羽床大志(はゆかたいし) / SUPER ULTRA THUNDER
やりたいことを本気で遊ぶ! / 子供と大人が共に遊ぶためには / つまらないことはしなくてもいい!そのためにどうしたらいいか?を日々考えるマガジンです! 日々のどうしたらいいんだろう?という問いに対して答えがあるわけではなく、考えを発信することで誰かの問いのきっかけになればと発信をしています!
俺らって社会で活躍できる大人になるように!って 学校で勉強をしてテストで評価されて、その努力を頑張った人は高い点数をとれて 社会でもやってけるよねって仕事をもらって仕事してるじゃん? 思い返してみてその勉強とか仕事に本当にワクワクしたことってある? 休み時間にドッジボールをするときや、放課後友達んちに遊びに行く時と同じに気持ちに勉強や仕事でなったことってある? 俺は全くと言っていいほどそんな気持ちに勉強や仕事でなったことがないや… 社会に出てご飯を食べていくためにはそうす
※こんなイベントをしたいと考えているという共有です。 企画の背景AIの利用が広まり、大人子供関係なく誰しもが万能なアシスタントを手に入れることができるように変わってきました。その結果、能力やスキルがない人でもプログラミングやデザインができるようになりました。 何かを作ったり/生み出したりする力を誰しもが手に入れられるようになる これからの時代では「固定概念にとらわれない自由な発想」や「やりたいことを本気で遊ぶ」ことが明るい社会を作っていくためにより重要になります。 子供は自
「メリトクラシー」 メリトクラシーは、みんなが公平にチャンスを得られ、一番頑張った人や一番上手に何かをした人が報われる世界のことを言います。たとえば、学校でテストを受けたとき、一番勉強を頑張った人や一番正解を出した人が一番高い点数をもらう、それがメリトクラシーの一例です。 現代の僕たちの社会を支えているこのメリトクラシーという考え方。 僕はこの「メリトクラシー」、つまり能力主義からの脱却が「やりたいことを本気で遊ぶ」ための第一歩だと考えています。 生まれや身分によらず「頑
会社も学校も家庭も全部遊びの場にしたい。 それは常に「楽しい」を追い続けたい。ということ。 まず「勉強」や「仕事」という行為に対して僕は全く否定的ではありません。 学びたいことを学ぶことは人間にとって本能に従った知的好奇心ですし、仕事も僕たちが住む社会をより良くするための活動として、競争してより良いプロダクトをつくっていくことやイノベーションは人類の進化のためにも必ず必要です。 ただ僕はつまらない「勉強」や「仕事」をしないでいい選択と 自分にとって楽しい「勉強」や「仕事」
この記事は孫 泰藏さん著の「冒険の書 AI時代のアンラーニング」について、読みながらしたメモを公開しています。 僕が今まで生きてきて苦しかった理由がこの本には詰まっていました。 と同時に暗い未来を照らす一筋の光となりました。 メモを見てもし内容が気になったら是非本を買って読んでみてください。
ChatGPTへの質問# 考え方URL # 僕が考えた子供を含めて再デザインできる場所 ※ここからはChatGPTの回答と自分の意見を織り交ぜながら記載していきます ChatGPT: 以下の情報を元に、子供を含めて再デザインできる場所を10個考えてみます。 考え方子供の純粋な好奇心、探求心、意見、思いやりなどが社会に反映されるように、現在の社会(政治や経済)などを再デザインすること。大人は子供から学び、子供も大人から学ぶ。 子供を子供と扱わず、きちんとした人間だと
1.子供を含めた社会の再デザインとは子供の純粋な好奇心、探求心、意見、思いやりなどが社会に反映されるように、現在の社会(政治や経済)などを再デザインして、大人と子供がともに社会をより良いものにしていける環境にすること。 そこでは子供も一人の人間として扱い、大人は子供から学び、子供も大人から学ぶ。 2.今までの社会は子供を未熟と扱ってきた政治は選挙権・被選挙権、学校は義務教育、仕事は学校卒業後からなど、「社会人」になるまで子供は未熟とされ、子供が社会に関わる機会や大人が子供の
「やりたいことを本気で遊ぶ」ために、一番大事なことにようやく気づけた。 "子供がいてこそ遊べる"ということだ。 それまで僕は大人になった自分たちが今の社会の中でやりたいことを本気で遊ぶためにどうすればいいかを考えていた。無意識に子供を除いてどうしたらいいかをずっとイメージしていた。 でもそれは結局、色々と知りすぎて社会に慣れた大人にとっては、子供時代の記憶を頼りに遊びに近づけるということしかできないと感じた。 本質的な遊びを目指すぞ!と意気込むことはできても、現状の社会を
