恋の苦しみと言います。でも、色によって意味が違います。赤は『君を愛す』、白は『真実、希望、期待』です。青はなんでしたっけ?忘れましたけど、ピンクは好きな言葉なんですよ。『待ち望む』って意味が込められてます。ここで亡くなった二人の命。殺したのは私ですが、ここへ花を手向けた人はピンクのアネモネを置いてましたね。まるで二人の魂が待ち望んでいたみたいです」
アネモネの花言葉に樹里は何を思っていたのだろうか。カルマはどんな未来を予想していた。一木さんの望んだ生き方って何なんだろうか?
感情の高ぶりを抑え事ができなかった。溢れる涙を拭うことなく、ただただ失った人を思うことしかできなかった。やがて、僕の目の前で一木さんは姿を消した。芦ノ湖で残されたまま、僕はアネモネの花束を握りしめるのだった。
世界の終わりは誰かの死によって、待ち望んでいるかもしれない。
〜おわり〜