「何時」自身を知れ
井坂康志先生の新刊『ドラッカー✖️社会学』を読ませていただいていたら、こんな記述が目に飛び込んできた。
「私の観察によれば、成果をあげるものは仕事ではなく、時間からスタートしている」(P.F.ドラッカー『経営者の条件』より)
世の中はだいぶ変化してきていて、自身が何者か知ることこそが何より大切になった。
だがそうした中でも、「あなたって何なんですか?」と聞かれたとしたら、
私は塾の先生です。
私はYoutuberです。
私は海賊王になる男です。
といった具合に、仕事の内容で答えるのが常ではなかろうか。
しかしである。ドラッカーはそうではなく、
「あなたは毎日、どんなことに時間をかけているのですか」
と問うているのだ。
・私は塾の先生だけれど、1日の4分の1はご飯のことを考えている。
・私は大企業の管理職だけれど、1日の3分の1はYahoo!ニュースを見て過ごしている。
・私はマッサージ士だけれど、1日の半分は彼女をどう口説くか考えている。
もしそうなのであれば、自己紹介の際、
「私はどんなご飯を食べるかを考えている人なのです」
「私のことは、何よりもYahoo!ニュースと一緒にいる人と覚えてください」
「私はナンパ師だと告白せねばなりません」
と語るのが、ドラッカーの言う正しい自己認識に基づいた自己紹介ということになる。
閑話休題
ドラッカー自身は自らを「書く人」と規定していた。それは彼が書くことに最も時間を使っていて、何よりも理想を追求できたからだろう。
僕自身はドラッカー学会で教えてもらった「ドラッカーは生涯で40冊の本を書いた」という話が好きだ。膨大な数を書いたという事実が好きなのではなく、ある種、僕の師匠のドラッカーが40冊書いたなら、3冊原稿を書き終えた僕も残り37冊で打ち止めだろうと分かる気がするからだ。
残り時間を使って書くべきことはなにか。
こんな、真剣に自分を振り返ることができたときに背中に走る生命の断末魔のような戦慄が、僕にはたまらない。いかにも生きている気がするではないか。気味が悪いこともまた生命の特徴なのだ。
「計画はリスクを創造し、リスクを引き受ける」(『明日への道標』より)
ドラッカーはそう言う。
計画はあなたの狂気を映し出しているべきだ。優等生が先生の顔色を見て発する健全な模範解答などではなく、あなた自身の死の誓約が顔を出した、人がゾッとして顔を背ける狂気が含まれていなければ計画など立てる意味がない。
「汝自身を知れ」
ギリシャのアポロン神殿に刻まれ、ソクラテスが一生傍に置いた言葉。それは、あなたが死をかけて実行する、常軌を逸した計画を立てろと言っている。
あなたは、いつ死ぬのだろうか。
神殿の彫刻は、貴様に死にざまを知れと言っている。
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起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)
下のリンクの書籍出させていただきました。
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