〖小説〗生け贄の里
短編小説です。
生け贄の地へとおびき寄せられていく男性のお話。
過激な表現等はありません。読みやすい内容かと思います。
生け贄の里
日本を発ち、丸二日が過ぎた。
この地に生息するその未知の植物は、今世界中で猛威を振るう疫病に対抗する抗原を得られるという。日本の研究室に届いた情報では、現地では動物での臨床試験が進められており、ヒトへの応用も時間の問題だと。そうなれば世界初の試みとなる。その植物を日本へ持ち帰り、人工的に栽培可能なものにすれば、ワクチンの大量生産も夢ではない。
降り立った空港には現地ガイドが来ており、笑顔で迎えてくれた。短髪に日焼けした顔が似合う爽やかな男だ。旅慣れた俺のコンパクトな荷物をさりげなく車まで運び、快適とは言えないまでも安定した運転でもてなしてくれている。凹凸のある狭い道での手慣れたハンドルさばきを見ると、この仕事も長いのかもしれない。現地語は少しばかり勉強してきたが、英語でのコミュニケーションもどうにかとれるようで心強い。
それにしても空が美しい国だ。天気の良さも相まって、旅のスタートが順調であることに緊張がほどけ安堵する。車窓から入り込むスパイスの交じった肉を焼く匂いが鼻先を漂い、何か飲んだり食べたりとのんびりした様子の行き交う人々も景色と共に流れていく。ちょっとした広場では昼寝をしている男たちの姿も見え、猫が数匹食べかすを狙いうろついている。
ガイドの男が、腹は減っているか?と尋ねてきたので、丁度良いから適当な場所に車をとめてもらい露店をのぞいてみることにした。数名の客が囲むその店には、肉やチャーハンのようなものもあり、無難なところで肉の炒め物を求めて多めに金を払うと、「これも持っていけ」と果物を油であげたものを手渡してくれた。温かい食べ物は手の平で触れるだけでほっとする。肝心の味のほうは、舌がまだ慣れないものの、塩分が濃い目で多少疲れた体には丁度良い。
ガイドと二人でつまみながら続きのドライブへと戻る。そういえば、露店の店主に旅行か?と聞かれ、ここだけの会話だろうから「植物が好きで、趣味の写真撮影のために」と答えた。すると、何か入れ物から一枚の写真を取り出し、そこに写る赤い花を見せてきて、「この花は大変美しいが近づいてはいけません」と言う。
俺が聞いていないように思えたのか、どんなに触れてみたいと思ってもダメですよ、と『Do not』を繰り返す。
微笑みながらではあるが随分念の入った忠告だなと、改めてその花を確認すると見覚えがある。
空港にも確か、これに似た花の小さな絵が飾られていた。覚えておこう。現地の人間の話には耳をかたむけ記憶に留めておくことは調査、研究の基本中の基本だ。
『ダメ』か。ふいに亡くなったおふくろを思い出す。
「このお菓子はダメよ。お客様用のだから」
分かったと言いながら、それでもこっそり戸棚を開き、美しい包装紙に丁寧にくるまれたチョコレートの包みをほどき口に入れてしまう。そうすると、もう中学生にもなって、と軽く頭を小突かれたんだった。
そうだ、そんなことより、宿に向かう前に一か所だけ寄っていきたい場所がある。占い師の住まいだ。手相や占星術、呪術にも広く精通しているらしく、現地ではかなり有名な人物だという。ガイドにチップを渡すと、案内に慣れているのか気軽にこの寄り道を請け負ってくれた。
何か洞窟のような暗がりを想像していたが、この街によく馴染んだ建物の二階の一室だった。部屋の中央に鎮座するのは、大ぶりな水晶玉を前に頭からレースをまとった老婆ではなく、友人の母親といった雰囲気のふくよかな初老の女性だった。
博学才えいとしても知られ、ここには著名人も多く訪れると聞く。何か情報を得られるかと遊び心半分ではあったが、会って話してみると、その知識の豊富さと人に対する温かい接し方にカウンセリングにでも来ているような気分になる。やはり、狙いを定めたあの島は本当に聖なる地であるようだ。きっと何かある。そこに根を張る植物を隅々まで調べてみたい。占い師が静かに語る声と共に、『お前なら出来る』と自分の中にいるもう一人の誰かが囁く声が聞こえる。
