教える人は、学んでゆく人だ。
こんばんわ。ハザクラです。
今日は雑談チックにダラダラ書いていきます。
先日本を買ったときに、たまたま詩織(?)が付いてきました。最近よく見る、旺文社の「学ぶ人は変えてゆく人だ。」ってやつです。
何気にこの詩織(というか、この名言)、好きなんですよね。「学ぶ人は変えてゆく人。」ほんとうにその通りだと思う。
この詩織を見ると「本でも読んで学ぼうかな」と、つい思ってしまいますよね。旺文社の思惑通りでしょうか。(笑)
それはさておき。じつは、この詩織の裏面を見ると、今の名言が虫食いになっています。「○○は、○○てゆく人だ。」と。
きっと裏面では、一人ひとりがそれぞれの価値観に基づいて、オンリーワンの名言を創ることができるのでしょう。
敢えて空白のまま使ってもよかったのですが、せっかくなので、ハザクラ流の作品を作ってみました。それがこちら。
「教える人は、学んでゆく人だ。」
よく見るとわかるのですが、「学んで」の「で」は、無理やり濁点を付け足しました(笑)
教える人は、学んでゆく人だ。
折角なので、このコトバに込めた思いを、奇麗ごとのように語ってみようかなと思います。
シンプルな意味ですが、「他人に教えるなら、まずは自分がめちゃくちゃ学ばないといけないよね。」ってこと。
他人に教えられるって言うのは、めっちゃ勉強して学んできた証拠です。教師と言う職業である時点で、間違いなく他の人よりも学んできた。そして、進行形で学び続けている。それに関しては、教師の誇るべきことだと思います。
しかし、逆に言えば、学び続けていかないといけない。これが教師の宿命です。教育の目指すべきカタチは、時代によって気まぐれに変わり続けます。だから、「教え人」である教師こそ、常に学び続ける必要がある。
なので、僕が「教える人は、学んでゆく人だ。」に込めたのは、「教師よ、堕落することなく学び続けろ。」という戒めです。もちろんこれを読んでいるあなたにも伝えたいけど、まずは自分に対する戒めです。
もっと言うと僕は、「学ばなければ、教える資格はない。」と思っています。「学ぶ」と「教える」という2つのことは、表裏一体。普段学ばない人が、生徒に学びを促すのは無理ゲーです。
すなわち…。教える人は、学んでゆく人だ。
更なる暴論。
ここからはおまけ。ふと思いついた暴論を語ります(笑)
「学ぶ人は、変えてゆく人だ。」(by旺文社)
「教える人は、学んでゆく人だ。」(byハザクラ)
この2つ、連立方程式とみなせますよね??(暴論)
そう、つまり、「教える人は変えてゆく人だ!」
教師は、未来の人材を育てる。だから、未来を変えられる仕事ですね。夢がある!スバラシイ!(笑)
….下らないことにお付き合い下さり、ありがとうございます(笑)
今日も最後までありがとうございました!
ではまた。