#35「レスポンシブル・ツーリズム(責任ある観光)における行動変容の事例:白川郷,ハワイ,Ol’au Palau」
私の会社では、環境貢献行動をしてポイントをためるというbecoz challengeという行動変容のアプリを開発している。リサーチの中で知った責任ある観光と行動変容の取り組みについて解説したい。
オーバーツーリズムによる観光地や地域社会への負担が、世界各地で深刻な問題になっている。観光客が急増すると、交通渋滞や騒音、ゴミの増加など、いわゆる「観光公害」が多面的に噴出し、地元住民の暮らしや自然環境にも大きな影響を与えてしまう。地域経済にとって観光客数の増加は一見プラスに見えても、負荷が限度を超えると、観光地としての魅力そのものを損ない、長期的には地域も観光産業も衰退してしまうリスクが高い。こうした状況に対応するため、「観光客も地元も共に豊かになるにはどうすればいいのか」という問いが世界中で投げかけられている。
その課題に向き合う一つの大きな潮流が、「レスポンシブル・ツーリズム(責任ある観光)」という考え方だ。これは、観光に携わるすべての当事者が、訪問先の環境や文化、地域社会に対して与える影響に「責任」を持って行動することを強く意識するアプローチである。サステナブル・ツーリズム(持続可能な観光)の概念とも重なり合うが、レスポンシブル・ツーリズムでは特に「旅行者自身」の行動変容に焦点を当てる点が特徴と言える。
以下ではまず、レスポンシブル・ツーリズムが求められる理由を整理し、その具体策として世界各地で行われている取り組みをいくつか紹介する。最後に、その中でも特にユニークな試みとして注目を集める「Ol’au Palau(オラウ・パラオ)」の内容を詳しく見ていくことで、観光地が抱える問題と、その解決に向けた「行動変容を促す」仕組みの可能性を探る。
オーバーツーリズムによる公害とレスポンシブル・ツーリズムの必要性
観光地が抱える公害と地域負担
人気観光地では、一時的に大量の人が押し寄せることで、交通渋滞・大気汚染・騒音・ゴミ処理コストの急増など、いわゆる観光公害が深刻化しやすい。加えて、宿泊施設の乱立や空き家の民泊転用が進むと、地価や家賃の高騰を招き、地元住民が住みづらくなるケースもある。たとえばイタリアのベネチアやスペインのバルセロナなどは、過度な観光客の流入により住民との軋轢が高まり、抗議デモまで起きるようになった。
日本国内でも、京都や北海道の一部地域、また世界遺産の集落として知られる白川郷(岐阜県白川村)などで、観光客増加による問題が取り沙汰されている。人口600人弱の白川村に、イベント時には1日8000人超の来訪者が集中し、渋滞や騒音、ゴミの処理に大きな負担がかかる事態が続いていた。こうした公害が進むと、風光明媚な景観やゆったりした暮らしを求めて訪れるはずの観光地が、その魅力を失っていくジレンマに陥る。
観光地だけの責任ではない
観光公害は「観光地の不備や受け入れ体制のまずさ」に焦点が当たりがちだが、実際は旅行者側のマナーや理解不足も大きく関係している。大量消費型の観光が当たり前になり「観光客はお金を落としているから何をしても許される」という誤解を抱く人もいるが、それでは地域社会や自然環境を疲弊させ、結果的に観光業界自体を衰退させかねない。
そこで、旅行者一人ひとりが「自分もこの土地に負担をかけるかもしれない」という自覚を持ち、行動を改めていくことが不可欠になる。
レスポンシブル・ツーリズムという転換点
こうした問題意識の中から生まれたのが、レスポンシブル・ツーリズム(責任ある観光)というアプローチだ。キーワードは「責任(Responsibility)」で、旅行者・事業者・地元住民など、観光に関わるすべての人が当事者意識を持ち、行動をコントロールする。
具体的には、以下のような観点が含まれる。
地域の自然や歴史的建造物を傷つけない行動
ゴミの持ち帰りや適切な処理
交通機関や宿泊施設の利用で混雑や迷惑を極力避ける工夫
地元の文化や習慣への理解と尊重
観光税や環境税を導入し、保全活動や住民支援に再投資
旅行者への環境・文化教育の徹底
これらの取り組みにより、観光の恩恵を受けながらも地域の負担を最小化し、長期的に持続可能な観光地を守っていこうというのが狙いだ。
レスポンシブル・ツーリズムの具体的な取り組み例
1. 白川郷(日本)の人数コントロール