そして実は、婚約者との今後についても聞いてみたいと思っていた。彼女への愛はゆるぎないものの、研究職というストイックで独特な自分の人生に彼女を付き合わせて良いものか多少迷ってはいたのだ。占い師は、彼女に花を毎年贈りなさいと言っていた。「ただ、赤はだめですよ。青や白、黄色やピンクにしてください」と続ける。それで自分の懸念はすべて払拭されるようである。そんな簡単なことで良いのかどうかは分からないが、何にしろ、あまり深く考えるなということか。それにしても、この国は『赤』をこよなく愛し、同時に忌み嫌う歴史的何かでもあるのだろうか。
帰りに建物内の手洗いを借りると、壁に落書きがあった。途中から文字が消えている。
『I’d rather tell you the truth ***』
そこから続く文字は汚れでにじんでおり読むことはできない。英語圏の旅行客がいたずら書きでもしたのか、小さなイラストなども部分的に残っている。
『むしろ私は、あなたに真実を伝えたい***』
なんだ、なんだ。その男も女の相談でもしたのか。考えることは各国共通だな。それで、花を贈りなさいとでも言われたのだろう。赤はダメだってな。俺は苦笑いをしながら洗った手を拭き外へ出た。
夏は終わったばかりで街は蒸し暑く、シャツの首元が汗ばんでいる。旅は始まったばかりだ。これからが本番。ひと晩ぐっすり眠り、明日はいよいよ島へと向かう。
ガイドは相変わらず血色の良い顔で手際よく出発の準備をしていた。
彼の丁寧な運転に揺られながら眺める景色は、のどかで穏やかで風が流れていく様子が見えるようだ。しなやかなカーブを描く細い道が、地の果てまで誘うように視界の遠くまで続いている。
川岸に着くと、現地の人間が待っていてくれた。小舟で島まで連れて行ってくれると言う。シャイなのだろう、ほとんど口をきかない小柄な青年。
島に小さな宿泊施設があるということで、ガイドには三日後にこの岸辺でという約束で別れた。
別れ際、青年と舟に乗り込もうとする俺に、ガイドが最後にあとひとつと言葉を投げかけた。
「赤いロープの結界の中は決して入ってはいけません。他の場所はどうぞ存分に調査してください。あと、赤い花を見ても、触れることは勿論近づくこともいけません。ダメなんですよ」
また『Do not』か。子どもに諭すように『ダメ』と強調するガイドに苦笑する。
ああ、もちろんそんなことは。もう大人だ、よく分かっている。
小舟が山あいに深くきりこむ狭い谷間を進んでいく。ここの風は少し冷たい。周囲の空気が暗く沈んでいく。
島の船着き場にたどりつき、ひとり島へと降り立った。無事送り届けてくれた青年に帰りの確認とチップを渡すと、彼は軽く会釈をして小さな声で「赤い花だけには」とかすれた声でつぶやき、こちらを視線の端で少しだけ見たようだった。分かった分かった、と笑いながら俺は手を振る。
送られてきた写真から想像していたよりも随分と広く大きな島だ。草木が生い茂り若い木々が柱のように立ち並ぶ。多少舗装された道のようなものもあり、そこを進めばこの島唯一の宿にたどりつくのだろう。
それにしても少し見渡しただけでも植物の種類が非常に多い。密林ともいえる。昆虫の観察も進みそうだ。宿泊の関係で滞在が最長で三日となってしまったが、はたして限られた時間で十分な調査が出来るだろうか。
足を進めていくと、森林特有のむっとする圧力を覚える。空気がべたついていて、足元はひんやりとしているものの顔の周囲はじっとりと暑く、ねばついた汗が染み出していく。
目玉がとび出そうな尾の長いサルが葉や虫を食べて木の上で昼寝をし、青い水玉模様の羽をもつ大きな鳥が歩く。姿は確認できないが、遠くの方から獣が仲間を呼ぶ声が木々にぶつかりながら微かに聞こえる。そのひとつひとつを記録していく。
