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Web業界で働くエンジニアが『デジタル・ミニマリスト 大切なことに集中する』を読んで生活を変えようと思った話


皆さん、こんにちは!今日は「デジタル・ミニマリズム」という本を読んで、ところどころ「うわっ、これ俺のことじゃん!」とショックを受けたので紹介したいと思います。一緒に自分の「デジタル生活」を見直してみましょう!

スマホ依存は大企業が仕組んだ罠

まず、AppleやFacebookが私たちをどうやってスマホ中毒にしているのか、その魔法の秘密を暴露します。

間歇(かんけつ)強化: ガチャ依存症の正体

これは「ガチャ」システムのようなもの。いつ報酬(いいね!)がもらえるかわからないからこそ、ドキドキが止まらない!

例:

  • SNSに投稿→ いいねの嵐かスルー、はたまた微妙な反応…?

  • 広告をクリック → 「当たり」のページか「ハズレ」か…?

承認欲求:旧石器時代から続く人間の性(さが)

「他人の目が気になる」これ、実は生存本能なんです。石器時代から、「仲間外れ=死」だったんですね。そう、いいねをもらうたびに感じる快感は、何万年も前からの遺産なんです。
SNSの「いいね」は、まさに現代版の「あなたは部族に必要な人物です」サイン。

つまり、私たちが抵抗できないのは、単に意志が弱いからじゃない。莫大な利益を生むように策定された、とんでもなくずる賢いビジネスプランの餌食になっているだけなんです。まるでネズミがチーズを追いかけるように、私たちは「いいね」を追いかけているわけです。

デジタル・ミニマリズムとは?

これは「断捨離」のデジタル版と考えてください。でも、家具を捨てるのではなく、不要なアプリやデジタル習慣を捨てていくんです。正式には以下の通りです。

デジタルミニマリズム
自分が重きを置いていることがらにプラスになるか否かを基準に厳選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学

デジタル・ミニマリストの人々は、新しいテクノロジーに対して「ほんの少しでも便利そうだからとりあえず使ってみよう」とはしません。代わりに、「本当に自分の人生にプラスになるの?」としっかり考えます。
新しいガジェットを買う前に、「これを買わないと人生が終わるの?」と自問自答するような感じです。

ちなみに対照的なデジタル・マキシマリストは以下のような定義になっているそうです。

デジタルマキシマリスト
マキシマリストは、どれほど些細なことがらであろうと、おもしろそうなこと、価値のありそうなことを自分や周囲が見逃すかもしれないと考えただけで不安になる

「転職するときやWeb業界1、2年目の俺じゃん!」と思いました。今はわりと落ち着いてますが、当時はひたすら情報!情報!という感じだった気がします。ただ背景に「スキルアップしたい」という明確が意志があったので少し違うものだったのかもしれません。

デジタル断捨離のすすめ

では、具体的にどうやってデジタル・ミニマリズムを実践するのか。本では30日間のデジタル断捨離を提案しています。

ステップ1:30日間、絶対に必要でないテクノロジーの使用を休止する。

ステップ2:この30日間で、楽しくてやりがいのある活動や行動を新しく探したり再発見したりする。

ステップ3:30日後、休止していたテクノロジーを再導入し、その一つひとつについて、自分の生活にどのようなメリットがあるか、そのメリットを最大化するにはどのように利用すべきかを検討する。

これ、まるでデジタルな世界での「断食」ですね。最初は禁断症状で苦しむかもしれませんが、乗り越えれば新しい自分に出会えるはず!...たぶん。

孤独の時間を取り戻せ!

スマートフォンのおかげで、私たちは「孤独」を失いつつあります。電車の中でも、歩いているときでも、常に誰かとつながっている。でも、それって本当に良いことなんでしょうか?

孤独には素晴らしい効果があるんです。問題解決力を高めたり、感情を安定させたり、信念を強くしたり...。つまり、たまには「ぼっち」になることで、逆に人間関係が良くなるかもしれないんです。なんだか逆説的ですね。

著者は、1995年以降に生まれた「i世代」が特に孤独を経験していないことを懸念しています。この世代は不安障害や鬱が増加しているという研究結果があります。まるで、常にオンラインでいることが、心の「過労死」を引き起こしているかのよう。

人の幸福には孤独が必要であると仮定して、どうすれば十分な孤独を確保できるか。具体的な方法は以下の通り。

スマホなしで出かける

日常の90%の場面では、携帯電話があってもなくても関係ないが、あればほんの少し便利になる程度ではないでしょうか。

長い散歩に出かける

ニーチェも「歩いて到達した思想にのみ価値がある」と言っています。彼がもし現代に生きていたら、「歩きスマホしながら到達した思想に価値なし」とツイートしていたかもしれませんね。

