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悪人正機

クリストフ・アンドレに『自己評価の心理学』という書がある。数年前に読んだ本だけれど、忘れられない一文がある。一文というより公式、自己肯定感が何で出来ているかを示した公式である。

自己肯定感 = 愛される力 + 愛する力

これが公式だという。

「なんとも見事なもんだなぁ」

僕はそんな風に思った。

金とか学歴とか権力などは一切含まれていない。考えてみればとんでもない富豪とか、とてつもない大スターが自殺する話は良く聞く。

・コダック創業者、ジョージ・イーストマン。
・『フォレスト・ガンプ』のロビン・ウィリアムズ。

神田沙也加も竹内結子も、ヤンキースの伊良部秀輝も自殺だった。

ちなみに、雷に7回打たれても生きていた不死身の男、ロイ・サリヴァンの死因も自殺である。

「愛し愛されること」以外に力を注いでも、絶望の死神から逃れることはできない。

「この人、70年代から参加型社会一筋です」

「人と人とで何ができるか、がこの世の全てで、、、」

「仲間になれる人、仲間をどう作るかをずっと考え続けてきた人です」

6月26日のイベントで、平野友康さんが橘川幸夫さんをそう紹介した。

橘川さんら4人で創刊した音楽雑誌『ロッキン・オン』。今、本社は渋谷スクランブルスクエア27階にある。代表は渋谷陽一氏。グループ年商は100億を超える。

「バカだなぁ」
「辞めてなかったら、大金持ちだったぞ」

渋谷さんからそんな風に言われることもあるが、哲学に合わないとする。崩した表情からは、多少の後悔があることを見てとれたが。

僕は橘川さんに対して、いくらか不思議に思っていることがある。

邪悪さをカケラも感じさせないが、極道の棟梁のような顔をしていることだ。これは冗談のようだけれど、割合と本気で思っている。

「教育ってさ、文科省が決めた正解を伝えるばかりじゃないか」
「じゃぁ、行き詰まった時にどうするんだ?」

橘川さんは先週の土曜日に、そう言った。

正解を求めることは一人でもできるが、自身を振り返るためには仲間が必要になる。80年代の会社では、喫煙所で本音の話し合いがなされていた。後ろめたいもの同士でなければ、本当の話ができない。

橘川さんの立ち位置は、きっと悪なんだと思う。

学校では「良い人になれ」と教えられ、僕たちは正義の立場から他者を見る。すると、愚痴とか文句とか説教とかをしてしまう。

橘川さんの場合、善人に憧れる悪人なのだと思う。実際に悪人なわけではなく、悪人の立場に自分を置いて他者を見る。「他者は可能性」だとしばし彼は語るけれど、それも、自らを悪として他者に憧れを見て取るからだろう。

やっていることも、慈善というより「悪巧み」の感が強い。昨日のフェスにしたって、終わった後「してやったり」の雰囲気だったではないか。そもそも、最初から良いことをする趣旨など一切なかった気がする。

人は「悪いことをしてはいけない」と思うと、行動にブレーキがかかる。しかし、あえて悪いことをしようとすれば拍車がかかるのだ。

面白いのが良いのであって、成し遂げたことが良いわけではない。

「人と人とでなにができるか、がこの世のすべて」

だから、悪や問題をどうデザインするか。

ベストプラクティス(最高の実例)を提示するだけでなく、悪をデザインするのだ。強みを形作るだけではなく、弱みや問題をどう片付けるか、配置するか。

寅さんや両さんの映画のように。

良い点を取ろうとか、良いことをしようとすると問題から目を背けてしまう。そうではなく、既存の問題をどう面白くするか。新時代の起業は良いものを手に入れようとするものではない。手元の悪をデザインし、日常を面白くするものだ。

サラスバシーの『エフェクチュエーション』では、「起業は構築ではなくデザインである」という謎の言葉を掲げているが、こうした意味なのだろう。こいつを掴むのには苦労したぞ、サラスバシーよ。

そう、悪人ほど良い機会を掴む。
橘川幸夫は、悪人正機の人だと思う。

再度断っておくけれど、僕はまだ本性はしらないが橘川さんは善人だと思っている。あくまで「立ち位置悪人」が重要だと言いたかったのだ。

あ~、水曜の橘川さんのインタビュー、どうしよう^^;
そろそろ怒られそうだ😅


ps: 悪人正機は親鸞の用語で、禅問答なので意味は自由に考えればいいそうです。私の解釈もまったく正解のつもりはありません。つか、誰も正解してないだろこんなの💦


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Hayato  Matsui『逆転人生』共著者
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