前述の白川村(白川郷)は、世界遺産に登録された合掌造り集落があり、特に1〜2月のライトアップイベント期間は観光客が殺到してきた。過度な混雑によって住民とのトラブルや渋滞が深刻化していたが、2019年からはシャトルバスの完全予約制や駐車場の台数制限を導入。結果的に来場者数は減少したものの、土産物店や飲食店などへの経済効果はさほど落ちていない。むしろ、混雑が緩和されたことで満足度が向上し、「ゆっくり景観を楽しめる」と評価する旅行者が増えたとの報告もある。
白川村の事例は「観光客の数を抑制する」という大胆な手段を用いつつも、地域経済と住民の暮らし、観光客の体験価値を両立させた好例として注目されている。とくに世界遺産のようなブランド力ある観光地は、制限をかけても需要は一定以上見込める。その前提をうまく活かし、レスポンシブル・ツーリズムを推進していると言える。
2. ハワイ州観光局のマナー啓発
ハワイも世界的観光地だが、過剰な観光による問題や、先住民の神聖な場所への無理解といった課題に直面していた。そこでハワイ州観光局は「野生動物に餌を与えない」「神聖な場所に敬意を払う」など、責任ある旅行者となるためのガイドラインをニュースレターや公式サイトを通じて発信している。加えて、海洋生態系の保護意識を高めるために、環境に配慮した日焼け止め商品の使用を推奨するなど、具体的なマナー提案も積極的に行っている。
ハワイでは観光客が年間を通じて多いこともあり、一部の観光客による迷惑行為がSNSで拡散されるケースも目立つようになった。そのため「旅行者教育」の重要性が再確認され、現地入りする前の段階で、できるだけ正しい情報を提供する取り組みが進んでいる。
3. パラオの「パラオ誓約(Palau Pledge)」
パラオもまた、持続可能な観光の先進国として知られている。とくに目を引く取り組みが、入国時に「パラオ誓約(Palau Pledge)」という文書にサインさせる制度だ。パスポートに押されるスタンプ自体が誓約文になっており、旅行者は「パラオの自然や文化を守ること」を正式に宣言しなければならない。これにより、観光客はパラオの地を踏む瞬間から、自分も自然保護や文化保全の当事者であるという自覚を持つようになる。
また、パラオは領海の約80%を海洋保護区に指定し、大規模漁業を制限している。さらに出国時には環境保護税(Green Fee)を徴収し、その資金を保護区の管理費や環境教育に再投資するという徹底ぶりだ。ここまで見るだけでも、パラオがどれほど環境と文化を最優先に考えているかがわかるが、さらなる画期的な取り組みとして近年注目されているのが「Ol’au Palau」である。
最も面白い事例:Ol’au Palauの革新性
Ol’au Palauとは
2022年にパラオ共和国が導入した「Ol’au Palau」は、「責任ある行動」を取った観光客に対し、特別な体験を提供する革新的なプログラムだ。“Ol’au”はパラオ語で「招待する」という意味であり、観光客が単なる一時的な訪問者ではなく、「パラオの人々が暮らす空間に招かれる友人」のように受け入れられることを目指している。
このプログラムの大きな特徴は、観光客が行う環境や文化に配慮した行動を「ポイント化」し、そのポイントを貯めると普段は地元民やその友人しか経験できない特別な体験と交換できるという仕組みにある。言い換えれば、「自然や文化を守る行動をすればするほど、よりディープにパラオを楽しめる」というインセンティブを強烈に働かせている。
ポイント獲得の具体例
Ol’au Palauでは、スマートフォンのアプリケーションが用意されており、そこに自分の行動を記録してポイントを貯めていく。
ポイントを得られる行動例として、以下のようなものが挙げられる。
カーボンオフセットの実施
飛行機や車で排出したCO₂を、木の植林や炭素削減プロジェクトへの寄付などでオフセットするとポイントが加算される。サンゴ礁に優しい日焼け止めの使用
一般的な日焼け止めに含まれる成分がサンゴを弱らせることが分かっているため、環境に配慮した商品を使用するとポイントが付与される。文化的に重要な場所の訪問
古代遺跡や神聖な拝所などを地元ガイドの説明とともに訪れ、パラオの歴史や伝統を学ぶとポイントがもらえる。地元のサステナブル食材を使った食事
地産地消の取り組みや、環境に優しい漁法で獲られた魚介類を提供するレストランで食事をするとポイントが加算される。使い捨てプラスチックの使用削減
