E.フロム『愛するということ』より。神の属性は父か母か。
以下、『愛するということ』英書版より。超訳。
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神の属性は父か、それとも母なのか。
父の愛は到達の愛。条件を満たさねば享受できない。
母の愛は原初の愛。我らはそれを受け取ることができない。なぜなら、すでにそこにあるものだから。
もし神が父なのであれば、神は子を、父が愛するように愛し、子は神を父を愛するように愛すだろう。
もし神が母なのであれば、もうすでにそこには愛が満ちている。
社会は母型社会から父型社会へと移り変わった。かつて自然を神としてきた人間は、自然を従えるようになるにつれ、自分の手で作ったものを神だと思うようになった。
すでにあるものから、到達するものへ。だから神も、母から父へとその属性が移り変わっていった。
さらに変遷は続く。
神はノアと誓約を交わした。
「もう、人を洪水で滅ぼすことはしない」
アブラハムは、神と交渉するに至った。
「もしソドムに10人の誠の人がいるなら、ソドムを滅ぼさないで下さい」
神は「父」でなく「原理」へと変わっていったのだ。
正義、真実、愛
そんな原理へと。
神から人格が失われたのだ。神は多様な人々をまとめ上げる原理原則になった。
ーーーー引用終わり。
私は思う。
このとき神から魂が失われたと。
もし神が、父でも母でもないのであれば、人は神を愛することはない。
かつて父なる神は、人が自らを愛すことを欲した。
アブラハムに息子イサクを殺すように命じ、その究極の服従を喜んだ。
神を愛さず、父なる神の期待に応えなくなった人類は、ノアの一族を残し死に絶えた。
もし神が父であれば、神を愛さなくなった人類には最後の審判が下される。
もし神が母なのであれば、人類はそのまま生き残る。
もし神が原理原則なのであれば、魂を失った人類は滅び去る。
神を、再び母なる神へと返さねば。
到達ではなく始まりへと帰還せねば。
禅の初心、知識の寡多ではなく哲学を築くことへと回帰せねば。
最後まで自分自身であることを諦めなかった人により、次世代は開かれてゆく。
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