ゲームの物語は現実のIfではない、僕たちが望む現実だ
「普段からゲーム実況をよく見たり、仕事以外の時間はゲームをしたりするのだが、最近よく思うことがある。"この物語が現実であったらいいのに...”と。(特にペルソナ4Gをクリアしたときそれを強く強く感じた...。この仲間たちと一緒なら俺はどんな困難でも乗り越えれると本気で思った)
もちろん悲しい物語とかを願うわけではないのだが、その後に仲間と苦難を乗り越えたり、困難に立ち向かう気持ちのたかぶりを主人公たちと一緒に体験できるのはゲームの素晴らしいところであり、素晴らしいと思えるということは自分たちが素敵なものを素敵と思える心を持っていることの証明でもある。
ただ、現実世界にゲームのような物語があるかと言われるとそうではない。
多くのゲームは現実社会との対比、いわゆる"綺麗事"や"絵空事"として「現実ではありえないけど、こうなったらいいよね」というコンテンツとして消費される。
この対比がゲームの良さを際立たせているのは事実であるが、ただ現実社会のIfとして描かれているわけではないと思う。
先ほども言った通りゲームを通して「素敵なものを素敵と思える」ことが、本来僕たち人間は純粋でお互いを思いやれるキラキラした心を持っていることを気づかせてくれる。
そしてこの気持ちを多くの人が思えていることに僕は可能性を感じる。
ゲーム実況のコメント欄やゲームのレビューからもそのキラキラした心をひしひしと感じる。
僕はこの純粋で、素直で、キラキラした心をゲームの世界だけに閉じ込めず、現実でさらけ出せるような環境にすることが「やりたいことを本気で遊ぶ」未来につながっているのではないかと思う。
実はずーっと前から人々の心はキラキラしていることが、ゲームのみならずアニメや映画に共感するところから明らかなのである。
あとはこのキラキラした心が現実でも隠すことなくさらけ出せる環境をつくること、それが人間をより人間らしくさせる第一歩のような気がする。
そんな未来を僕は作っていきたい。