※日々更新してます。 1.会社子供も会社の一員として参加できる環境にする。 ビジネスアイデアを共に考えるのはもちろんのこと、子供にしか持ち得ない視点で言うと「倫理的」な観点でビジネスや会社の在り方を評価できることだと思う。 具体的には「人を騙す(騙そうとする)ことはしない」「一部の人が幸せになっても誰かが不幸を被るならやらない」「過度な労働なんてしない」「みんなが楽しくないならやらなくてもいい(自分もやらない)」など大人たちしかいない社会で平然と罷り通ってるものにも純粋無垢
まず上記動画を見ていただきたいです。(該当部分からスタートするようになってます、5分程度) 僕は今世界に必要な変化として「子供を子供と扱わず、きちんとした人間だと扱う」ことが最重要であると思っています。 人間社会はあらゆる問題を抱えています。 戦争、人種差別、環境問題、貧困、その他諸々 それらは全て「大人が解決する」ようにデザインされています。 これはつまり政治のことです。 子供はまだ幼稚だから大人たちの議論には参加できないよ、と区別して法律としてルールまで設けてます。
僕は嘘や建前が大嫌いで、その時の本心しか言いたくない性格をしている。だから結果”綺麗事”を言うことが多い。 そして自分自身も客観的に見て「現実はこうだから」とか「それをやってもこう言う問題が」とか自問自答で反論をしてしまう。 ただ本来反論は「別の意見」として、元の考えと合わさることでより良いものにしていくためにあるはずだが、綺麗事に対する反論は押し問答になって結果プラマイゼロになることが多い。 それは僕自身も含め「綺麗事なんて、結局叶わないんだよ」と、どこか現実は変えら
「普段からゲーム実況をよく見たり、仕事以外の時間はゲームをしたりするのだが、最近よく思うことがある。"この物語が現実であったらいいのに...”と。(特にペルソナ4Gをクリアしたときそれを強く強く感じた...。この仲間たちと一緒なら俺はどんな困難でも乗り越えれると本気で思った) もちろん悲しい物語とかを願うわけではないのだが、その後に仲間と苦難を乗り越えたり、困難に立ち向かう気持ちのたかぶりを主人公たちと一緒に体験できるのはゲームの素晴らしいところであり、素晴らしいと思える
「基礎から始める」。そんな考え方が私たちを遊び心から遠ざけているのかもしれません。「基礎」という言葉にひそむ、つまらなさに潜む落とし穴を見つめてみましょう。 「基礎」から始めるつまらなさ Apexというゲームを例に出してみましょう。あなたがこのゲームを始めたとき、まず射撃訓練所で操作方法や銃の使い方を練習し、ルールをしっかり把握した上で初めてマッチに挑むでしょうか?おそらく多くの人が、ルールも操作方法もまだ完全に理解していないままマッチに飛び込みます。そして繰り返しプレイ
やりたいことを探して、やりたいことが見つかることはほとんどない。 正確に言うと探してる間はやりたいことかどうかはわからない。 ではやりたいことはいつ見つかるのだろうか? これは経験してきた人もいると思うが、 実際にやってみて気づいたらどんどん興味が出てきて、知らない間に時間が過ぎちゃってました。みたいなことが本来やりたいことなのだと思う。 逆にやってみたけど、どんどん興味が薄れていくのはやりたくないことということだ。 食べ物みたいなもので、見た目と匂いだけじゃ美味しいか
ゲームはなぜ楽しいのか?について気づいたことをまとめていきます。 やりたいことを遊ぶためのヒントがきっとたくさんあるはず。 ※どんどん追記して更新されていきます。 ※ちなみに僕の一番好きなゲームはペルソナ4Gです。 1. 仲間がいるゲームには仲間がいる。それも表面上の仲間ではなく共に助け合い共に分かち合い共に共通の目標に向かって進む。 2. 強くなるのが目に見えるレベルやステータス、装備などで自分や仲間が強くなっていくのが目に見えてわかる。どんどん強くなっていくのにワクワ
※下記の文章はChatGPTに自分の考えを簡潔にまとめてもらったものです。 やりたいことが見つからない!2つの大きな理由自分が本当にやりたいことを見つけるのは難しいと感じることがあるでしょう。その理由について私が考える2つの大きな要因を説明します。 1. 「お金を稼ぐことからしかやりたいことを決められない」問題私たちは学生期間中から社会に出たら何をやりたいか、という質問に対して、お金を稼げる職業の中から選ぶように仕向けられてきました。それはつまり、働き、社会/産業を動かし