センスス・コムニス
センスス・コムニス。それはアリストテレスが述べた、人と人とを結びつける共通感覚を意味する。
メディア学者のマーシャル・マクルーハンは、メディアとは人間の拡張であると言った。人間の拡張、中枢神経の拡張であるメディアが極限まで進化したとき、メディアそのものが共通感覚となる。共通感覚であるメディアが世界を覆うことで、文明はついに安定すると考えた。
彼は電子メディアがそれを可能にすると語る。マクルーハンの考える理想郷とはそうしたものだ。
この「メディアは神になる」という主張は正しいのだろうか。そのようなことが本当に可能なのだろうか。
彼のメディア論は興味深い。
・書物は人を権威的にした。
・アルファベットはコスモポリタンを作った。
・電子メディアは西欧人をコスモポリタンから再び部族に戻す。
権威的人間が書物を書くのではなく、書物というメディアが人を権威的にした。
象形文字とは違い、アルファベットは文字そのものには意味がない。土地に固有の意味から人を解放し、人を世界に散らした。神話ではなく原理原則によってつながるコスモポリタンを作った。それらはすべてアルファベットの仕業だったのである。
コロナで排他的になった西欧諸国を見ても、確かに西欧人は再び部族化している。
我々がメディアを形作っているのと同様に、メディアもまた我々を形作っているのだ。
それではメディアは本当に神となり得るのだろうか。そもそも、我々は神を作り出そうとしていたのだろうか。
道具は、奴隷であると同様に主人でもある。我らはAIに面接され、採否が決められるようになった。AIによって、生死を決められるようにもなるだろう。ジョークのようではあるが、可能性は高い。
究極の奴隷は絶対の主人でもある。それが神なのだとしたら、確かに人は神を作ってきたのだ。
だが、それは共通感覚ではない。
そもそも共通感覚とは何なのか。
人は勝利によってではなく、敗北や悲しみ、自身の欠落のために他者とつながる。人が寄って立つのは喜びではなく悲しみである。
だからメディアが常に敗北や死を人に意識させることができたなら、それは共通感覚である。
そもそもマクルーハンは「メディアとは武器である」と語っている。「歴史を見ても、文明が行き着いたところでは必ず前代未聞の壊滅的な崩壊をしている」とも。
人は幾度殺し合いをしても、死と向き合えずにいた。しかしコスモポリタンが生まれるほどの、歴史的に例がない圧倒的に大きなひとつの世界。それが壊滅的な崩壊を迎えたとしたらどうか。
未来永劫に人の記憶から忘れ去られぬ壊滅的な崩壊をしたとしたら。
永遠に人が死と共にいるようになったなら、
その時、メディアは神になる。
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