マイボトルやエコバッグの使用を心がけ、使い捨て容器を使わない行動をすることでポイントを獲得できる。パラオの自然や文化に関するクイズへの挑戦
アプリ内のクイズや学習コンテンツに正解するとポイントが貯まる。楽しみながら現地について深く学べる仕組みだ。
特別な体験との交換
貯まったポイントは、通常は地元民やその親しい友人しか体験できないような「プレミアムなプログラム」と交換できる。たとえば以下のような貴重な体験が含まれている。
地元の長老との交流
パラオの伝統社会において重要な位置を占める長老から直接話を聞く。古い伝承や社会の仕組みなど、ガイドブックに載っていないような知識を得られる。伝統的な釣り体験
現代的な漁具を使わず、古くから伝わる手法を体験する。自然との付き合い方や海に対する畏敬の念が感じられる貴重な機会。秘密の洞窟での水泳
大衆観光ルートに載っていない神秘的な洞窟を訪れ、地元ガイドと一緒に泳ぐ。限られた人しか入れないプライベート空間を満喫できる。人里離れた場所でのハイキング
原生林や山道を探検し、絶景スポットを独り占めするような冒険心に満ちた体験ができる。タロイモツアーと地域の人々との昼食
タロイモ畑での収穫体験や、収穫物を使った伝統料理を地元の人々と一緒に作り味わう。農業や食文化に根ざした交流が得られる。
ここで注目すべきは、「経済力があるから」「お金を積めばOK」という発想ではなく、「どれだけ環境や文化に配慮した行動を積み重ねたか」によって特別な経験が手に入るという点だ。これにより、パラオを訪れた観光客は自然や文化との関係性を自ら学び、より深い敬意を払うようになる。また「地元にしか許されてこなかった場所や儀式に招かれる」という貴重な機会が与えられることで、旅行者は“ゲスト”から“親密な仲間”へと心境が変わっていく。
滞在期間と旅の組み立て
Ol’au Palauでは、10日から2週間程度の滞在が推奨されている。前半の5日ほどでポイントをコツコツ貯め、後半でそのポイントを使って特別な体験を楽しむイメージだ。慌ただしく観光地を回るだけではなく、ゆっくりと現地の空気を感じながらサステナブルな行動を積み重ね、最後に忘れられない思い出を作る。これこそが、観光を「消費行動」ではなく「相互理解のプロセス」に変えるOl’au Palauの狙いだとも言える。
まとめ:行動変容こそが鍵
オーバーツーリズムがもたらす観光公害は、観光地だけの問題ではなく、旅行者の意識と行動によって大きく左右される。レスポンシブル・ツーリズム(責任ある観光)は、こうした公害を解決するために、旅行者自身を含めたすべての当事者が「責任」を自覚し、地域社会や環境に配慮した選択を行うことを促す考え方である。
白川郷のように「人数制限」という形で入り口をコントロールする手段、ハワイ州観光局のように「啓発活動」を通じて旅行者のマナーを高める取り組み、パラオの「パラオ誓約(Palau Pledge)」のように入国時点で旅行者の意識を醸成する制度など、世界各地で多様な試みが進んでいる。特にパラオが始めたOl’au Palauは、「責任ある行動をインセンティブに変える」という斬新な発想で、深みのある観光体験を生み出している点が特徴的だ。
Ol’au Palauは、旅行者が環境や文化を守る主体となることで得られる「ご褒美」を用意することにより、単なる規制や罰則ではなく、ポジティブな誘導を狙っている。こうした仕組みによって、観光客の行動変容を実現するだけでなく、地域社会にとっても観光公害の軽減や収益構造の安定化など、メリットが期待できる。観光が単なる経済活動にとどまらず、地元コミュニティや自然環境との共生へとシフトする時代が近づいていると言えるだろう。
今後も世界規模で観光需要が変動する中、レスポンシブル・ツーリズムは観光地の持続可能性を守る重要な鍵となるはずだ。オーバーツーリズムの問題がますます深刻化する中でも、Ol’au Palauのように革新的なアイデアが登場し、観光と環境・文化保護の両立が可能であることを示し続けることに期待したい。旅行者一人ひとりが「責任ある行動」を取ることで、観光が地域を疲弊させるのではなく、地元に真の豊かさと誇りをもたらす次世代型の産業として進化していくのではないだろうか。
https://www.asahi.com/and/article/20191128/300169112/