万一にでも、うっかり結界の中に入らないよう、場所だけは確認しておこう。方角を確認しながらゆっくり歩いていると、随分と大きな木が見えてくる。クワ科のシメコロシノキの類だ。別の木に抱きつくように成長していく姿から“絞め殺す”という表現につながりこう呼ばれている。最初は一粒のタネに過ぎない。タネは鳥のフンや風で運ばれ、より日の光をあびられるように狙った木の上のほうで発芽する。気根と呼ばれる根をのばし、何年もかけて成長していく。何本もの気根は地に届くほど育ち、元の木の姿が見えないほどに覆いつくしてしまう。絡みつくように絞めつけられた元の木は、ただやせ細り朽ち果てるのを待つしかない。
周囲をよく観察していると、木に紐状のもので結ばれた布に現地語で何かが書いてある。自作の辞書と単語をつなぎ合わせてみると、いくらか理解できそうだ。
『心地良い・・・もゆる赤い花びら・・・神の怒りを鎮め・・・』
また、赤か。
とにかく触らない、近づかない。“君子危うきに近寄らず”ってとこだな。
それにしたって一体、何がそんなに。赤い花で死んだ人間がいるとでもいうのか。さては、その花が持つ毒性に無知だったんだろう。植物は身近なものだが、決して甘くみてはいけない。そこで研究を進めることなく、地元特有なクリシェの類で落ち着いてしまったか。
腰を落ち着けて広く眺めてみると、花々も随分と咲き乱れている。1、2、3と掛け声でもかけて花を咲かせているように色とりどりだ。こんなに美しい島なら、きちんと調査して危険性も把握した上で、もっと観光客にも楽しんでもらえる地にプロデュースしようがあるだろうに。
ふーと長い息を吐いてみる。見渡す限り誰もいない。青い空に泡のように白く小さな雲がいくつか並んでいる。見つめていたいが光がまぶしい。
ん?何か臭う。死肉のにおいか・・・。動物だろうか。周辺の様子だけ見てみるか。立ち上がると臭気がより強く鼻をつく。
少し休んだからか、足が軽くなったようだ。まるで糸に引かれるように身体が目的地へと動いていく。鳥と虫の気配が耳をかすめる。何かロープのようなものが見えた気がするが、まあ大丈夫だろう。
日が暮れないうちに、今日確認できる場所は・・・俺には時間がないから。
臭いがさらに強い。視界に赤い何か。たしか近づいてはいけないもの。でも触らなければ良かったはずだ。もう少し見ているだけなら。
どうやら花のようだ。
葉も茎もないその大きな花には濃く赤いぼつぼつがあり、毒々しくて不気味なのに、目が離せないほど美しい。その鼻をつく死肉のような臭いは、たしかにその花から放たれている。
どれほど眺めていたか、いつの間にか、その花が放つ臭いがとても魅力的で良いものに思えてくる。
本能的にそそられて、どうしようもなく近づきたくて衝動を押さえられない。気付けば足が地を踏んでおらず、俺は宙を舞い、大きく口を開けた赤い花びらの中に飛び込もうとしている。
ハエの羽音が耳元でうなり続け、何もかもがスローモーションのように流れていく。勢いのまま花びらの中に入り込むと、今度は身体が動かない。
すると、覚えのないできものが自分の足元にできていて、驚く間もなく大きく膨れ上がっていく。
それは毒々しい臭いを放ちながら、見る間にそこから赤い花びらが広がる。
いつの間にか知っている。何もかも理解している。その植物にひとたび狙われ愛されたものは、自分の全てをささげるしかない。どうしようもないものなのだと知っている。
人食い花。種をうえつけられた植物はその花を受け入れるしかない。そして自分に根付かせ芽吹き、次の生贄を・・・。私は選ばれてしまったのだろう。神に愛されるものとして。
「ダメよ」おふくろの声が耳をかすめる。めぐみ・・・婚約者の優しい笑顔が目の奥に見えて遠くへとかすんでいく。
ああ、なんて青い空なんだ。雲が円を描くように自分の周りを回っている。
島から流れ出る光がその油絵のようになった青に落ちていく。あの真っ白な雲にふれてみたいと天をあおいでみるが、自分の手足さえも一体どんな形をしていたのか、それすらもう、今は思い出すことができない。
(終)
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