目の前のお椀に広がる至福の世界を捉えろ
あなたの目の前のお椀に、なにか意味があるだろうか。
たとえば僕の目の前になんの変哲もないお椀がある。お母さんがつくってくれた味噌汁を、愛犬モコと一緒に食べるのだ。それは意外なほど至福の時間かもしれないし、心底どうでもいい時間かもしれない。
世界中のシャーマンを研究した心理学者アーノルド・ミンデルは、日常生活に潜むそんな至福の世界を「ドリームランド」という言葉で表現してくれる。そしてドリームランドにいるときにだけ、人には意味が与えられるのだと言う。
ならば、どうすればそのドリームランドに行く?ことができるのだろうか。
それには観察が必要なのだけれども、観察の基礎というのは「なにもしないこと」なのだ。なにもせず、なにも観察しない。ただ、それは起こるのだ。世ではそれは魔法とか、テレパシーとか、千里眼とか呼ばれている。
そういえば、シュタイナー教育のシュタイナーも千里眼を持っていると自らの著書で語っていたっけ。なにやら踏み込んではいけない領域に踏み込みつつある気がするけれども、気にせず踏み込んでみようかと思う。
導かれたように始めた仕事とか、神社仏閣に呼ばれたということがある。引き寄せの法則とか、天啓というものだって実際にはあるのだろう。
普通にしていて見えるものは、例えてみれば海面を見ているようなものだとミンデルは語ってくれた。クダラナイと捨ててしまいがちなこととか、どうでもいいと思ってしまうこと。そこに潜む本質を感じようとする時、僕たちは海面だけではなくて、空の果てを見たり海の底を探ったりできるのだそうだ。そいつのことを彼は「第二の感覚で見る」と語っている。
ちょっとドリームランドへ行くトレーニングをしてみよう。
音楽に例えてみれば、「意識」とは楽譜を書いたり歌を知っていたりすることと同じ。それに対して「第二の感覚」とは、音楽が沸き起こるその動勢や静寂に開かれていること、なのだそうだ。
それでは早速、なにもしないで音楽を紡ぐ。そんなトレーニングを始めさせて頂きたい。
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すこしだけ静かに待ってみて欲しい。なにもせずに瞑想を始める時のように。そして、今あなたが何を感じているのか自分自身に問うて欲しい。
どんな言葉が相応しいだろうか。今を表現するために。
「鳥が飛んでいる。楽しそうに旋回して」
僕はそう思った。
その言葉の中へ、第二の感覚を働かせて欲しいと思う。あなたが、くだらないと見捨ててしまっているものは何か。くだらないものの中にある至福の世界とはどんなものか。
「自由かな。仕事をすることを何より価値があることだと思っているけれど」
僕はそう思った。あなたはどうだろうか?
次に進もう。
そのくだらない世界の中から、どんな音楽が沸き上がってくるだろうか? あなたの第二の感覚を映しとるための音楽。それは、どんな音楽だろうか?
「ワーグナーのような力強いクラッシック? それともジャズだろうか?」
「自由、、、遊びだからジャズかな?」
僕はそう思った。
どんなメロディーや言葉が溢れてくるだろうか?
「ウゥ、ヤッ、ハッ」
「パーーー!!」
こんな言葉だ。こいつはなんでもいいんだ。
それを歌にしていく。
もしこの十数行で何か感じていただけたなら、これからは何かを作る実験をして欲しい。すなわち、あなた自身に物語を聞かせてあげる実験をして欲しい。何かを生み出すことは物語だし、物語とは何かを生み出すこと。その中においてここで作った歌が大切な役割を果たす。
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これが、なにもしない歌の作り方。なにも作ろうとしない。それは作られたのだ。いわば、海中や空の果てが目前に現れたのである。歌の意味を知りたければ、自分自身に語りかける物語の中で歌がどんな役割を果たしているのか、あなた自身が見つけねばならない。
アボリジニーはこれをソング・ラインと呼ぶ。道教では道と呼ばれるもの。あなたのソング・ラインはあなたが進むべき道である。
少しだけ瞑想をして、物語の中に一瞬だけ現れるこのソング・ラインという幻の道が、いったいなにを意味しているのか感じてみて欲しい。
役に立つことばかりを考えてきてしまって、どこかに忘れてきてしまった大切なお話。僕の魂の片割れ。
私はそう思った。
アーノルド・ミンデル『Dreaming while awake』"Innerwork with song lines"より。
お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃
起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)
下のリンクの書籍出させていただきました。
ご感想いただけましたら、この上ない幸いです😃
サポートありがとうございます!とっても嬉しいです(^▽^)/