何かしないといけない?
生産的なことを「しないといけない」?
何かをしていないと不安になって、
生産的なことをしなければ、、、
ああ今日も何も生産的なことをせずに終わった、、、
という心の声が聞こえることはよくある気がする。
これはわたしのセラピストさんとも前に話したことがある。何かしないと罪の意識すら出てくるよねぇ〜ということを話したことがある。
休日に、なにもしなかった、ぼーっとしていた
「これといった趣味は、、、。」
どこで習ったんだか、これらを避けなければいけないような気がしていたのだけど、
そもそもぼーっとしたり、趣味がぱっと思い浮かばないことは、わるいこと?いけないこと?
アメリカの「週末はなにするの?」質問
ところで、アメリカに来てから、「週末は何するの?」と聞かれることが多くてびっくりした。
銀行開設の時に少し話した初見の銀行員さんからこんなプライベートなこと聞かれて、「え〜?このひと、なに〜?きゃ〜!」とか思ったアメリカに来たばっかりのわたし、青いわ〜
青かったわたしはさておき、この質問はアメリカの文化を反映しているような気もする。
「週末は何するの?」という質問自体、そもそも何か特別なことをする前提に聞こえる。
日本ではそういう質問はしないけれど、
例えば夏休みの絵日記に、「きょうは、ずーっと、ぼーっとしていました。」と書いたらどうなるんだろう。
やっぱり何か特別なことをしたことを書くのがあたりまえになっているし、それ以外は受け入れてもらえないような気もする。そんなルールないのにね。
ちびまる子ちゃんなら、書いてくれるかなあ。
ポッドキャストを聴いて
「なにかすること」や「なにもしないこと」について、こちらのポッドキャストを聴いていて、これは多くの人が一度は思ったことがあるんじゃなかろーかと思った。
「しない」ができないこと、について10:00くらいから荻上チキさんと精神科医などさんが話されている。
予定を埋めてしまう、テレビを見てしまう、、、。
そうでないときまりが悪い。
瞑想をしていても、結局冷蔵庫の中身やこの後の朝食のことを考えたりするのも結局おなじことで、「しない」って難しいんだなあ。
でもそういう「しない」ができなくっても自分をけなしたりしないようにできたらいいなあ、と思うのでした。