さぁ、後ろ向きに生きようではないか
「人は過去のことは知っているが、未来のことは分からない。『前向きに生きろ』と、語られるけれど、前向きとは過去を見据えて生きることだろう。前向きに生きる人は、未来へ後ろ向きに歩んでいる」
井坂康志先生が好んで話してくれる逸話だ。だからこそ先生は手帳を手元から離さず、逐一フィードバックをされ、自らを省みる。
もし後ろ向きになれなかったとしたら、我らはどこへ向かうのだろうか。自分の進むべき方向が分からずに、あさってな方向へ無闇に進むしかない。
過去の恥こそが自らの鏡であり、人は皆、恥に向かって生きていると私は感じる。
昔は勉強ができなかった。
かつてひきこもりだった。
アルコール依存症だった。
「日記を書いているのですが、良い思い出というものは一切ないんです」
井坂先生はそう話してくれる。しかし先生の周りには常に人が集まり、ここまで強力な予期せぬ成功は他に類を見ないと語ってくれる。
なんというか、先生の声は心地よいのだ。一時間以上ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を朗読されていても、うまく瞑想ができている時のように心地良い。
おそらくフィードバックと自省によって、自身のリズムを捉えておられるのだろう。下世話な話を被せてしまうけれど、私自身も日記を付けフィードバックを習慣にして以来、明らかに異性から好意的な目をいただく機会が増えた。
先生自身、「気質学的に言うと、私は憂鬱質です」とおっしゃるように、明るい気質ではない。しかしその憂鬱なリズムの取り方が妙法であられて、先生のそばにいさせていただくと良質な短調のクラッシックを聴いているように、落ち着ける。
明るい性格が人に好かれる、面白い人がモテると言われるけれど、先生を見ているとそういうものではないことが分かるのだ。自らの恥を捉えてリズムを奏でられるかどうか、だと感じる。大切なことは。
悲しい恥。バカな恥。人を喜ばせるような恥。怒りが湧き立つ恥。
恥を捉え、その恥とともにどういったリズムを生み出すか。恥を見れば、そこから自分がどうすべきか、が分かる。親友といると調子が出るように、恥を捉えたときリズムが生まれるのだ。そんな身の修め方がある。
儒教に、修身斉家治国平天下(しゅうしん せいか ちこく へいてんか)という言葉がある。身をおさめた者が家をおさめ、家をおさめた者が国をおさめ、国をおさめた者が、天下を平かにするという意味だ。儒教の究極は修身にある。
だから天下泰平の鍵は恥にあるのだ。
恥を見据えねば。後ろ向きに生きられる者だけが、未来を作ることができるのだから。
お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃
起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)
下のリンクの書籍出させていただきました。
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