ただし以下のようなことは一人きりにはならないので注意。

  • イヤホンで音楽を聴きながら:❌

  • スマホをチラチラ見ながら:❌

  • 散歩の様子をSNSでライブ配信:超❌

自分に手紙を書く

難しい決断に直面したとき、悲しいとき、アイデアが湧いたとき...。これ、自分宛てのDMを送るようなものかもしれません。でも、紙と鉛筆の方が断然味わい深いですよ。

"いいね"をしない

私たちの脳は、オフラインで相手と顔を合わせてする交流が唯一のコミュニケーションだった時代の進化の産物です。

オフラインの交流では、ボディランゲージや表情の変化、声の調子など、微妙なアナログのヒントから得られる大量の情報を脳内で処理しなくてはならないらです。

一般的なデジタル・コミュニケーション・ツール上で行われる低帯域幅のおしゃべりは、オフラインでの豊かな交流の幻を作り出すことはできるかもしれませんが、人間の脳に備わっている高性能な社交プロセス・ネットワークには物足りないです。つまり、デジタルコミュニケーションでは脳の性能を生かしきれず、人間のきわめて高い社交欲を満たすことができないということです。

ではなぜオフラインでの交流よりオンラインの交流を優先するのか?
思いつく要因として、オンラインでの交流は簡単で速いことにあります。それは人間は生来、短期的に必要なエネルギーが少ない活動を好む傾向にあるからです。

その他にも、そもそもデジタルコミュニケーションツールの多くは、人間の社会的本能を乗っ取って習慣性のある行動に向かわせるように設計されています。
休みなくデバイスを使っていると(SNSに触れていると)他者と交流しているという錯覚が生まれ、自分は人間関係の維持に充分に力を注いでいると勘違いしてしまいます。

具体的な演習としては、いいね、だけでなくコメントをつけるのもやめましょう。
いいねやコメントを続けていると、脳がこれを会話に代わる適切な選択肢であると学習してしまうからです。

趣味を取り戻そう

本書では善い人生には、その行為そのものから生まれる満足感以外に何の利益ももたらさないような活動が必要と紹介されています。

マサチューセッツ工科大学のキーラン・セティヤは以下のように述べています。

「その活動が解決すべき問題や困難、必要がなければ価値をもたないような」活動だけで人生が成り立っているとすれば、その人は、”人生とはこれだけのものなのか”という避けがたい疑問を前にしたとき湧き上がる実在的絶望に対して無力だろう。そしてこの絶望の解決法の一つは、アリストテレスを手本として、「内なる喜びの源」となるような楽しみを持つこと

本章では、このような喜びに満ちた活動を”質の高い余暇活動”と呼びます。

以下、余暇活動の教訓3箇条です。

  1. 受け身の消費よりも体を動かす活動を優先しよう。

  2. スキルを活かし、物質的な世界で価値あるものを作り出そう。

  3. 親睦を支える枠組みが用意された、リアルな世界での交流が必要な活動を探そう

質の高い余暇活動を見つける

では具体的にどのような余暇活動がよいのでしょう?

例えば、テーブルを作ったり、セーターを編んだり、ギターを弾いたり。プログラミングも良いかもしれませんが、3箇条に基づくと「物理的な世界でのモノづくり」を勧めています。つまり、Minecraftで家を建てるよりは、実際に庭に小屋を建てた方が良いということでしょう。

ボードゲームで盛り上がる

最近のボードゲームブームは、デジタル世界から離れた独特の社交空間を作り出すからだそうです。確かに、UNOで「ドロー4」カードを出されたときの友達の顔は、絵文字では表現できませんからね。

SNSアプリを全部消そう

Facebookはアテンション・エンジニアリングという分野を開拓し、人間の心理的な弱点を突き、ユーザーが当初予定していた以上の長時間にわたって自社のサービスを利用するように仕向ける手法を開発しました。ユーザーの注意を惹きつけておけるように特にモバイルアプリを改良することに心血を注いできました。

つまり、ソーシャルメディアを利用するにしてもモバイルからアクセスすることをやめることが大切だと指摘しています。(外出先でアクセスするのをやめる)具体的には以下の通りです。

  • スマホからSNSアプリを削除し、PCからのみアクセスする

  • 特定の時間帯だけSNSを使用する

  • 「いいね」を控えめにし、代わりに直接メッセージを送る

  • 質の高い情報源だけをフォローする

スローメディアの活用

最後に、著者は「スローメディア」を推奨しています。つまり、速報よりも深い分析を重視するということです。例えば、Twitterのトレンドを追いかける代わりに、週末にゆっくりと新聞を読むような感じです。

理由としては、例えば何か大きな事件が起きた時、速報系のサイトのニュースの質は低くなりがちなので、それよりもジャーナリストがある程度の時間をかけて情報を分析してから書くニュースの方が質が高いからです。

また本書では物理的にソーシャルメディアにアクセスできなくなる、フィーチャーフォンが紹介されています。

まとめ

この本を読んで私も「デジタル・ミニマリズム」にチャレンジしてみようと思いました。新しいプログラミング言語を学ぶよりも、ボードゲームやオフラインの趣味の機会を増やそうと思います。

一方で、著者の主張が時々極端に感じられたのも事実です。本書の中で「(デジタル)レジスタンス万歳!」という表現がありましたが、ちょっと引いてしまいました。一部の強烈なビーガン信者を彷彿とさせ、自分が信じるものを他者に押し付けている感じがしました。(そもそも書籍というものはそういうものかもしれませんが)。

自分はi世代(子どものときからソーシャルメディアがある世代)ではありませんが、仕事柄も含めてデジタルに浸っている時間が多い部類にはなると思うので、定期的にデジタル・ミニマリストの考えを意識したいと思いました。

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